[ソロクト問題記者資料] 2003年12月25日 ソロクト問題解決のために ハンセン病小鹿島更生園補償請求弁護団 1 わが国では、1907年から1996年までの長きにわたってハンセン病に対する強制隔離政策が行われた。ハンセン病は感染力及び発症力が極めて弱いこと、大流行の恐れはなかったことなどを考え合わせると、日本が取ったこの政策は何ら合理性のないものだった。従って、ハンセン病療養所に隔離された方々はこの過剰な国の衛生政策の被害者だったのである。 2 わが国では1996年にようやく強制隔離を定めた「らい予防法」という法律が廃止になった。しかし、被害者に対する補償等は何ら行われなかった。そこで、1998年療養所の数名の入所者が国に対してその政策の違法性を主張して熊本地裁で裁判を起こした。この裁判には現在療養所に入所している方々が次々に参加されただけでなく、療養所を退所した方たちも参加された。また、この裁判は熊本だけでなく、その後東京、岡山でも同様の裁判が起こった。2001年5月11日、熊本地方裁判所は原告らのうち127人の原告について判決を言い渡した。判決は、どんなに遅くとも1960年以降はこの強制隔離政策は日本国憲法に違反する違法なものであったと断じ、国に賠償を命じた。この判決後、控訴するなという原告らの運動と、それを支えた国民世論の力があって、5月23日国は控訴断念を決めた。こうしてこの判決は確定した。 3 日本政府はこの判決確定後に、この問題の早期の終結を図って、「ハンセン病補償法(ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律)」という法律を策定した。この法律は、一度でもハンセン病療養所に入ったことがある人すべてに、判決と同じ基準で補償を行うことを定めている。補償を受けられる人については国籍や住所による差別は何もない。また、収容された時期も問わない。従って、1960年以前に入所したことがある人、さらに1945年以前に入所したことがある人であってもこの補償の対象となる。対象となる療養所については、厚労省は、厚労大臣の発した告示によってその療養所を明らかにしているが、1945年以前に植民地に設立した療養所については明示に規定していない。 4 ソロクト(小鹿島・韓国全羅南道)では1916年に朝鮮総督府により最初の小鹿島慈恵医院が作られた。その後1934年7月14日勅令260号によって、国立癩療養所小鹿島慈恵病院となり、同年10月に国立癩療養所小鹿島更生園と改称された。わが国では1931年に「癩予防法」が制定されたが、これを朝鮮で実施するために1935年には制令第四号「朝鮮癩予防令」が公布され、朝鮮での強制隔離はいっそう強められ、小鹿島更生園はさらに拡張を遂げていった。第二次世界大戦前、ソロクトでの収容者は最大で6000人を超えたと言われている。小鹿島更生園は、わが国の敗戦によって韓国、朝鮮における統治権が消滅するまで、国立癩療養所として存続した。 5 ソロクトでの入所者の扱いは過酷を極めた。日本国内の療養所でも、入所者への監禁などを含む懲罰、職員の不足を補うための患者作業と言われる強制労働が行われ、結婚の条件としての男性の断種、妊娠した女性の堕胎などが強制されたが、ソロクトではさらに、懲罰として棒で殴るなどの体罰が日常的に行われ、職員の指示に従わなかったものは監禁されただけでなく懲罰としての断種まで受けたといわれる。また作業内容も過酷でこのために健康を損なったり、手足に障害を生じた人が多数いる。ソロクトでの作業は園内に必要な作業だけではなく、ここで作られた松油は外に売買され利益をあげていたと言われている。ソロクトはまさにアウシュビッツと同様の強制収容所だった。 6 ハンセン病補償法で日本の第二次世界大戦以前の収容者が補償を受けられるのであれば、同じ政策によってソロクトに収容された人たちもまた当然に補償が受けられなければならない。 7 しかしながら、告示の規定の仕方からわが国政府がソロクトの人たちの要求を容易には認めない可能性がある。そこで私たちは次のような手順でこの問題の解決を図りたいと考えている。 @ まず、日本植民地化で強制収容されたソロクトの方々にハンセン病補償法による補償請求をしていただく。同時に国に対してこれらの方々も当然補償法の対象になるべきであることを主張する。 A 日本政府はこの請求を拒否する可能性が高く、日本政府がこれを拒否した場合、その行政処分の取り消しを求める行政訴訟を東京地裁に提訴する。 B 同時に日本国内でのこの訴訟に対する支援を求め、政治的にもこの問題を解決すべきことを訴えていく。 8 この裁判の法的構成についてはおおよそ次のように考える。 @ 小鹿島更生園も告示1条に言う「国立療養所」に含まれる。 A もし小鹿島更生園が上記「国立療養所」に含まれないとすれば小鹿島更生園は「国立療養所」と同視すべき療養所であり、合理性の認められない国の政策により人権侵害をこうむった人に対して相当の補償を行うとする法の趣旨から考えれば、解釈上これに含ませるべきである。 B もし、そういう解釈が許されないとすれば、上記の法の趣旨からすれば不当に国外の療養所に収容された者を差別しており、告示のハンセン病補償法の対象となる療養所の規定は日本国憲法14条の平等の規定に違反して違憲違法である。 9 この裁判に勝訴することができれば、国は当然告示を変更し在外の療養所を明記することになり(これは厚生大臣限りで可能)、ソロクトに収容されたことがある人全員に適用されることになる。 10 本来であれば、わが国が朝鮮で行った強制隔離政策は、国が行った不法行為としてその責任が問われなければならないものである。しかし、日本政府の責任を直接訴える裁判には他の戦後補償の裁判と同じく除斥期間などのいくつかの困難が伴う。さらに、熊本地裁の判決では違法とされている時期が1960年以降とされていることも困難のひとつになる。すでに、日本の植民地時代に収容された方々は高齢に達しており、長く時間がかかり多くの困難が伴う裁判の方式を取ることは避けなければならないと考える。そのため今回は上記のような行政訴訟の形式を取る裁判方式を検討した。今回の請求者の方々にはこの趣旨をよく理解していただいた。 11 この裁判を遂行するにあたって重要なことは、わが国がこの問題を放置することは許されないのだという観念を裁判官に持ってもらうことである。そのためにはソロクトに収容された方々の被害を裁判官に認識してもらわなければならない。そのため、ソロクトの方々がこうむった被害をこの裁判を通じて明らかにしていくことは重要かつ不可欠であると考えている。この立証にあたっては韓国の弁護士の方々との協力関係も築いていきたい。 12 この問題に取り組むために私たちは12月23日に「ハンセン病小鹿島更生園補償請求弁護団」を結成した。私たちは国に対して今回の補償請求が正当なものであることを訴えていく。それにもかかわらず、国がこれらの方々の請求を拒否する場合、ただちに訴訟手続きを取っていく。 13 この裁判は、わが国が植民地政策の中で行った不正義に対する是正を求める裁判でもある。その意味では多くの戦後補償の裁判と共通性を持つが、それだけではなく、ハンセン病にかかったがために偲ばねばならなかった数々の痛苦に対する補償という特殊性を持っている。わが国の内外を問わず多くの方が、この裁判の意味を理解してくださり、ソロクトで多大の犠牲を強いられたみなさんへの連帯と支援とを示してくださることを切に願ってやまない。 以 上 <参考文献> 『朝鮮ハンセン病史 日本植民地下の小鹿島』滝尾英二著 未来社 ソロクト略史
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