田島の神楽

 
 筑紫次郎がふるさと筑後川を後にして、筑前国はふくはく(福岡・博多)に引っ越してから久しい。 人口154万人の福岡市には、街中を流れる一級河川というものが存在しない。すべては、街を取り巻く山から噴き出した水が市内を流れて博多湾に注ぐ短い中小河川ばかりだ。
 福岡がこれほどまでにでかくなったのも、そんなに遠い昔のことではない。油山を水源とする諸二級河川の大半は、戦前まで農業地帯であった。「樋井川」なる川名は、川を板樋を使って農業用水を送っていたことからつけられたものじゃないかな。そして博多湾に面する川下はというと、そのむかしは入江が現在の街中まで入り組んでいて、複雑な地形をなしていたらしい。「草香江」とか「片江」とか「荒江」とか、やたらと
のつく地名が残るのも、そのためだろう。いずれにしても、ふくはくという場所は、歴史的にも奥の深い地である。
 筑紫次郎の世界でお伝えしてきたふるさと
筑後川ともども、その奥深さを知っていただければ幸いです。
 

No.002


2021年07月04日

田島は入江の突端だった?


田島を流れる樋井川(前方が油山)

 樋井川の中流域に「田島(たしま)」なる町がある。川に架かる田島橋から100㍍西に進むと、田島の住民をお守りくださる田島八幡神社が建っている。町の人々は、鎮守の神さんとして、大むかしからそれは大切にしてきた。ご神木は、樹齢数百年と言われ、幹回りも10㍍は下らない楠の巨木だ。この八幡さん、ずっと以前には、少し南の落合という場所においでだったと由緒には記してある。


田島八幡の大楠

 元日の初詣には、除夜の鐘を合図に善男善女が押しかけて列をなす。7月の大祭では、小学生からお爺ちゃんお婆ちゃんまで集まって、境内からはみ出るほどに賑やかだ。拝殿では、笛や太鼓の音に合わせて、神楽舞いが延々と続く。そのむかし、博多湾の入江の先にあったという田島村の氏子らが、500年にわたって育ててきた「田島神楽」なのだが、その成り立ちを手繰ってみよう。

人身御供が祭りの始まり


大楠が自慢の田島八幡

龍神に捧げる

 大むかし、現在の西公園あたりから大濠公園を経て油山近くまで、入江と小山がせめぎ合う複雑な地形をなしていた。入江の途中には小島が浮かんでいて、その島を「田島(たしま)」と称した。入江の奥まったところには、薦ヵ淵(こもがふち)と呼ぶ深い池があり、池には身長が10mにも及ぶ龍が棲んでいたんだと。その龍神さまこそ、農民にとって、命の次に大切な農業用水を守ってくれるありがたい神さまだったのである。
 
村人は、恐れ多い龍神さまを少しでも慰めようと、年に一度だけ、大切な村の娘を捧げることにしていた。いわゆる人身御供(ひとみごくう)である。娘を捧げる日は、天空に真っ黒い雲が波打ち、地上が真夜中のように暗くなる時間帯と決められていた。その年の順番を言い渡された娘は、晴れ着に着替えて、一人だけで野原に出る。そのとき雲は雷神を呼び込み、暗闇の野原を強烈な稲妻が走った。
 野原に一人立つ娘は、稲妻に向かって叫んだ。
「龍神さま。どうぞ私を天に連れて行ってくださいませ。私をあなたさまのお嫁さんにしてください」と。天空の雲の波はますます激しさを増して、中から巨大な龍が躍り出てきて娘のそばに降り立った。娘は、涙をこらえて見送る母親に笑顔で応え、龍の背中に飛び乗った。
 龍と娘が地上から姿を消したその瞬間、天空の黒雲は払いのけられ、真っ青な空から強烈な陽の光が野原を照らした。その様は、つい昨日までの村の様子と何の変化もない。変わったことといえば、村から娘が一人いなくなったことだけであった。

