#2512/4530 連載 ★タイトル (CKG36422) 92/12/11 15:56 ( 54) ●連載パソ通小説『権力の陰謀』 14.旅 ★内容  信一にとりあれは病気というより、丸2年間余り続けられた組織的なこっ酷い苛めに よる、極度のストレスと心身の疲労であった。 だから信一は帝都を辞めると、まず、 不幸な過去を忘れることを考えた。 このため、信一は退職後すぐに運動をしながら旅 をすることの出来るサイクリングに出かけた。 ユースホステルに泊まりながら、富士 山一周や北海道一周に挑戦した。    上野を17時50分に発車したゆうづる1号は翌朝5時3分に青森に着いた。   列車のホームから出ると同時に青函連絡船の船内であった。 「食堂」「・・船室   」という文字を見て、初めてそこが船内であることに気づいたのだった。 その津   軽号は大島や三宅島に行く船とは少し様子に違いがあった。 余り混雑しないから   だろうか、甲板には屋根がなく、食堂もなかった。 あの船の様に甲板にござ等を   敷いてまで乗船する必要がないわけである。 船内も透いていて、2等ではあるが   席をゆったり取ることができた。 わざわざグリーン席を買うまでもなく、ガラガ   ラなのである。    席を取って間もなく、隣にちょうど席を取った女性から、余ったからと言って、   おにぎりを勧められた。 私は礼を言って有り難く頂戴した。 船内の弁当売り場   は非常に混雑していたのである。 その女性は弟さんを連れていた。 そして、船   が函館へ着くまで、結構楽しく話を交わしたのだった。 もっぱら、旅に関係した   ことについてである。 その船上の4時間かなり親密であった。 相手がいること   、それは気を使うが、考える世界は広く、新鮮なのだった。 明るくて中々いい娘   さんであった。    港の側で早速我が愛車を組み立てた。 もうすっかり輪行(分解した自転車を袋   に詰めて持って行き、現地で組み立ててサイクリングすること)には慣れて、余裕   をもってその作業を行なった。 今回は荷物が多いのでナップサックで背中にもし   ょった。 しかし、北海道も以外と暑いのだ。 東京との空気の差を少しも感じな   かった。    函館山には自転車(二輪車)による登山は禁止であった。 高いがロープウェイ   で山頂へと登った。 確かに函館山の眺めは素晴らしかった。 変化とスケールに   富んでいた。 太陽を背にした方向の景色はH型(函館のイニシャル)である。   少しもやがあって、町の後方の山々までは見渡すことが出来なかった。 しかし、   360度のそれは真に絶景と言って良かった。 街にはかなり家が建っているが、   整然としていて、しかもビルディングでなく、異国的なたたづまいのために、そこ   に落ち着きが漂っていた。 屋根の色は赤・緑・青の3色がほとんどで、その点で   も整っていた。 そして、南方の津軽の海はその時も油を流したような静かな水面   であった。 本州側はやはり残念ながら見通すことが出来なかった。 帰路に時間   があれば再びそこへ登って、その200万ドルの夜景を見たいと思った。    この大沼までの路は以外と厳しかった。 睡眠不足に暑さが重なったからだ。   緩い登り下りが時々あった。 国道5号線には北海道らしさはなかった。 ただ、   疲労感だけがあった。 峠のトンネルでは、初めて前後のライトを着けた。 出発   前に家で修理した甲斐があった。 追い越してゆく車からの難を逃れ、その効果を   発揮したのだった。 そして、そのトンネルを出るとずうっと下りで、すぐ左方が   小沼であった。 小沼と大沼の中間にあるこのYH(ユースホステル)までは、そ   こからはすぐであった。    とにかく今日は疲れた。 今日中に大沼を見ようと思っていたが取り止めにした   。 初日は無理を避けたほうが良いと思うからだ。 さあ、今日はこの下段のベッ   ドでゆっくり眠ろう。 明日からはどんどん走らなくては。 限られた予算で北海   道のより多くを知るために。            (昭和50年8月15日金曜)  それは信一の肉体の限界に迫る過酷な旅であったから、信一は否応無しにそれに集中 した。 余りにも不幸な苦しい日々の後の旅であったから、喜びと感動に満ち溢れてい た。 北海道の大自然は厳しいが、この世のものとは思えない程美しく、信一の胸は高 鳴った。 信一は少し遅い青春を感じていた。 信一26才、真夏の北海道であった。