大人用音楽
YUMI’S MUSIC COLUMN

「The Catcher in the Rye」 → 「Thank You」 のなぞ?

 

『The Catcher in the Rye』 J.D.サリンジャー 著/村上春樹 訳 を読んで

 

超有名、「ライ麦畑でつかまえて」の村上春樹の新訳です。皆さん、ご存知ですよね?主人公は16歳の少年ですが、私も確か高校生の頃、文庫本を読んだ記憶がありますが、内容はぜんぜん覚えてなかったのでした。当時はピンと来なかったようなんだよね。共感しなかったんだろうね、きっと。

でも、今読んでみたら、共感しまくり!私はまだ、この少年レベルか、と思った。私が「大人用」なんて提供できる人間レベルじゃないことは、自覚しているのですがね…。何に共感したかというと、それはこの少年の物分りの悪さ、なんですね。いや、わかってるんだけど、認めないっていうか。放棄しちゃうのね。信じてるのは自分の感性のみなんだ。それに私は共感、っていうのと違うかなぁ、羨ましく思っちゃってるのかなぁ。そういうことができてないから。したいと思ってるのに…。全然、オトナじゃないでしょ?

高校時代、学校では優等生のフリをしてた私は、(シカオさんの「優等生」を聴いて、それとは全然違うことに、ショックだったんだけど(笑))、物分り良く、表面上うまくやってたんだね。まさに、フリね。それは今も同じで、そんなの、学校だって職場だって同じなんだなって思ってる。

自分を知らなかった高校生当時は、自信もないから、他者の許せないことを、はっきり認識できないんだけど、今はそれがだんだんできるようになってる。いい意味で、他人のせいにできるのさ。表面には出さないけど。(でも、私は物分りが良すぎるって友達に責められたんだけど…。)

この小説は、「思春期の純粋な心は素晴らしい!」なんて語り継がれてるんだろうけど、それは違うと思いました。純粋ならば、無垢に目前を受け入れちゃうでしょ?経験則で自分なりの取捨選択基準あって、それができなければね、自分で何も選べないはず。この主人公は、大人が書いた青春の理想像なので、経験を通じて得た純粋なんですよね。とすると、経験と純粋無垢は正反対なはずなんだけど、大人が思う純粋って、純粋の喪失という経験をしないと得られない純粋“性”、ということになりますね。

ある本に書いてあったんだけど、キャッチャー・イン・ザ・ライ症候群っていうのがあって、世界を敵と味方に分ける傾向があり、その基準は自分の好みによる。好き嫌いが激しく、自分と合わない人は敵で、味方は崇高に愛すべき存在となり、その理由は、自分の中にだけ明確にある。偽善的なものへの嫌悪感が強い。ほら、ヤバい…。私はこれに当てはまりますね。物分りがよくない感じでしょ?オトナじゃないというよりも、これはちょっとした病なんです。心理学的にいうと、「境界例(境界性人格障害)」といい、これにとても近いです。私にはこの傾向があるのですよ…。

 

スガシカオ アルバム『SMILE』より、1曲目「Thank You」を聴いて

 

この感じって、シカオさんの歌世界と似てるなーと思ったんですよ。シカオさんが「音楽と人」のインタビューで、「不安だから今をちゃんと生きられる。だから不安は希望と同じなんだよ、きっと。」って仰ってました。名言ですね!さすが、アンビバレントな素晴らしいことをおっしゃる!これ、私がパクらせていただきます。登録商標はないよね?(笑)

不安があるから、少しでも良くしようと思って今を頑張るか。そうかもね。不安がなかったら、何にもしなくなると思う、私も。まず絶対働かないな(笑)。快楽追及する気力も失うんじゃないかな、不安がなかったら。じゃあ、希望がなくなったら、不安もなくなるのか?そしたら、絶望→自殺ってなるのかな…。

〈ねぇ 明日 しんでしまおうかしら… もどかしいこと全てのあてつけに〉
〈ねぇ 明日 しんでもらおうかしら… ぼくと君以外全ての人に〉
〈そばにいて そばにいて そしてぼくの味方になって〉
〈信じない 信じられない こんな世界なんて〉

この曲の主人公は、「あ〜、キャッチャー・イン・ザ・ライ症候群、境界例だな?」って思ったんですよ。そのとおりだと思いません?この病みかた、まさしくそうだと思います。そしてそれは、シカオさんの「バクダン・ジュース」の詞からも窺えますよ。他の曲にもそんな傾向が感じられる部分がわりとあるんですよね。

詞は、想像して、その世界にトリップして、自分でも判らない間に書きあがっていることが多い、どうしてこんなこと書いたんだろう?って、出来上がってから思うことも多いというシカオさん。だけど、〈ぼく〉と〈君〉が中心の世界で綴られるそのリアルさに、どうしても〈ぼく〉をシカオさん自身に重ねてしまいます。否定されてもね、不可避なんですよ。シカオさん自身にも、境界例傾向があるに違いないと、私は思ってるんですが、そういう人は多く、だからこれだけ多くの共感を寄せる人がいると思うんです。

「Thank You」は、境界例傾向丸出しで綴られていくのですが、最後に〈ありがとう〉と4回歌われることによって、本当に病んでいないことがわかる。この境界線があるかどうかで大きな違いなんですね。私はここで、すごい泣けます。感謝の気持ちでいっぱいになります。心が洗われる。この着地点、素晴らしいですね。人間らしくて、とてもとても好きです。サウンドはもちろん、詞も最高なんです!私のレビューも読んでね!

 

村上春樹さんの小説とスガシカオさんの詞。私の中では切り離せないものなんです。
〈ぼく〉が漢字ではなくひらがなだという、地味な共通点が、もしかしたらとても大きい
かもしれません。

村上さんとスガさんは、互いにその作品のファンだという、相思相愛の仲なんですよ!
その中に私も入れてくださいって感じです。作品がないんだからダメか…(笑)。

 

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