神に楽しみを

 村人たちに平和が戻った。平和を取り戻せなかったのは、娘を見送った母親だけだった。別れ際に見せた可愛い娘のあの笑顔が瞼の奥から消えない。あれは心からの笑みではない。

 母親は神さまにお祈りした。「どうか、この悲しみを私たち母娘が最後になるようにしてください」と。お参りの満願の朝、夢枕に神さまが立たれた。神さまは、「村の者が、揃って龍神を楽しませることを考えよ」と言い放つとすぐに姿を消された。さっそく母はこのことを村長(むらおさ)に伝え、村長は村の者を集めて協議した。そこで出た結論が、人身御供(ひとみごくう)の代わりに神さまが喜ぶ踊りを奉納することだった。
 それから、村人たちと神官がいっしょになって、あちこちの神楽を見分し、持ち帰って稽古に励んだ。そこで編み出されたのが、今日にも繋がる田島神楽の原型なのである。

 


田島神楽の演目 

 

 壱 神供(じんぐう) 両手に榊葉と鈴を持ち、無病息災と家内安全を願い、幸あれと祈る。
 弐 御園(みその) 今年は豊作か凶作かを神の御心に占う舞い。五穀豊穣を祈念する。
 参 両刀(りょうとう) 両手に真刀を持ち、四方を祓い清め、悪魔払いをする。
 四 水鬼(すいき) 黒い鬼面をつけ、手桶に入れた水を四方に打って周囲を祓い清める。
 五 高所(こうしょ)   奉納する神社の祭神のご神徳を讃える舞神楽で、神楽歌を謡曲調で歌いながら、五穀豊穣を祈念する。
 六 問答(もんどう)  翁と鬼の問答で、曲がったことを正しく直す翁が、禍を持ち込む荒ぶる鬼に、「日本の国は神国で、国中くまなく神々が祀られておる。鬼の住む所などないから早々に元の国に帰れ」と追い払うまでを、問答形式に神楽化したもの。
 七 久米の舞(くめのまい) 五穀豊穣を祈願する舞い。両の手に米を入れた折敷を載せて、こぼさないように高く低く捧げもって緩急自在に舞う。 
 八 天神(てんじん)  天地の神々を表す弓と矢を持ち、悪魔退散を祈願して鏑矢を四隅に放つ舞神楽。
 九 猿女舞(さるめまい)  天孫降臨の場面を神楽化したもの。瓊瓊杵命(ににぎのみこと)が諸神を引き連れて降臨のとき、行く手に奇怪な顔をした一人の神が立ちはだかった。中富親王(なかとみのしんのう)が鈿姫命(うずめのみこと)を呼び尋ねさせると、「瓊瓊杵命が下られると聞いたので先導役をしようと思って来た」と猿田彦神(さるたひこのかみ)が答える場面を再現。
 拾  釣舞(つりまい)  海の幸の魚を預かろうと、大海の中で悠々と魚を釣ろうとしている情景を神楽にした。この舞いに登場する事代主大神(ことしろぬしのおおかみ)を、参拝者たちは「魚釣り恵比寿さま」と呼んで、事代主大伸が参詣者の群の中に釣り糸を垂れると、釣り糸の先に捧げ物を括り付ける慣わしがある。
 拾壱  磐戸(いわど)  素盞鳴男命(すさのうのみこと)の余りの乱暴さをお怒りになった天照皇大神(あまてらすおおみかみ)が、天の岩戸に引き籠られたため、光を失った高天原(たかまがはら)は真っ暗になる。そこで八百万の神々は天の安河原に集い、天照皇后大神を再び地上にお迎えするため、知恵をしぼり、力を尽くして皇大神のお怒りを和らげ、素盞鳴男命を天上界から追放し、光を取り返した天の岩戸神話を神楽化したもので、そこに古代の日本の一つの始まりがあったという話。
 演目の説明は、お祭り当日に参加者に配られるパンフレットをもとにしています。
「田島神楽」発行 平成12年4月
 

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