熊本地裁判決の読み方
弁 護 士 小 林 洋 二
5月11日、熊本地裁は、私たちの主張をほぼ全面的に認め、日本のハンセン病政策90年の歴史を断罪する歴史的な判決を下しました。
被害の訴え受け止めた
この判決の最も大きな意義は、原告の方々の被害の訴えを真正面から受け止め、その被害はハンセン病によるものではなく、法と政策による被害であると正しく認定したところにあります。
この隔離による人権侵害を判決はこう表現します。
「ある者は、学業の中断を余儀なくされ、ある者は、職を失い、あるいは思い描いていた職業に就く機会を奪われ、ある者は、結婚し、家庭を築き、子供を産み育てる機会を失い、あるいは家族との触れ合いの中で人生を送ることを著しく制限される。」
「人として当然に持っているはずの人生のありとあらゆる発展可能性が大きく損なわれるのであり、その人権の制限は、人としての社会生活全般にわたるものである。」
政策が偏見を助長した
また原告の方々が苦しんできた差別・偏見の原点は、無癩県運動などの戦前のハンセン病政策によるものであり、さらに戦後の徹底した患者収容策、患者宅の消毒、「お召し列車」による患者輸送などが、患者に対する偏見を助長したことを認め、「ハンセン病に対する差別・偏見は古来からのものであり法や政策が原因ではない」という国側の主張を退けました。
このような「人権を著しく侵害する内容を有し、ハンセン病に対する差別・偏見を助長、維持するという弊害をもたらし続けたところの新法の下での隔離政策」が平成8年の法廃止まで継続されたというのが判決の認定です。
隔離の必要はなかった
隔離政策の必要性に関しては、「そもそもハンセン病は、感染し発病に至るおそれが極めて低い病気」であること、及びそのことが「新法制定よりはるか以前から政府やハンセン病医学の専門家において十分に認識されていた」ことを、判決は至るところで強調しています。
またスルフォン剤に関しても、「これまで確実な治療手段のなかったハンセン病を『治し得る病気』に変える画期的な出来事であった」とその歴史的意義を大きく評価しました。
厚生省の政策責任、国会の立法不作為責任が認められたことは、日本の裁判史上画期的なことです。しかし裁判所が日本のハンセン病政策の異常さを正確に認識した以上、当然の結果というべきでしょう。
認定以前の時間も問題
なお判決は厚生省の責任を1960年以降、国会の責任を1965年以降としましたが、これはハンセン病患者の誰に対しても明らかに責任があると言える時期を慎重に認定したためであって、決してそれ以前の法や政策が正しかったと言っているのではありません。判決は「新法の隔離規定は、制定当時から既に、ハンセン病予防上の必要を超えて過度な人権の制限を課すものであり、公共の福祉による合理的な制限を逸脱していた」と明確に述べています。
認容額は被害の一部
また認容額は1400万〜800万円にとどまりましたが、「原告らが被った被害の全体を直視すると、その被害は極めて深刻」としており、判決自体、この金額が損害のごく一部に対するものでしかないことを認めています。さらに判決は、この金額は現在の処遇を評価した結果であると述べています。つまり国は裁判の中で、「法的責任が認められれば処遇を見直すことになる」といった恫喝を度々行ってきましたが、この判決は「そんなことは許されない」と言っているのです。「賠償金をもらったら療養所を追い出されるのではないか」と心配して訴訟に参加できなかった在園者の方もおられますが、そういった不安に対しても、この判決ははっきりと答えてくれました。
司法に国の責任の明確化を求める闘いは完勝しました。この責任に基づき、国に対して全面解決を迫る闘いが、既に始まっています。
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