田島の神楽
|
No.002
2021年07月04日
田島は入江の突端だった?
樋井川の中流域に「田島(たしま)」なる町がある。川に架かる田島橋から100㍍西に進むと、田島の住民をお守りくださる田島八幡神社が建っている。町の人々は、鎮守の神さんとして、大むかしからそれは大切にしてきた。ご神木は、樹齢数百年と言われ、幹回りも10㍍は下らない楠の巨木だ。この八幡さん、ずっと以前には、少し南の落合という場所においでだったと由緒には記してある。
元日の初詣には、除夜の鐘を合図に善男善女が押しかけて列をなす。7月の大祭では、小学生からお爺ちゃんお婆ちゃんまで集まって、境内からはみ出るほどに賑やかだ。拝殿では、笛や太鼓の音に合わせて、神楽舞いが延々と続く。そのむかし、博多湾の入江の先にあったという田島村の氏子らが、500年にわたって育ててきた「田島神楽」なのだが、その成り立ちを手繰ってみよう。 人身御供が祭りの始まり
龍神に捧げる 大むかし、現在の西公園あたりから大濠公園を経て油山近くまで、入江と小山がせめぎ合う複雑な地形をなしていた。入江の途中には小島が浮かんでいて、その島を「田島(たしま)」と称した。入江の奥まったところには、薦ヵ淵(こもがふち)と呼ぶ深い池があり、池には身長が10mにも及ぶ龍が棲んでいたんだと。その龍神さまこそ、農民にとって、命の次に大切な農業用水を守ってくれるありがたい神さまだったのである。 神に楽しみを 村人たちに平和が戻った。平和を取り戻せなかったのは、娘を見送った母親だけだった。別れ際に見せた可愛い娘のあの笑顔が瞼の奥から消えない。あれは心からの笑みではない。
母親は神さまにお祈りした。「どうか、この悲しみを私たち母娘が最後になるようにしてください」と。お参りの満願の朝、夢枕に神さまが立たれた。神さまは、「村の者が、揃って龍神を楽しませることを考えよ」と言い放つとすぐに姿を消された。さっそく母はこのことを村長(むらおさ)に伝え、村長は村の者を集めて協議した。そこで出た結論が、人身御供(ひとみごくう)の代わりに神さまが喜ぶ踊りを奉納することだった。
|
田島神楽の演目
|