#155/155 ●連載 ★タイトル (CKG ) 03/06/30 19:42 (156) @コラム496 網膜剥離と病院の対応 ヨウジ ★内容 網膜剥離という眼にとって最も重大な病気が 飛蚊症と呼ぶ前触れで昨年末に発症した。 次第に症状が進んでその異常さに気付いたのは 年が明けてからだった。 近くの眼科医に行ったのが1月も6日になってからだったから 運が悪いと言えば悪かった。 (この時点では網膜剥離で左目の視界の右側3、4割が見えなくなっていた) その眼科医は一通り眼の検査をしてから網膜剥離だから できるだけ早く手術した方が良いと言い、 眼玉をひっくり返してどうのこうのという非常に痛いという手術の説明をした。 私はそれまで飛蚊症という言葉も聞いたことがなかったし、 増してや網膜剥離などという病気はまったく知らなかった。 そのような痛い大変な手術のことを聞いて正直尻込みした。 そして網膜剥離とはどんな病気なのか。 手術に危険性はないのか。 手術するよりないのか。 良く知ってから決めたいと思った。 眼科医で手術できるものだと受け取っていたので、 即答ではなく、翌日とか翌々日とか 良く知って覚悟を決めてからにしょうと思った。 ところがその眼科医は何を思ったか、 最後に「紹介状」なるものを書き私に手渡した。 その時の私には「紹介状」の意味が分らなかった。 その名前からどこか特定の医者向けに私の病状を伝え 治療を引き継ぐ意味合いのものではないかと思った。 (後でJ病院に行き分ったが、「紹介状」があると 特定療養費3000円が免除される) これは私にとっては「他に行きなさい」と言われたも同然のことだったので、 黙って帰るよりなかった。 そして病気について調べる日々が始まった。 最初、家庭の医学書を見たが、 簡単な説明しかなく良く分らなかったので インターネットの検索で網膜剥離についての詳細な情報を集めた。 病気のことが良く分った。 病気の原因や手術法、 それから何人もの手術の体験談さえも得ることができた。 そして「これは手術するよりない」と決心した。 この時点で初めて手術は大学病院で行なうものだということを知った。 後はどこの病院にするかという問題だけとなった。 どこにすれば良いかまったく予備知識がなかったので これについてもインターネット検索で情報を集めた。 そしてある新聞社の「病院の選び方」というネット上の記事を参考に J病院にすることを決めた。 早速その病院に電話をして診察時間を聞き、 翌、1月9日(木)に行った。 眼自体の診察と全身の精密検査が2日掛かりで行われた。 血圧測定は勿論、いくつもの観点からの血液検査、尿検査、 胸のレントゲン写真、肺活量測定やHIV感染有無の検査までもが行われた。 1日目の検査が終わり、会計を済ませた後のその病院に対する印象は 高度にコンピュータ化され会計も速く、 これまで経験したことのない進んだ病院だなということだった。 そして2日目の検査が全て終わった夕方、 入院手続きをする部所に行くよう指示された。 行くと入院の細かい手続きを書いた書類を渡された。 書類にはボールペンで印が付けられていたり 補足事項が追記されていて、更に説明を受けた。 ところがその先の話は驚くべきものだった。 数千円や差額0の病室もあるが空いていなく、 1泊3万円台の病室しか空いていないというのだ。 (高級ホテルなみだ) それでいつ空くのか問いただしたら 「いつ空くかその日になって見ないと分らない」 という返事が返ってきたので耳を疑った。 網膜の剥離が刻々と進んでいて、 一刻も早い手術が必要な状況の中で、 本当は安静にしていないといけないのに 外来であちこち歩かせながら2日掛かりで検査を行って置いて 「1泊3万円台の病室しか空いていない」 「いつ空くかその日になって見ないと分らない」 というのだ。 手術が拒否されたも同然だった。 入院できる見込みもないのに 何故、多額の費用を掛けさせて検査だけ行ったのか。 急を要する病状なのだから、 そういうことなら他の病院を紹介してくれても良いはずだ。 病状や患者が置かれた立場がまるで考慮されていないかのような対応だった。 コンピュータ化は進んでいるが、 コンピュータ任せで部門と部門との肝心な連絡ができていないのではないか。 血が通っていないのではないかと思った。 それを裏付けるような2日目の担当医の受け答えもあった。 