「魂は存在するのか?
それは有限なものなのか。無限なものなのか?
死と共に消えてしまうものなのか?
あるいは死を超えて生き残るものなのか? 我々には意識というものがあり、肉体の中にある。そして、我々の肉体の外には別の世界がある。我々はその内なる意識と外なる世界の関係性の中に生きている。その関係性は往々にして、我々に哀しみや苦しみや混乱や分裂をもたらす。 でも結局のところ、我々の内なる意識というものは、ある意味では外なる意識の反映であり、外なる意識とは、ある意味では我々の内なる意識の反映ではないのか。つまりそれらは、一対の合わせ鏡として、それぞれの無限のメタファーとしての機能を果たしているのではあるまいか?」 以上は、村上春樹「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」ロシア語版に寄せられた序文からの引用です。とても共感したので、勝手に拝借させていただきました。 冒頭の問いへの答えは、今を生きている我々には、誰にもわからない。Nobody
knows. 私のSOULは濃いのか薄いのか、自分では計りかねますが、(世界標準・SOUL計なんてないしね(笑)。体脂肪計のように手軽に計れたらいいのに。血量や骨密度のように重要よね。)温度は低いようです。冷めてます。残念ながら…。 それと関係性があるかどうかわかりませんが、私はSOULの濃いい人が好き。温度の高い人が好き。温度が高いといっても、それにはいくつか種類がありまして、〈熱い人、暑い人、暖い人、温い人〉がいます。いいですね。でも普段、普通に話してるときは、表面温度は平温か低温気味のほうがいい。その話の内容が濃く、体内温度が高い人がより好きなのです。見た目薄いけど、血が濃そうな人というとわかりやすいかもしれないですね。 これはそのまま、私の好きな音楽、ミュージシャン、アーティストに当てはまるわけなんですよ。つまり、そんなSOULが詰まったMUSICが好きなんです。そんなMUSICIAN、ARTISTが好きなんです。中でもシンガーソングライター、詞曲はもちろん、編曲、演奏までやっている、そのARTISTのSOULが詰まりまくったMUSIC=SOUL MUSICが大好きなんです。 私が〈SOUL MUSIC〉として感じることができる音楽は、ごくごく限られたものだけだけれど、私のSOULが熱いMUSICIAN・ARTISTのSOULに邂逅した瞬間、その鳥肌な感じ、体温が熱くなる感じは、素晴らしい、かけがえのないものです。私はそれに支えられて、哀しく苦しく混乱した外なる世界の中で生きているような気がします。私にとって、その外なる世界を最も感じやすく表してくれてるのがSOUL MUSICであり、(反映というより象徴といえるかも)、人間の内なる世界をも感じやすく表してくれている。それは、私の鏡となってくれるのです。 POP MUSICに属するSOUL MUSICは無限のメタファーを有しているのですね。 誰かのSOUL MUSICは、それぞれ違うもの。十人十色。各人各様、多種多様。 |