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2026年10月11日
「享保の飢饉」は、今から約300年前、享保17年から18年(1732年~33年)にかけて西日本全域を襲った干ばつと害虫大発生による未曾有の災害のことです。
江戸時代中期德川吉宗の時代です。もちろん、江戸時代の飢饉は、この間だけに限った災害ではありません。後の天明、天保と続き、前後30数回にも及びます。寄せては返す状態で庶民の暮らしも疲弊仕切っていました。 現代の異常気象と瓜二つ 享保の大饑饉の資料を読み起こす度に、全身が震えだすほどでした。だが、これらの大災害は、天災とばかりも言っておれない事情があります。当時の飢饉を「人災」だと言い切る専門家さえいるくらいです。飢饉の原因が幕藩体制による激しい収奪にあったからです。農民や庶民を生死の境に置いておく政策こそが、江戸期の大饑饉を呼び起こしたのではないかと。 |
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福岡市南公園
| 休日には子供連れの家族で賑わう福岡市動植物園。福岡市内を見おろす南公園内に設けられています。南公園(江戸時代には大林山)は、まるでスキー競技のモーグルのような小山が無数に並んでいます。小山のことを江戸時代には「二十八谷」と呼んでいましたから、その数28も連なっているのでしょう。中でも一番高い場所にある植物園から南方を眺めれば、彼方には標高597㍍の油山が居座っています。その間の平野は、油山から博多湾までくねりながら流れる樋井川を挟むようにして、田んぼがひしめいていたのではないでしょうか。
江戸期福岡城と南公園の古地図 当然のように、田んぼの周辺には農民が住み着いていたことでしょう。農民は、これまでに経験したことのない干ばつとウンカの大発生に悩まされ、食うものにも事欠くありさまでした。それでも役人は、年貢の取り立てを遠慮しません。 登場人物を仮に「徳兵衛」さんと致しましょう。痩せ細った女房や3人の子どもたちは、動く元気もなく寝そべったままです。近所に住む与三郎が徳兵衛さんに耳打ちしました。「このほどお殿さまは、難儀している百姓に粥でも炊いてやれと命じられたそうじゃ。炊き出しの場所は荒津山(現西公園)のふもとの魚町浜げな。俺も行くけんおまえもどうか」と誘ったのです。 「魚町浜ちいえば、ここから1里もあるばい。お粥は食いたかばってん、ひもじゅうてそこまで歩いていけるかどうか」と悩むこと。そこで女房どの、「このままじゃ、どうせ飢え死にするだけたい。子供は車力に乗せて行けばよか」と、亭主の背中を叩いた。 いくつかの低い山を越えて、大林山のふもとまではなんとかたどり着いた。子どもたちは「ひもじか」と鳴き叫ぶばかり。徳兵衛さんも女房どのも、子供を慰めることも叱ることもままならない。大林山の峠に来て、周辺は楠やけやきなどの高木が覆い被さり、ひもじさよりも悲しさが先に立つ。でも、涙は出ない。女房どのが突然膝をついてその場にしゃがみこんででしまった。気がつけば、ひもじさでぐずりっぱなしだった2人の子も静かである。覗き込むと、女房も子どもたちも顔は真っ青。息をしていないのだ。励まし合って山を登っていたはずの弥三郎とも、途中ではぐれてしまった。そこで座り込んだが最後、徳兵衛さんの意識も消えていった。 今来た道の反対側(北)を見おろせば、黒田城を囲む堀が見える。その向こうが荒津山(西公園)で、すぐそばに魚町浜が見えるはず。そこでは、黒田藩による「救い小屋」が立ち、大勢の百姓たちが群れている。
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福岡市中央区警固3丁目
| 徳兵衛さんと途中ではぐれた与三郎とその女房どの。気がつけば、途中で倒れた徳兵衛さん一家が息を引き取った井原ヶ谷(南公園)を下りてきて、古小烏(現桜坂駅付近)に着いた途端だった。倒れ込んだ女房どのが息絶えたのだ。これから藩の救い小屋まであと僅かの距離なのに、滅多に泣くことのない与三郎の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。 与三郎は、息絶えた女房殿の手を握り、その横で自分も眠ることにした。周囲で、同じように餓死したお年寄りとその向こうには、幼い女の子が泣き疲れて、亡くなっている。 それから時を経て文化年間。大長寺の住職が、子供の頃に目撃した餓死者が連なる地獄絵を忘れられず、「施餓鬼供養」を思い立った。古小烏も小高い丘の上に無縁塔を建てることを決意した。そして、塔の上に地蔵尊をそえたのであった。その後は、お地蔵さん詣りが後を絶たなかった。 「ひもじかろうに…」と、お地蔵さんを餓死した人の身代わりに仕立てて、口もとに味噌を塗りたくった。これが、「味噌喰い地蔵」と呼ぶようになったとのこと。 ![]() |
![]() 味噌食い地蔵尊 |
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![]() 地蔵尊への階段 |
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![]() 建立から200年以上が経ち顔面も風化が進む |
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![]() 最初に築かれた無縁塔を建てその上に地蔵尊を乗せた |
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![]() 丁寧な由来書 |
(つづく)
