霧島丸遭難から82年!記念碑に 『説明文碑』 建立


                                                  

 
               

                               鹿児島商船学校同窓会事務局長 
                                         野元 準之助

はじめに
 霧島丸遭難者の慰霊については、 私共の母校が廃校になってからも鹿児島大学水産学部長はじめ関係者の深いご理解とご厚意により、 昭和22年3月から霧島丸慰霊祭が荒田八幡宮司により行われ、 30年祭・50年祭そして平成8年3月9日には70年祭へと受継がれ、 その後、 全日本船舶職員協会会長はじめ関係者の絶大なご協力を賜り、 平成16年5月13日第34回戦没・殉職船員追悼式において霧島丸遭難者53名の御霊が滞りなく 『戦没船員の碑』 に奉安され、 私共同窓会として大きな仕事が出来たと一応安堵しておりましたところに、 鹿児島大学水産学部教授 松野保久先生" から 『霧島丸遭難記念碑』 について、 かねてから学生はじめ学校関係者の間でもこの記念碑について知る人も少ない状況なので、 何とか 「説明文」 のような看板を掲示したいとの提案を頂きました。
 その後、 提唱者である松野保久先生を中心に 「説明文」 の文言・「説明文」 看板の具体的な構想について打合わせを重ね平成21年2月18日の打合わせで、 御影石の基礎で 「説明文碑」 を建立しようではないかと言うことになり、 この線にそって両同窓会に働きかけて貰ったところ無事、 両同窓会総会とも満場一致で議決され、 建立する運びになりました。
 『説明文碑』 の除幕式は、 平成21年6月20日午後3時から、 霧島丸遭難記念碑参道入り口に建立された 『説明文碑』 の前に、 水産学部の皆さんに準備して頂いたテントの中に鹿児島大学水産学部同窓会魚水会の皆様・水産学部長並びに関係者・鹿児島商船学校同窓会関係者及び報道関係者等約40名が参加して挙行されました。
 式典の概要を次に記します。
 式典の司会は鹿児島大学水産学部同窓会専務理事岩元善巳氏が取り行いましたが、 この方の父君が霧島丸遭難当時の学生で、 昭和5年に初代大型帆船、 日本丸と海王丸が建造されたその海王丸の処女航海でアメリカに行ったと聞いておりますとお話しがあり誠に感慨深いものを感じました。
 次に 『説明文碑』 建立の発起人である前水産学部教授 松野保久先生から“霧島丸遭難記念碑建立の経緯”等について以下の経過説明を頂きました。
[この記念碑に東郷平八郎元帥が書かれた“壮烈”と云う文字が見られます。 この霧島丸遭難記念碑は昭和5年5月に大々的に遭難慰霊式典が行われ、 除幕されまして今年で80年になろうとしております。
 この記念碑は昭和2年3月9日練習船霧島丸が千葉県大吠岬沖合約70海里で暴風に遭遇し、 遭難・沈没し若い練習生30名と乗り組みを併せ53名全員が帰らぬ人となられ、 命を失われた方々の慰霊のために建立されたわけですけれども、 それと共に殉職者の功績というものを永久に伝えまして、 後に続く人達が奮起して海に関連する分野で大いに活躍をし、 貢献することにより、 殉職者の犠牲に報いようという意味合いもありまして、 この遭難記念碑が建立されたと聞き及んでおります。
 確かにこの記念碑がありますキャンパスで学ばれた多くの若者達は、 この記念碑の前に立って海の怖さというものを再認識し、 それに打勝つべく知識の修得、 また、 精神面での鍛練をして来られたものと思っております。
 現在、 このキャンパスで学ぶ若者、 特に水産学部の若者が多いわけですが、 この石碑の前に立って自然の恐ろしさというものをしみじみ感じ、 水産学部のモットーであります“海を怖れず 海を愛し 海を拓け”という意味合いをこの前でじっくりと考えて貰いたいと思っております。 これから先もずっとずっと将来に亙ってそうあって貰いたいと思っているものの一人であります。
