#2510/4530 連載 ★タイトル (CKG36422) 92/12/11 15:52 ( 96) ●連載パソ通小説『権力の陰謀』 12.決心 ★内容    「こんにちは」 私は生きている。 今日も生きている。 決して自分の良心を   粗末にすることなく。 こんなに徹底的に苛められても、私は今日も私らしく生き   た。 うちの課長の悪にも負けなかった。 私は絶対に悪には頭を下げない。    やっぱり、若山課長は悪人であった。 非常に手の込んだ方法で私を弾圧してき   たが、とうとう本性を表した。 差別の張本人は若山課長なのである。    昨日はあたかも私が帝都の風習に仲間入りしたと言うことにして上げておいて、   今日は一気に私を谷底に突き落とした。 職場総ぐるみで申し合わせておいて、一   人一人が操り人形のようにスッと態度を変えた。 いつもの揺さぶり戦法である。    それは私が差別の実態を知ってゆく段階ごとに、徐々にやり方を変えて、私の古   傷を何度も々々もかきむしりながら行われてきた。 私への差別は入都する時から   仕組まれていたものであった。 私は知っている。 彼らの汚い手口を。 私のこ   の日記帳は覚えている。 彼らが私にやり続けてきた差別を。 私は今日もこんな   に清く正しいのに。 彼らは私を絶えず傷付けながら、私があたかも反逆者である   かのように仕立てて行なったのだった。 それは非常に心理的な方法で、私の弱点   を捉えながら組織的に行われて来たのだった。 私の全生活をスパイしながら。   その目的は差別に近いようだ。 @それは弱いものに過重な負担を負わせるために   でもある。 Aそれによる自分たちの相対的浮上も目的である。 Bそして、残虐   を行なって、自分たちの享楽を得ると言う目的もあるのだ。 正に悪の根源が帝都   の組織に内在しているのである。 人事委員会も飾りものであり、いや、その官僚   主義を守るためにのみあるのだ。 帝都の売り物である実力主義(試験により管理   職を選抜する)も単なる飾りものである。 実力主義に名を借りた、官僚主義の一   面に過ぎない。 自分たち支配階級の利益を守るのに都合の良い人物しか合格しな   いようになっているのだ。 局長以下の全管理職はそのように組織されている。   それは官僚機構なら、そう難しいことではないはずだ。 局長が部長に命令を出す   。 部長が課長に、課長が係長に一般職員に命令する。 この間で命令通りにやら   ないものがいれば、弾圧して直接的に間接的に転落させることはいとも容易い。   その命令は非人道的なものであっても貫徹される。 何故ならばその不正を取り締   まる法律も機関もないからだ。 私への弾圧は課長クラスで行われているものであ   り、後者の間接的な方法により私を転落させることであった。 今、私は退職する   ことを決意している。 私が人事委員会の実態を知った以後の彼らの目的はここに   あった。 すなわち自主的に私を辞めさせることだった。 私は彼らの陰謀通りに   なったわけである。 恐らく彼らはこれに自信を深めただろう。 私はいとも容易   く締め出されたわけである。    しかし、私は負けたわけではない。 私はただ、正義を貫いただけである。 人   間の道を歩んで来ただけである。 彼らは外向きはあくまでも自分たちが正しく、   私が反逆者であるように言い張るだろう。 しかし、こんなにも正義感に富んだ私   が悪人に仕立てられたと言うことは、逆に彼らが自らの悪人たることを証明したに   過ぎない。    悪は彼ら公務員でない公務員であり、官僚主義集団である。 彼ら官僚主義の指   揮者すなわち悪は必ず滅びるだろう。 自然は見ている。 何が正しく、何が正し   くないかを。 そして、きっと正しい者のための時代がくるに違いない。 神は知   っている。 私が正しかったことを。 私は神に見守られている。 私は変わらな   い。 私は私らしく生きる。 私は神の道を行く。 私の道は苦しいかも知れない   。 しかし、また、私の喜びは真実のみからやってくる。 奥深い人間的な喜びな   のである。    私は今も燃えている。 真実を求め、愛を求めて。 私のこの情熱は決して冷め   ることがない。 神の道を行く限り。 私はそう創られている。 神はそうお創り   なさった。 私はこれ程の悪の前にも変わることがなかった。 今も真実と愛への   情熱に満ち溢れている。    だから私は負けたわけではないのだ。 私は正しいのだ。 人が悪と言おうが、   反逆者と言おうが、私が正しいと言う真実はそれらに関係なく存在している。 私   は変わらなかった。 益々正義感を強めただけである。 私は勝った。 私は超人   的な強さであった。 私は私一人で多勢に勝つことが出来た。 私は永遠に変わる   ことがない。 神は望んでいる。 私が神のために働くことを。 私もそれを望ん   でいる。      神様!!      私に力を下さい      悪を懲らしめる力を      私に生命を下さい      正義のための力強い生命を      私は働きます、あなたのために      私は決して人の心を踏みにじったりはしません      思いやりを忘れたりはしません      同情の心を大切にします      私は弱い人には力を貸してあげます      助けを求めている人にこそ力を貸してあげます      人に尽くすことが私の喜びです      その人のためにしてあげて、その人が喜ぶ      その人の喜びが同時に私の喜びなのです      悲しんでいる人がいれば      どうにか慰めてあげたいのです      そうしたくなるのです      困っている人がいれば「どうしたの」と言ってあげたいのです      悩める人がいれば、助言してあげて      どうにか悩みを解消させてあげたいのです      そういう気持ちになってしまうんです      理屈ではなく私の感情です      人にしてあげたい      人に尽くしたい      聞いてあげたい      言ってあげたい      とにかく人にしてあげたいのです      それによってその人が本当に喜んでくれるとき      私は喜びを感じ、そして幸福なのです      そして、私の喜びは自分の真の向上による喜びです      そうなのです      真実と愛、それが私の喜びなのです      それが私の幸福なのです      だから私は真実を求め、愛を求めるのです      これが私なのです      だから私は変わらないのです      だから私は燃えているのです            (昭和50年1月10日金曜)  水色の表紙の日記帳の最後のページに、信一はそう記したのであった。