No.9

2001年5月31日

弁護団つうしん

発 行
ハンセン国賠訴訟西日本弁護団

熊本市京町2−12−43
TEL096-322-2515
FAX096-322-2573

  


国が控訴を断念!

歴史的な熊本地裁の判決が“確定”

今後は国と具体的措置で協議

 

 5月11日、熊本地方裁判所は、原告全面勝訴の判決を言い渡しました。
 判決は、我が国の90年間に及ぶ絶対隔離絶滅政策を断罪し、1953年に制定されたらい予防法は、その制定当初から合理性がなく、1960年には明白に違憲であったとしました。そして、この法律の下に以後も隔離政策を継続した厚生省と、その後1965年までにこの法を廃止しなかった国会の行為は違法であるとして、国に国家賠償責任を明確に認めました。
 この判決直後から、原告の皆さんは、この判決の確定を求めて、東京で、全国各地で身を挺した活動を続けました。「控訴するな」の声は、日に日に高まり、ついに5月23日、小泉首相の「控訴断念」の決断を勝ち取るに至りました。
 これは、人間としての解放を求めてたたかってきた原告のみなさんと、これを支えていただいた多くのみなさんの、輝かしい勝利です。
 支援いただいた皆さんに深く感謝申し上げます。
 これからは具体的な施策についての国との協議に入ります。歴史的判決の意義をいささかも薄めることのないよう、今後も団結して前進していきましょう。

 

  
 
   ハンセン病国賠訴訟における

国の責任確定にあたっての声明

 

 ハンセン病違憲国家賠償請求訴訟について熊本地方裁判所が本年5月11日言い渡した原告側全面勝訴判決が、国の控訴断念により本日確定した。
 国の控訴断念は、90年間に及ぶ長い隔離政策から人間としての解放を求めた原告らの勇気に満ちた運動と、これを支えた国民世論の大きな勝利である。
 これにより確定した本判決は、我が国の90年間に及ぶ絶対隔離絶滅政策を断罪し、らい予防法を明白に違憲とし、らい予防法の下に隔離政策を継続した厚生省と、この法を廃止しなかった国会の国家賠償責任を明確に認めた画期的なものである。
 全国13の国立療養所に平均年齢74歳、平均入所期間40年を超えて法廃止から5年たった現在もなお社会復帰できずにいる4400人余の入所者、差別・偏見を恐れて真の社会復帰をはかれずにいる多くの退所者、患者家族、死してなお故郷に帰れず納骨堂に眠る2万3000余の遺骨、この世に生を受けることなく逝った3000を超える胎児ら。これらハンセン病政策によるすべての被害者にとって、本判決は「人間回復」のための歴史的な第一歩となった。
 本判決の確定により、国の法的責任は揺るがぬものとなった。
 今後、この確定した国の法的責任に基づき、原告らをはじめとする全被害者の人権回復を内容とする全面解決がはかられなければならない。すなわち、@ハンセン病患者・元患者に対する国の真摯な謝罪、A謝罪広告等による名誉回復措置と損害賠償、B在園保障、退所者支援などの恒久対策、C真相究明と再発防止、D継続協議の場の設定等の実現である。
 これら原状回復措置は、蹂躙された被害実態にみあうものでなければならないし、原告らとの協議に基づき、その意向を十分に踏まえたものでなければならない。
 我々は、真の「人間回復」を実現するまで、なお一層の力を尽くす所存である。
 現在、熊本、東京、岡山の3地裁訴訟の原告数は1700名を超えた。本判決が確定した今こそ、「人間回復」を宣言した本判決を携え、真の全面解決を勝ち取るまで共に歩むことを、すべての入所者・退所者に呼びかけたい。
最後に、本訴訟中はもとより、判決後も国に控訴を断念させる運動を共に闘い、支援していただいた多くの市民の方々に、心から御礼を申し上げるとともに、真の全面解決まで、一層のご理解とご支援をお願いする次第である。

                             2001年5月26日

ハンセン病違憲国家賠償訴訟全国原告団協議会
ハンセン病違憲国家賠償訴訟全国弁護団連絡会

 

 

熊本地裁判決の読み方

 

弁 護 士 小 林 洋 二

 5月11日、熊本地裁は、私たちの主張をほぼ全面的に認め、日本のハンセン病政策90年の歴史を断罪する歴史的な判決を下しました。

被害の訴え受け止めた
 この判決の最も大きな意義は、原告の方々の被害の訴えを真正面から受け止め、その被害はハンセン病によるものではなく、法と政策による被害であると正しく認定したところにあります。
 この隔離による人権侵害を判決はこう表現します。
 「ある者は、学業の中断を余儀なくされ、ある者は、職を失い、あるいは思い描いていた職業に就く機会を奪われ、ある者は、結婚し、家庭を築き、子供を産み育てる機会を失い、あるいは家族との触れ合いの中で人生を送ることを著しく制限される。」
 「人として当然に持っているはずの人生のありとあらゆる発展可能性が大きく損なわれるのであり、その人権の制限は、人としての社会生活全般にわたるものである。」

