No.019
2025年01月26日
望東尼(博多人形)
福岡城跡の西側・唐人町に建ち並ぶお寺の一角に、どこの住宅街で見かける公園がある。唐人町北公園という。ここはその昔、福岡藩が築いた枡の製造や検査を行う場所であった。 藩は、幕末になると、それまで西中島橋の袂にあった監獄を、唐人町の枡木屋街に移転させた。つまり、枡の製造工場を押しのけて監獄を拵えたわけである。現在見える門柱が、その時のものかどうかは定かではない。また、転がっている二つの石が、刑死した人の墓なのかどうかも分からない。 この牢屋こそ、野村望東尼伝の本筋にあたる「乙丑の獄」の隠れた本舞台となるのだ。尊王攘夷思想に燃え上がる志士たちを、ことごとく枡木屋の獄(牢屋)に閉じ込めた藩主だったが、脱走などで生きながらえた志士らが、お隣の長州藩を指導する高杉晋作らの下支えとなって、270年間続いた德川幕府を倒壊させて明治維新を立ち上げることになったのである。 福岡城下の唐人町もまた、明治維新をなし遂げた、歴史の舞台の一角を担ったともいえよう。 |
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