 この霧島丸遭難沈没から80有余年経過いたしました。 その時間の経過により、 人々の記憶から薄れがちになり、 これからその記憶が消え去らんとすることは忍びないことであり、 やはり伝えて行かねばならないであろうとの思いから、 昨年3月、 私、 水産学部を退職するに当たって、 その記念講演の中で霧島丸遭難について紹介させて戴きました。 出席された方々から霧島丸遭難ということはそういう事でしたか、 初めて知りました。 或いは、 そのような記念碑が水産学部の中にあるのは全く知らなかった。 また、 これは水産学部の宝となるものです、 と云うような声を聞かせて貰いました。 その中で特にこの碑が周りのソテツ等で目立たない状況になっているので、 この記念碑について簡単に分かるような説明をしたようなものを造って貰いたいなとの要望もありました。
 今この時に何とかしなければと話題に上ったのが 『説明文碑』 建立の引き金になったわけでございます。 この霧島丸遭難と云うのは鹿児島県にとって、 また、 日本における練習船の海難事故として最大級のもので、 「それがもとに 日本丸" 海王丸" という世界に誇る2隻の練習船が建造され、 日本の教育界特に練習船の一大改革が起こったぢゃないですか、 そういう歴史的に重要なものを今この鹿児島大学のキャンパスの中に眠らせてしまうんですか、 それはないよ!」 と云うようなことが語られたのであります。
 その後直ぐに、 霧島丸遭難記念碑に最も深い関わりをもって来られました鹿児島商船学校にも御相談申し上げねばと事務局長の野元様はじめ林様にも連絡し相談に対し、 私共の案に大賛同を頂きました。
 この 『説明文碑』 建立について、 本年3月鹿児島商船学校同窓会総会において承認をいただきました。 魚水会の方は伊牟田会長のご了解のもと本年5月16日東京で開催された魚水会総会で承認を得た次第であります。 この石碑の製作に関しましては、 魚水会副支部長の神之門さんのご紹介により、 株式会社大丸石材代表取締役田中利成様には世界的大不況の中にも拘わらず採算を度外視したサービスを頂きました。
 この製作に関し、 この石碑の設置場所の選定・決定並びに諸手続等は水産学部の野呂学部長先生・岩川事務長様の御足労を頂きました。 この様に 『説明文碑』 の起案・製造・製作・設置に関しましては多くの皆様方からご助言・ご協力を頂きました。 ここに改めてお礼を申し上げます。]
 次に神主さんの神事に入り、 出席者全員が玉串奉賛を行った後、 『説明文碑』 の除幕式に入り、 除幕式には、 鹿児島商船学校同窓会会長千田教文様・水産学部同窓会魚水会会長伊牟田茂夫様・水産学部長野呂忠秀様・鹿児島大学名誉教授松野保久様・大丸石材社長田中利成様が参加され、 出席者全員の拍手のうちに除幕式が滞りなく終わり、 御影石を土台とした、 立派な 『説明文碑』 が現れました。
 この後、 関係者の挨拶へと移りましたが、 ここには鹿児島商船学校同窓会会長千田教文氏の挨拶を掲載し他の方については、 割愛させて頂きました。
[この度、 鹿児島大学水産学部同窓会 「魚水会」 に於いて、 予て立案製作中の 『説明文碑』 が完成し、 設置除幕の運びとなり誠にご同慶の至りに存じます。 霧島丸の遭難から既に82年、 鹿児島商船が廃校になってから63年が経過し、 全てが歴史の彼方に消え去ろうとしております。
 霧島丸遭難の悲惨な事実は、 在学中の我々に海への恐れとこれに立ち向かう覚悟と勇気を与えた出来事でもありました。 海を職場とする我々には時に運命と戦わなければならない事態もありますが、 自然の猛威に対しては常に謙虚であるべきと思っている所であります。
 茲に、 水産学部関係者ご一同様の深いご理解とご厚意により【霧島丸遭難碑】『説明文碑』 を設置し、 歴史的事実の風化を避ける措置を採られたことに対し、 改めて敬意を表し厚く御礼を申し上げる次第であります。]
以上