判決確定とその後 〜ハンセン病訴訟〜

 

熊本県 国 宗 直 子

 

1 国の控訴断念

 5月23日、小泉首相はハンセン病国賠訴訟熊本判決(杉山判決)に対する控訴断念を表明した。5月25日の控訴期限の経過によって歴史的判決は確定した。

 裁判史上稀有とも思えるこのような勝利を勝ち得たのは、誕生したばかりの小泉政権が自民党内に強力な基盤を持たない一方で、異常とも思える高支持率を前に国民感情を無視できないといった政治状況と無関係ではなかった。弁護団は、こうした好機を正しく見極めた上で、判決直後から控訴断念に向けた総力戦を展開した。

 すでに2月から開始していた国会ローラーや各党ヒヤリングを経て、国会内には超党派の議員懇談会が四月の時点で誕生していた。杉山判決は、国会議員の責任を認めていたため、国会は控訴の判断にあたっては意見を聞くべき関係機関となっていた。国会内での原告に有利な論戦が十分に期待できた。

 判決直後の厚生労働大臣との面談では、さらに厚労大臣が控訴反対に動く感触をつかめた。

 私たちは国会議員懇談会との連携を強めながら次のような行動を取っていった。

 

 @ 全国に国に対する控訴断念要請を呼びかけた。これに応えた手紙、FAX、Eメールなどが、続々と首相官邸や各大臣宛てに届いた。ある原告は不自由な手で渾身の思いを込めて内閣総理大臣宛てに手紙を書いた。この頃、人に会うと、「FAX出しといたよ」と声をかけられることもあった。

 A 首相との面談を申し入れた。5月21日からは首相官邸前で面談申入れの行動を展開した。これらの行動は、入所者団体である全療協との共同行動としても組まれた。全国から多くの原告と支援者が国会前に集まった。原告の中には生まれて初めて飛行機に乗って東京に出てきた人もあった。みんなここが正念場と感じていた。

 B さらなる国会ローラーも行なった。議員会館にはエレベーターがあるとは言え、足の不自由な原告にとっては、一つ一つの議員の部屋を回って歩くのは大変な苦労を伴った。しかし、原告らは支援者に支えられながらこれを厭わずにやりぬいた。

 C 丁度国会は会期中であり、議員も積極的にこの問題を国会での質問で取り上げた。原告らはこれを傍聴席で見守った。

 D 国への大きなとどめとなったのは、5月21日の全国一斉大量提訴だった。東京での動きと連動して、弁護団は全国各園に入った。勝訴判決に確信を深めた多くの入所者・退所者が控訴断念のための決起の呼びかけに応えて、続々と提訴を決意した。まだ未確定の判決を守ろうと多くの人が立ち上がったのだ。5月21日の提訴は、全国で923人の提訴となり、このニュースは各紙一面で報道された。原告の数はそれまでの倍以上となった。

 

 これらの行動の反響は大きかった。新聞やテレビは連日原告らの動きを報道し続けた。それまで隔離の事実すら知らされてこなかった多くの国民がこの報道に触れ、人々の心を揺り動かした。原告らの行動は、多くの国民の支持を受けた。

 この問題を無視できなくなった小泉首相は、5月23日、ついに原告らと面談し、その直後控訴断念を表明した。

 原告団・弁護団は判決後2週間という短い期間に、適切な時期に適切な行動を組み、国を控訴断念へと追い込んだ。国民の圧倒的な支援なしにはこの結果は勝ち取れなかっただろう。これは、まさに原告団の勇気あるたたかいと、これを支えた広範な国民世論の勝利だった。

 

2 判決確定後の動き

 原告団・弁護団は、訴訟の早い時期から、この問題の全面解決の4つの柱を設定していた。@謝罪、A賠償、B恒久対策、C真相究明である。

 判決確定後の動きは、大きく分けて、謝罪・賠償問題をめぐる司法解決と、恒久対策・真相究明をめぐる厚労省交渉の2本立てとなった。だが、この2本は密接に関連し絡み合っていた。

 国は控訴断念後、賠償問題の解決のために、ただちにハンセン病補償法の策定に取り掛かった。この法律は6月15日に制定され6月22日施行となった。これは、国の隔離政策のすべての被害者に補償を行なうものとするもので、その意味では高く評価できるが、他方その狙いは、原告団の運動に対する牽制でもあった。国は、補償法により、残っているすべての裁判が取り下げられることを企図していた。しかし、全面解決要求をかかげてきた原告団が一時金の支給だけで解体するわけにはいかない。何よりも多くの原告は、補償法による「補償金」ではなく、国の責任を明確にした上での「賠償金」の支払いを求めた。そうして、この問題の解決のために、司法解決の道を選択した。

 これについては法務省との交渉を通じて内容が煮詰められ、7月16日、東京地裁が基本合意の内容を和解勧告し、翌日厚労大臣がこれの受け入れを表明し、7月19日、熊本地裁で最初の和解が成立するに至った。7月22日には、原告団と厚労大臣との間で、この基本合意が正式に調印された。以後、熊本、東京、岡山の各地裁で次々に和解の成立が進んでいる。

 基本合意は、@国は謝罪を行なうこと、A杉山判決に従った一時金支給を行うこと、B国の法的責任に基づいて恒久対策を行なうこと、という3つの柱を確認している。これにより、司法解決のルールが確定した。

 しかし、残されている問題もいくつかある。中でも重要な問題は、遺族原告と、入所経験のない原告である。これについて解決をしぶる国に対して、熊本地方裁判所は、いずれの原告も賠償の権利を有するとの所見を表明した。だが、いまだに国はこの問題の回答を避けている。私たちは、現在、判決も辞さない覚悟でこの問題で国と対峙している。

 他方、6月29日の第1回協議を皮切りに、厚労省との継続協議が現在までに3回持たれている。協議は、原告団、弁護団、全療協からなる統一交渉団として進めている。当初、国は、各政策が国の法的責任に基づいて行われるべきことについての確認をなかなか明確にしようとしなかったが、これは、前述の基本合意の中で明確に確認されることとなった。

 現在、協議は、入所者の在園保障、退所者の社会復帰支援・生活保障、真相究明をめぐって進められている。中でも、これまでの退所者の社会復帰支援策はあまりにも貧しいものであり、これでは事実上隔離が維持されるとの批判を免れなかったのであるが、この協議を通じて国がどのような社会復帰支援策を打ち出せるかが、隔離主義からの脱却の試金石となるだろう。

 ただ、交渉団からの要求に対する国の抵抗は根強い。恒久対策をめぐっての決戦がこの秋にも予想される。判決、判決確定を通じて、大きく広がった支援の動きとも連動してさらに大きなたたかいを構築していく必要がある。

 

3 今後の課題

 司法解決は、多くの原告の和解成立を達成し、大きな山を越えた。しかし残された遺族原告、入所経験のない原告の賠償問題での、もう一つの山を越えなければならない。国は回答をしぶっている。

 また、恒久対策をめぐる、厚労省との交渉も、近く山場を迎えることになるだろう。

 真相究明については、真相究明機関を設けることになっているが、その人選、テーマの確立が課題となっている。

 さらに、真相究明の課題とも関連して、朝鮮や台湾の旧植民地で行なわれた隔離政策の問題がある。日本での急激な解決への動きは、韓国でも注目され、韓国でこの問題に取り組む団体との交流も始まっている。

 私たちは、国を全面解決に向けて追い込んでいくたたかいを、さらに大きく展開し、着実に前に進もうとしている。しかし、このたたかいもまた、国民の支持なくしては全面解決に至ることは困難である。より一層の支援をお願いしたい。