#2690/4530 連載 ★タイトル (CKG36422) 93/ 1/14 15: 9 ( 51) ●連載パソ通小説『権力の陰謀』 21.罠U ★内容  順調に行くかに見えたその仕事は、プログラム設計段階まで進み、その規模を再び見 積もってみると、開発前のなんと3〜4倍まで膨らんでいることが分かった。 全シス テムの相当量を占めるものになっていたのだ。 ソフトウェアの見積は建築等のように 具体的な根拠で見積もれないため、もっぱら山勘なのである。 このため、実際に設計 したり作ったりしてから見積もると、当初と差異が出るのが常なのだ。 普通、+−2 0〜30%位は当たり前になっているので、誤差の範囲と見なされる。 その分は残業 でカバーするよりないのだ。 この様に2倍を遥かに越える程となると、到底カバーし きれる量ではないのだ。 ところが、自分を含め当初4人の人員は、一人が力不足のた め何もせず抜けてしまった。 プロジェクトリーダーには、とてもできる量ではないか らどうにかしてくれるよう、何度も々々も頼んだ。 しかし、聞き入れて貰えなかった 。 信一は、システム設計を終わり文書化し、自分の分担分のプログラムの開発に入っ た。 しかし、他のグループに比べ大きく遅れを取っていた。 他のグループでは、も う、コンピュータを使ったデバッグに入っていたのだ。 このため信一は、プログラム 設計という工程を省き、いきなり、コーディングという作業に入らざるを得なかった。  こういうケースは、この会社でも初めてだった。 信一はサブリーダーとして、相当 の無理を強いられ、疲労の色を濃くしていた。 そして、プロジェクトリーダーに何度 も々々もこれでは駄目だからと訴えたのだが、聞き入れて貰えなかった。 おまけに、 そのプロジェクトリーダーは信一にこういう言葉を浴びせた。 「動かないの幾ら作ったってしょうがない」 「こっちは切り離しだ」 信一は、たぶん、こういう意味だろうと思った。 サポートしない、面倒見ない、こと によると捨てる。 これはまるで「お前失敗しろ」と言っているようにも聞こえた。  信一はこういうプロジェクトリーダーからの酷な言葉にも耐えつつ、そして、帰りの 電車での帝都の職員からの執拗な苛めにもどうにか耐えつつ、いよいよ疲労の色を濃く した自分に鞭打ちながら頑張った。 他の2人の部下もどうにか分担分の開発を進めて いた。 ウォークスルーと言って、上司が部下の作ったものを一緒にチェックするのが この会社の開発方針になっていたのだが、この仕事については、部分的にしかできなか った。 従って、担当者が努力する以外になかったのだ。 信一は仕様は設計したが、 プログラムの作り方については部下の方が知っていたのだ。  昭和57年11月、他のグループに遅れ、信一のグループも五反田での作業に入り、 信一も少し遅れて、分担分のプログラムのデバグに行き出した。  年が明け、昭和58年となった。 他のグループは五反田での作業を終え、現地での 総合試験の段階に入って行った。 信一のグループは五反田で作業を続けた。 信一は いよいよ疲労困憊となり、自分がもうこれ以上仕事を続けられないことを悟った。 こ のため、自分の会社にもそのことを告げ、社長と一緒にプロジェクトリーダーにその旨 を話した。 自分の分担分は終わるまでやることになった。 五反田で最後に2人の部 下と夕食の時に、そのことを部下にも告げ、「後は宜しく」と頼んだ。 部下の一人も 五反田での作業が全部終わらないまま、現地へ行くことになった。 信一はその部下に そのために作ったシステム設計書のハンドブックを祈るような気持ちで手渡した。 信 一はその後も、分担分のプログラムのデバグを続け、1月末で作業を終わらせた。 そ してその後、信一は休職に入ったのだった。  信一にとり、システムエンジニアとして最後まで職務を果たせなかったのは、これが 最初で最後だった。 失点ではあるが、どうして開発規模が3〜4倍まで膨らんだもの を無視して手を打ってくれなかったのか。 あの時、どうしてプロジェクトリーダーは あんなに酷い扱いを信一に対してしたのか。 それを恨んだ。 そして、相変わらず続 くこの帝都職員による執拗な苛めは何なのか。 それは後になり分かるのだが。                                    ヨウジ