No.15 2002年7月6日 |
弁護団つうしん | 発 行 ハンセン国賠訴訟西日本弁護団 熊本市京町2−12−43 TEL096-322-2515 FAX096-322-2573 |
〜熊本地裁判決から1年目の節目に〜
これから私たちの運動の真価が問われる
ハンセン国賠訴訟西日本弁護団代表
弁 護 士 徳 田 靖 之
1.歴史的な杉山判決と前例のない国の控訴断念から1年が経過しました。文字
通り嵐のような1年間だったというのが皆さんの率直な思いではないでしょう
か。
6月から半年間にわたった政府協議と基本合意書の締結。遺族、非入所の和
解の達成、謝罪広告の実施、終生在園保障の獲得、退所者給与金の創設、真相
究明のための「検証会議」の設置の決定、そして由布園長問題と全く息をつく
暇がありませんでした。
私自身今度こそヤマ場だから、これを越えれば少し楽になるからと家を出る
度に家族に同じ弁明を繰り返した1年間でもありました。
もちろん、どの分野にも残された課題が少なくありませんが、国を相手にこ
こまでの成果を挙げることができたのは、ひとえに原告団の皆さんのがんばり
と支援して下さったみなさんのお力によるものであり、深く深く敬意を表する
次第です。
2.この間を振りかえって私が最も強く感じたのは、この国賠訴訟の過程そのも
のがお一人お一人の原告にとって持つ意味ということでした。
第一次の原告の中核として、困難に直面した星塚敬愛園を支え続けたシゲさ
ん、トキさん、正子さんの3人は、「この裁判がいつまでもいつまでも続いて
ほしい。こんなに楽しい、こんなにうれしい経験ははじめてだ。3年で解決す
るなんて言わないで!」と言って下さいました。
如何にして「3年で解決」という原告の皆さんとの約束を達成するかに苦心
していた渦中で聞いたこの言葉ほど、私たちを勇気づけたものはありませんで
した。
あの判決の日、菊池のトキエさんは「もし敗けたら夫と一緒に裁判所の屋上
から飛び降りるつもりだった」と話されました。
そんなにまで、生命をかけての斗いなのだということを今更ながら教えてい
ただきました。
そして勝訴判決の日に「太陽は輝いた」と詠んだ星塚の日野さんは、控訴断
念を勝ち取った後、お母さんの墓石を抱きしめながら「母ちゃん、俺生きてた
ぞ!母ちゃんや姉ちゃんを苦しめ続けた国と精一杯斗って勝ったぞ、これで許
してくれ!」と号泣したのでした。
こうして書きはじめると後から後からあの人この人一つ一つの場面が浮かん
できて尽きることがありません。
皆さん、本当に有難うございました。皆さんの言葉、皆さんの行動の一つ一
つに私は心の底から洗われていきました。
3.問題はこれからにあります。
1年前に比べて、世論の熱気はさめてきました。しかしながら課題は山積し
ています。
先ずは、在園保障を現実のものとするために、奄美和光園を守りぬく運動に
全力を挙げなければなりません。
「社会復帰」を促進し、社会での生活をよりよくするための、医療・住宅・
介護の保障を実現しなければなりません。
そのためには、自治体を巻き込んだ幅広い支援の輪を広げていくことが絶対
に必要です。
既退所者への一時金、非入所者原告の皆さんの恒久対策(医療・給与金)も
大切な大切な課題です。
真相究明のための検証会議もいよいよスタートします。
まさにこれから私たちの運動の真価が問われるということであり、ここで力
を抜いてしまったら、これまでの運動の成果が台無しになってしまうというこ
とだと思います。
間もなく、これらの課題を検討するための本年度の厚生労働省との定期協議
が開かれます。今度もまた数百人の原告の皆さんで厚労省を包囲することが是
非とも必要です。
力を合わせて粘り強く斗いぬきましょう。
私は特に、「和光園を守る会」の活動と非入所者原告の恒久対策に皆さんの
絶大なお力添えをお願いしたいのです。
4.最後に私はこれを期に弁護団の代表を退任させていただくことになりまし
た。
と言っても今後も常任弁護団のメンバーとして八尋代表を支えて全力を尽く
すつもりです。
今後ともどうかよろしくお付合いをお願いいたします。
こんなすばらしい仕事を、こんなすばらしい人達とともにできる幸せをただ
ひたすら感謝するばかりです。
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