おすすめの本 な行・は行



                             




 中沢新一「精霊の王」   (講談社・2003年11月発行)


 とうとうやりやがったな! という感じの本です。これでこの方も、マルクスとかニーチェとか、 そういった人々と並べて論じられるべき人になったのだな、といったら言い過ぎになるでしょうか。
 簡単に言えば、日本の文化とか、歴史とか、そういったものを謂わばその底辺にまで掘り下げて 考えてみた仕事、ということになるんでしょうけれども、まあこんなことを言っては暴言になって しまいますが、書かれていることが客観的に見てどれくらい当っているのかということよりもむし ろ、そこにどれだけの思考の深さ、思考の重みが賭けられているのか、といったことこそが問題と なるような種類の本のように思います。
 「はじまりのレーニン」での『ドリンドリン』が、まさかこういう展開を見せようとは。
 この後、何を書くことが出来るのか、他人事ながらちょっと心配にはなりますがね。
(2004年8月9日)




中沢新一「フィロソフィア・ヤポニカ」   (集英社・2001年3月発行)


 いや、すごい本です。
 読むということの凄みをこれくらい感じさせてくれる本も少ないだろうと思います。
 田辺元の哲学について語ったものなんですけれど、思考の高み、というか深みを思い知らされます。 これを読んだ後しばらく、同じ分野のおおかたの本が薄っぺらに思えて読む気にならず、ずいぶんと 困ってしまいました。
 ただ疑問点がひとつ。田辺元について語ったところよりも、引き合いに出した西田幾多郎について 語ったところの方が、迫力も深みもあるように思えたのはどうしたわけなのでしょう。それと最終章、 「最後の田辺哲学」と銘打ってあるにしては軽い印象を受けたのですが、これも西田哲学の残響のな せるわざということになるのでしょうか。
(2001年8月25日)




中沢新一「はじまりのレーニン」 (岩波書店・1994年6月発行)


 これもけっこう古いものなんですが、なかなか素晴らしい本なので……。
 まず読んで単純におもしろい本だと思うんです。つまりこの方の、文章というよりも、思考の動き が、なんというか、心地よい。
 もちろんレーニンその人についての理解にはいろいろと異論のある人も多いんじゃないかという気 もするんですが、けれども門外漢の勝手な感想を言わせてもらえれば、この方、レーニンのもっとも すぐれたところを見ようとしていて、つまりレーニンの、いわば魂をもっとも美しいかたちで救済し ようとしているんじゃないかと……。
 その結果、貧血気味の、というか衰弱気味の「知」に喝をいれるような、あるいは笑いのめすよう な本が出来上がったというわけなんですね。
 この方のこれまで書いたものとしては、私はもっとも高く評価しているのです。
(2000年11月26日)




永井均「これがニーチェだ」 (講談社現代新書・1998年5月発行)


 この永井さんという方、この人が同時代にいてよかったなと思える人です。もっともこのあいだ 出たマンガについての哲学書はいただけませんけれども(題材が、というんじゃなくて)。
「<私>の存在の比類なさ」とか「ウィトゲンシュタイン入門」とかいった本もあります。あるいは 「<子供>のための哲学」といった本もいいかなとは思うんですけれども、そうした仕事をうけての 達成点を示しているのかなといった意味でも、やっぱりこの本の名前を挙げないわけにいかないん じゃないかと思います。
 ニーチェに関心のある人はもちろん、名前も知らないという人でも、じっくり読んで、じっくり 考えをたどっていけば、きっといろいろためになるところがあるはずです。とりわけ「自分」って なんだといったようなことにこだわりを持っている人にとっては。
(2000年9月26日)




中島義道「私の嫌いな10の言葉」 (新潮社・2000年8月発行)