政策が偏見を助長した
 また原告の方々が苦しんできた差別・偏見の原点は、無癩県運動などの戦前のハンセン病政策によるものであり、さらに戦後の徹底した患者収容策、患者宅の消毒、「お召し列車」による患者輸送などが、患者に対する偏見を助長したことを認め、「ハンセン病に対する差別・偏見は古来からのものであり法や政策が原因ではない」という国側の主張を退けました。
 このような「人権を著しく侵害する内容を有し、ハンセン病に対する差別・偏見を助長、維持するという弊害をもたらし続けたところの新法の下での隔離政策」が平成8年の法廃止まで継続されたというのが判決の認定です。

隔離の必要はなかった
 隔離政策の必要性に関しては、「そもそもハンセン病は、感染し発病に至るおそれが極めて低い病気」であること、及びそのことが「新法制定よりはるか以前から政府やハンセン病医学の専門家において十分に認識されていた」ことを、判決は至るところで強調しています。
 またスルフォン剤に関しても、「これまで確実な治療手段のなかったハンセン病を『治し得る病気』に変える画期的な出来事であった」とその歴史的意義を大きく評価しました。
 厚生省の政策責任、国会の立法不作為責任が認められたことは、日本の裁判史上画期的なことです。しかし裁判所が日本のハンセン病政策の異常さを正確に認識した以上、当然の結果というべきでしょう。

認定以前の時間も問題
 なお判決は厚生省の責任を1960年以降、国会の責任を1965年以降としましたが、これはハンセン病患者の誰に対しても明らかに責任があると言える時期を慎重に認定したためであって、決してそれ以前の法や政策が正しかったと言っているのではありません。判決は「新法の隔離規定は、制定当時から既に、ハンセン病予防上の必要を超えて過度な人権の制限を課すものであり、公共の福祉による合理的な制限を逸脱していた」と明確に述べています。

認容額は被害の一部
 また認容額は1400万〜800万円にとどまりましたが、「原告らが被った被害の全体を直視すると、その被害は極めて深刻」としており、判決自体、この金額が損害のごく一部に対するものでしかないことを認めています。さらに判決は、この金額は現在の処遇を評価した結果であると述べています。つまり国は裁判の中で、「法的責任が認められれば処遇を見直すことになる」といった恫喝を度々行ってきましたが、この判決は「そんなことは許されない」と言っているのです。「賠償金をもらったら療養所を追い出されるのではないか」と心配して訴訟に参加できなかった在園者の方もおられますが、そういった不安に対しても、この判決ははっきりと答えてくれました。

 司法に国の責任の明確化を求める闘いは完勝しました。この責任に基づき、国に対して全面解決を迫る闘いが、既に始まっています。

 


5月10日2000人集会より









  


 

 

 

16次提訴

大量 全国で923人

全原告数

施設名

入所者数

現原告数

新原告数

総 数

入所者数に対する割合

 

2001.2.1現在

 

 

 

松丘保養園

244

4

29

33

14%

東北新生園

223

0

4

4

2%

栗生楽泉園

293

26

44

70

24%

多磨全生園

517

68

147

215

42%

駿河療養所

183

13

75

88

48%

長島愛生園

557

68

35

103

18%

邑久光明園

334

17

104

121

36%

大島青松園

232

100

77

177

76%

菊池恵楓園

687

46

99

145

21%

星塚敬愛園

417

42

54

96

23%

奄美和光園

102

24

42

66

65%

沖縄愛楽園

452

174

103

277

61%

宮古南静園

176

32

70

102

58%

西日本退所者

 

149

35

184

 

東日本退所者

 

15

-

15

 

瀬戸内退所者

 

1

5

6

 

総 計

4417

779

923

1702

39%

 

訴訟別

西日本訴訟

589

403

992

東日本訴訟

126

299

425

瀬戸内訴訟

64

221

285

総 計

779

923

1702

 

 


弁護団ダイアリー

4.20    大島青松園、長島愛生園説明会
4.21    邑久光明園説明会
4.22    関西退所者原告団立ち上げ
4.22    沖縄退所者、宮古南静園説明会
4.23    宮古事前記者レク(平良市役所)
4.24    沖縄愛楽園説明会
4.27    弁護団会議
4.28    神戸集会
5.03    憲法記念日・各種集会で訴え
5.08    事前記者レク(熊本県弁護士会)
5.10    15次提訴(27人)
5.10    弁護団会議
5.10    2000人判決前夜集会
5.11    熊本地裁第1陣判決
5.11    厚労省、衆参両院議長申し入れ
5.11    各園で判決報告会
5.12    全国連事務局会議
5.13    全国連会議
5.14    国会ローラー、ハンセン議懇総会
5.14    厚生労働大臣と面談
5.15    九弁連理事長声明
5.15    東北新生園判決説明会(国宗参加)
5.16    宮城県知事と面談
5.17    法務大臣と面談、熊本県知事と面談、東京都知事へ要請
5.17    鹿児島弁護士会会長声明、熊本県弁護士会会長声明
5.18    静岡県知事へ要請、岡山県弁護士会会長声明
5.15〜5.20 各園にて説明会・提訴受付
5.21    全国一斉大量提訴(西日本403人、全国923人)
5.21    首相官邸前要請行動
5.22    首相官邸前要請行動・参議院予算委員会傍聴等
5.23    首相官邸前要請行動、国会ローラー、首相と面談
5.23    首相「控訴断念」を表明
5.24    全国連
5.25    控訴期限経過・判決確定
5.26    判決確定にあたっての声明・記者会見
5.27    菊池恵楓園判決確定報告会