No.006(f)
2021年08月08日
桧原ざくらのお話
先の政令都市指定により 、福岡市の行政区は東区・中央区・城南区・南区・西区に5分割された。5つの区のうち、博多湾に面していないのが城南区と南区だけである。
今回紹介する南区桧原地区は、水源域の油山の麓に位置し、戦前までは典型的な田園地帯であった。その面影は現在も残っている。西花畑小学校そばにある小さな公園「桧原の桜公園(ひばるのさくらこうえん)」のさくらの古木が覆いかぶさるあの場所のことだ。花の時期には多くの住民が訪れて詩を詠み、短冊に認めることで有名。 |
進藤一馬市長像お話の舞台は、福岡市内を一周する環状線のすぐそばにあります。そこには「桧原桜公園」と記された巨大な石碑が置かれているからすぐわかります。
公園でさくらと句碑鑑賞を楽しむ女性環状線の工事が始まったのは1983年(昭和58年)といいます。ボクが東京から福岡に戻ってきて、近くに居を構えた頃です。桧原2丁目当たりの工事は、それからさらに25年後の2008年ということになります。
当時のさくらの周辺は、走る車も少なくこじんまりとした住宅地でした。そこにとてつもない大規模な高架の高速道路ができるというのですから、一挙に時代が変わってしまうほどの出来事だったのです。
桧原ざくら公園を跨ぐようにして走る高速道路環状線工事のためなら、情け容赦もなく掘り繰り返される田んぼや住宅地。それまで地元の方々が楽しみにしてきた池の端のさくらも、風前の灯同然でした。そして9本あった古木の1本が、膨らみかけた蕾をつけたままの状態で伐り倒されたのです。これを見た地元のお方は、涙ながらに訴えました。それも、短冊に向かって、あわよくばこの訴えが施主(福岡市長)のもとに届きますようにと。
花あわれ、せめてはあと二旬(にじゅん)、ついの開花をゆるし給え
来年のことは諦めるとして、今蕾の今年の花だけでも満足に咲かしてあげて、との切ない願いでした。このことが地元新聞(西日本新聞)に掲載されると、短冊を持った方たちが次々にさくらのもとに集まりました。そして皆さんがそれぞれに心を込めてつくった短歌が、ほころびかけた古木群を飾りました。
この様が工事の人の心をも揺さぶったのでしょうか、残った8本のさくらがすぐに伐られることはありませんでした。そのうちにです。信じられないことが起こったのです。花惜しむ、大和心のうるわしや、とわに匂わん、花の心は 香瑞麻
数えきれない短冊の中に、この一首が混じっているのをどなたかが見つけました。詠み人の「香瑞麻」なるお方こそ誰あろう、福岡市長の進藤一馬(しんとうかずま)さんだったのです。市長自ら返歌を送ったのでした。
この美談、これまた地元のNHKが取り上げました。ローカルニュースを見た東京在住のあの有名な作曲家・團伊玖磨さん(2001年没)が随筆で紹介し、それをリーダースダイジェストが世界中に広げました。
さくら群を彩る短冊お蔭さまで、残された8本のさくらは、その後もこの地で華やかに花開くことができました。そして40年たった今日も、「桧原桜公園」として年間を通して多くの人が、年老いた樹木を愛でているのです。高速道路はその後どうなったのか。進藤市長の尽力があったのでしょうか、工事の計画が一部修正されて、8本のさくらを避けるようにして完成しました。
毎日、教室から眺める西花畑(にしはなはた)小学校の皆さん。そばを流れるひいかわともども、いつまでも桧原ざくらを大切にしてくださいね。
公園拡張へ
上記桧原桜公園が、現在の2.9倍の広さに拡張されるそうです。思えば、さくらの季節に訪れるお客さんは、いつも窮屈そうです。来年からも、多くの短歌ファンが作品を寄せてくれるよう願います。 |