 このちょっと前に出た「ひとを〈嫌う〉ということ」もいいんですけれども、より反省を促される という意味で、こちらを。
 ご自分でもおっしゃっているように、この方、会ってみるととんでもないイヤミなオヤジじゃない かと思うんですね。ただ、ものわかりのいい人ばかりが目について、自分もそういうのに染まってい るのかなと思う時、こういうイヤミなオヤジが存在しているって貴重じゃないかと思います。
 もちろんこの人をイヤミなオヤジに仕立てているのは我々じゃないかということを承知のうえでの 話ですけど。
 で、この本、いろいろ思い当たることが多いんですが、私はとりわけ「みんなが厭な気分になるじ ゃないか!」の章に、なんというか、まあ溜飲の下がるものを感じました。もちろん読む人それぞれ でおもしろく思う箇所はちがうでしょうが。
 この方、「臨済録」に出てくる普化に似てないかなあと思うんですが、そんなふうに枠にはめたり、 わかったふうに思ってみたりすることがこの方、ずいぶん嫌いに違いないでしょうから、この辺でこ の本の話は終えることといたしましょう。
(2000年9月26日)












野口武彦「幕府歩兵隊」  (中公新書・2002年11月発行)


 幕府歩兵隊という、幕末史のなかで見過ごされてきたものに焦点をあてての本、というそのことだ けでも充分な存在意義を持つと言わないわけにはいかないものなんですけれど、それにくわえてこの 本、たいへん失礼な言い方ながら、下手な時代小説なんぞまったく足元にも及ばないような、実に読 ませる文章で書かれているのですね。で、その時代というものを、なにやら生き生きと感じられたよ うな気持ちになってくる。
 もっとも私は、この本でむしろ肝心なのは、自分とはまったく離れた別の時代のことを書いている、というのではまったくなく、むしろ自分も属している世界のことについて書いているのだという姿勢 の窺われるところだとは思っておりますが。
(2003年3月9日)




納富信留「プラトン   哲学者とは何か」  (NHK出版・2002年11月発行)


 ページ数はそう多くないんですが、重みのある本です。そして凄みのある本です。
 哲学すること、というよりもむしろ真摯に生きるとはどういうことなのかということを、プラトン の生き方をたどることによって、しっかりと考え直してみようという本だといっていいように思うの ですが、問題はここに書き表されていることが、そのままこの著者自身にも返ってきてしまうことに なるということで、しかもそのことをこの著者はしっかりと自覚しているのだということが、文章に こめられた気迫のうちに感じないわけにはいかないものとなっているのですね。そしてこの著者はき っとそのことを実践するよう心掛けているに違いないと思うと、なにか頭のさがるような気がしてき てしまうのです。
(2003年3月9日)




野矢茂樹「はじめて考えるときのように   「わかる」ための哲学的道案内」  (PHPエディターズ・グループ・2001年3月発行)


 素敵な本がでました。
 この方のお名前はかねがね耳にはしていたのですけれど、著作を買ったのは初めてで、それという のも、まずその標題にひかれたからなのですが、期待にそむかぬ文章でした。
 いままでこの方の著作を立ち読みしたイメージでは、なんというか、理屈が先走ってとっつきづら いような感じを持っていたのですけれど、実際読んでみるととんでもない。とってもピュアで、柔ら かで、みずみずしい、そんな文章になっているのです。
 けれどもそうした感触が、かならずしも全篇にいきとどいているわけでもないような気もするとこ ろが少しばかり残念なのですがね。
 ま、それもないものねだりというやつなんでしょうけれど。
(2001年3月30日)








 平山洋「福澤諭吉 ―文明の政治には六つの要訣あり―」   (ミネルヴァ書房・2008年5月発行)


 福澤諭吉とはこれほどに凄い人だったのかということを、改めて認識させてくれる本です。
 ただ単に海外の思想を紹介したというだけの人ではないか、思想家としてのオリジナリティとい う点ではかなり見劣りがするのではないか、といった見方がこれまでは一般的であったように思い ます。そしてこの本も、それを打ち消しているというわけでは決してない。しかしそんな見方を吹 きとばしてしまうような諭吉像がここにはある。この世の中を自分の手で動かしていこうとする人 間、いわば啓蒙という手段に依った政治家としての諭吉の姿が、誰の目にもはっきりと分かるよう に、この本のなかで描かれているのですね。
 というわけで人間をまっとうに評価するとはどういうことかということについても反省を促して くれることになるわけです。
(2008年7月27日)