私の早く手術しなくても良いのかの問いに その医師は 「ここまで(視野の6割、視力を司る黄斑部も剥離)剥離すると 以後は1カ月単位で病状が進む」と答えた。 しかし後で分かるが、 黄斑部が剥離する前に手術するのが一番良いことは確かだが、 例え黄斑部が剥離してもできるだけ早く手術した方が治癒率が高い というのが常識なのだ。 (今になれば病室が空いていないことに合わせて言った言葉だったのでは ないかと思う) このような急を要する病状の中で 入院(手術)が拒否されたのだから、 他の病院を探すよりなかった。 頼るは最初に診てもらった眼科医しかなかった。 知り合いの眼科医がいるT病院に連絡を取ってくれ 翌、1月11日(土)に行くことになった。 土曜に行くと採血、採尿、心電図等の検査が行われ、 その後に眼の精密な診察も行われ、そのまま入院となった。 一旦帰って入院の準備をしてからにできないかと言って見たが、 担当医は安静にした方が良いからと即入院することを勧めたのでこれに従った。 以後は全て車椅子での移動となった。 トイレ以外は全て看護婦に押され車椅子で移動した。 午後も眼の診察があった。 翌、日曜や月曜は休日であったにも関わらず、 午後や夕方に手術に備えた眼の精密な診察が行われた。 3、4人の先生が代わる代わる診察した。 そしていよいよ手術をする翌1月14日(火)を迎えた。 夕方からの手術だった。 全身麻酔であったため、 病室を出てからの記憶はない。 当然痛みもなかった。 4時間掛かりの手術の後、病室に戻ってから 麻酔医に呼びかけられベッドの上で目を覚ました。 「気分は」との問いかけがあったので 「とても良いです」 「良く眠ったという感じがします」 と答えた。 手術をした左眼にはガーゼが当てられ何も見えなかった。 そして上下の瞼がくっつき痛くて開けられなかった。 眼にとって重大な病気が年末に発症したことは 運が悪いとしか言いようがないが、 肝心な時にJ病院の対応は酷いもので、 2日間多額の費用を掛けて行なった全身の精密検査は 手術日を遅らせただけで全て無駄となってしまった。 しかし、T病院が急きょ受け入れてくれたので、 運悪く週末で月曜も休日という条件の中では あの時点での最短の待ち時間で手術ができ、 不幸中の幸いであった。 視力は回復しなかったものの どうにか失明は免れた。                             ヨウジ *--------------------------------------------------------------------* | Backup&Copy BCOPY / Shell&Menu SMENU / 地球温暖化対策Program CO2 | | PC-VAN:CKG36422 e-mail:CKG36422@biglobe.ne.jp | | NIFTY :BXC02020 e-mail:BXC02020@nifty.com or BXC02020@nifty.ne.jp | | Home Page http://www5b.biglobe.ne.jp/~youji/ | *--------------------------------------------------------------------* P.S.悪い左目は手術により近視が進んだのでぼやけて見える。また明度が     やや低くなったことも物を見え難くしている。全体的には物が右目より     小さく見え、しかも細かく分けた各部分でランダムな歪みがあるので、     窓枠など真っすぐな物がギザギサに曲がって見えたり、活字は四方八方     に踊って読み難い。だから左目の近視が進んだからと言ってレンズの度     を強くすると、出来損ないの立体写真のように物が二重三重に見えて気     分が悪くなってしまう。よって、悪い左目はぼけたままにして置くと、     脳が無視して右目だけで見るようになるので、やや見え難いものの普通     に物が見える。じゃあ、左目は何も役に立たないのかと言えばそうでは     なく、左方の視界を広げるために役立っている。それから物を立体的に     見て空間把握するのには役立っている。片目ではでき難い距離感も掴め     る。これらは左目が良かった時よりは機能が落ちたが、大事な働きをし     ている。もし将来右目が失明した場合には左目が役に立つ。今度はレン     ズの度を強くすれば良い。物が歪んで見え、また文字が踊って見え読み     難いが、失明よりは増しだ。