 樋口覚「グレン・グールドを聴く夏目漱石」   (五柳書院・2001年7月発行)


 技癢を感じた、などと口走るほどうぬぼれてはいませんけれども、文章を読むことに多少の覚えの ある人間にとっては、くやしい思いをさせられる本かと思います。
 ひとくちに言えば、味のある読み方、ということになるんでしょうか。もちろんその知識にも、ま た目のつけどころにも敬意を表さずにはいられないんですけれども、なにより見事だと思うのは、か たよることのない、その円満な読み方なのですね。しかもそれが自身の文章経験をふまえて、じっく りと奥深いところにまで達している。
 どうも自らの底の浅さを思い知らされたようなあんばいで、にもかかわらず読後感は、なにやら心 地よいものがあるんですね。文章というものについて多少なりとも関りがあると思う人にとっては、 よい読書の時間を提供してくれる本ではないでしょうか。
(2002年3月4日)





 古井由吉「山に彷徨う心」   (アリアドネ企画・1996年8月発行)


 書かれている事柄は、表題を見れば一目瞭然、改めて説明の必要もないようなものなんですけれ ども、なにしろ非常な名文なので、そのことだけでも皆様に御紹介する値打ちはあろうかと思うの ですね。
 一見、達意の文章に見えながら、そして別段なんの含みもないように見えながら、それでいてす らすらとは読み進めることができない。あたかも山行三日目くらいの重い足取りを強いられるかの ような塩梅なのですけれども、しかしそれだからこそ歩んでいるのだという実感を得ることも出来 る。そして読むということが、日常から切り離された特別な行いというのではなく、日常の生活そ のもののなかで行われている事柄なのだという感触を、ふと得たりすることにもなるわけです。
(2004年8月9日)




 福田和也「第二次大戦とは何だったのか?  戦争の世紀とその指導者たち」   (筑摩書房・2003年3月発行)



 正直のところ、私はこの方のあんまり良い読者ではありません。なんというか、こんちくしょうめ という思いが先に立ってしまって、どうもその著作を手に取るのにためらいがあって…。石原莞爾に ついての大著も、読みごたえはあるのだろうなあと思いつつも、江藤淳の「海は甦る」のむこうを張 ったようでいながら、それより下世話な感じの文章にちょっと気後れがして買ってはいませんし。
 でも、これは、いい本だと思います。ことによるとこの方の力量がもっともよく出た文章というこ とになるんじゃないでしょうか。書かれていることの当否についてどうのこうの言う資格は私にはあ りませんが、とにかく、なるほどねえと思わされることだけは確かなのですね。たぶん意識してそう 努めているからかもしれませんが、物事を大局から把握する、その感覚は見事だと思います。あっさ りと書いていることの裏に、どれだけの調査と考察が重ねられているのか、それを思うだけでちょっ と怖くなるところもありますしね。
 とはいえ気になるところが一点。ド・ゴールの章で、アンドレ・マルローの文学を御用文学である とくさしています。そして真の文学は敗者のそれであるとも言っています。まさかこの方、自らの書 いたものを御用文学だとは思いもしていないでしょうから、つまりはご自身のことを敗者であると自 認していらっしゃるに違いありません。するとこの方、この方の語るド・ゴールと同じように、自分 が敗者であるのは、日本が小国でしかないからこそ「独立」が大きな意味を持つという認識があった ためであり、従って、実はそうではないのだということをしっかり認識しつつも敢えてそのように語 るという道を選ばざるを得ず、そしてそのことのうちに自らの敗者であることが顕れている、という ことになるのでしょうか。
 なんにしましても大きな枠組みのなかで今を考えるということを強く求めている本であることは確 かでしょう。
(2003年6月7日)








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