#2499/4530 連載 ★タイトル (CKG36422) 92/12/11 15:40 ( 92) ●連載パソ通小説『権力の陰謀』 1.プログラマー ★内容    今日も青空が見えて、白い雲のある快い陽気であった。 そして、日は目に眩し   く輝いていた。    段々と落ち着いて、近頃の私は揺るぎない。 それは、苦しいことに幾度出会い   、参りながらも耐えてきたからだろうか。 そこから逃げずに真っ向からぶつかっ   てきたからだろうか。 目立たない毎日の積み重ねなのだろう。 世間の醜さに出   会っては傷つき心暗くし、明るい希望の持てない私であったが、その時、悩み苦し   み考えあぐんできたことは、無駄のようで無駄でなかったように思える。    苦しく、暗い青春ではあったけれども、考えに考え辛い孤独に耐えると言うこと   は、根っからしっかりした人間が出来るためには、必要不可欠のことのようにも思   われる。 人が出来るとは「自分の考えが確立していて、他力にも揺るがず、自分   の道を真っすぐ行ける。」と言うことなのだろう。 自分の考えが確立するには勉   強が必要であり、積極的な経験と読書をすることだと思う。    明日もまた頑張ろう。 この命ある限りは。 明日も人間らしく生きよう。 た   った一度の人生なのだから。 (午後11時10分)  大手コンピュータメーカの東光電気にプログラマーとして勤務する加藤信一には、中 学校時代から日記を付ける習慣があった。 日記の中でその時自分が置かれている状況 を認識したり、自分の考えをまとめたり、反省したり決心したりするのだ。 勿論、出 来事の記録をとるという意味もあるが、それより心の記録を記す意味の方が大きかった 。 信一はいつも枕元に電気スタンドをつけ、筆を走らせるのだった。 心揺れ動く青 年だから、死ぬほど辛く暗い日もあるが、明るく充実する日もあった。 昭和46年1 2月2日、買いたての藍色の日記帳の第1ページであった。 、信一の専門は機械工学であったが、図面を引くのが苦手で、肩が凝り疲れるので、そ の道には進まなかった。 高校を卒業し、一旦電気メーカへ就職したが、夜、専門学校 へ通い情報処理を学んだ。 図面は苦手でも、理数系の深く考える分野が好きであるこ とを自覚していた信一が選んだ道であった。 そして、今やっている仕事が憧れの仕事 のはずであった。  「パタパタパタ」と超大型コンピータX−1Lのタイプライターがけたたましく印字 を始めた。 /S 1971/12/16 19:27:41 NORMAL TERMINATED /S 1971/12/16 19:27:46 JOB END  「やった、デバッグOKだ」、信一は思わず叫んでしまった。  振り返えれば長く苦しい日々であった。 ハードウェア(コンピュータそのもの)の 仕組みやアセンブラーという機械そのものの言葉を勉強するところから始め、まる2年 かかってやっと手にした成果であった。 無味乾燥で難解なマニュアルを、何ケ月も机 にへばりついて読み続けなければならなかったことも肩が凝り酷く辛かったし、寒い程 冷房の効いた体育館程もあるマシン室で、毎日徹夜でデバッグ(プログラムの間違いを 見つけ直す、この仕事特有の作業)するのもマラソン的な苦しみだった。 それにあの 時は国立勤務のため4帖半の相部屋の寮にいた。 信一が朝帰りし昼間寝ているときに 、布団の脇で別の職場のもう1人の住人が仲間を連れてきて騒ぐこともあった。 睡眠 不足で徹夜でやる頭脳労働の辛さは経験した人でないと分からないだろう。 身体の余 り丈夫でない信一にとっては尚更であった。  マシンのある三鷹からここ北区の自宅に着くと、時計はもう午後9時を回っていた。 古びた玄関の引き戸を入るとそこには大きなダンボール箱が置かれていた。 それは、 1週間前に会社の生協に頼んであった、この家で初めてのカラーテレビであった。 病 人のいる親戚の家へ手伝いにいった62才の母が帰ったら喜ぶだろうと思った。 信一 は初めて目にする色鮮やかなくつろぎにしばらく浸った。  憧れて入った道ではあったけれども、信一にとって決して幸福な日々ではなかった。 仕事をすることは沈黙であり、極度の緊張であり、それに人間性の乏しさを感じていた 。 何か自分が伸び伸び明るく振る舞えない職場だと思った。 それに22才の信一に は孤独は耐え難く、人間的な何か暖かいものを求めていた。 失った人間性を取り戻す 意味も込め、その頃、通勤電車では武者小路実篤に夢中であった。  その仕事が終わったことで、心の中の張りつめたものがなくなり、信一の心と体には 次第にとてつもない疲労感が頭をもたげ出していた。 そして、「この仕事は自分の性 に合っていないのではないか。 過酷な労働は自分には無理なのではないか。」と思う ようになって行った。  翌昭和47年1月早々、所属部長に退職希望を告げた。 部長に退職理由や今後の希 望を聴かれたが、普段から思っていることそのままを話した。 信一はそういう性格で あった。 例えそれが理解されなくても、上辺だけの作り話では空しいのだ。 皆が本 当のことを言えば、心通い理解しあえると思うからだった。 そうは言ったものの、信 一の胸には急に言い知れぬ寂しさが込み上げてきた。  その時、事務の樋口という女性が話しかけてきた。  「加藤さんやめるの」 信一は何のためらいもなくうなずいた。 しばらくして彼女は心配そうな顔で  「仕事が合わないの」  「職場で何か嫌なことでもあるの」 場所が場所だけに、信一はそれに答えることはできず、ただ、うなずいた。  「ぜんぜん、話す機会がなかったわね」  「加藤さん仕事が終わるとすぐ帰っちゃって言いにくいだもん」 信一は確かにそうかと思った。 改めなきゃいけないなとも思った。 そこで信一は  「じゃあ、今日どっかへ行こうか」と、いつも真面目一方なのに、このときは気軽に 誘いかけた。 彼女はすぐに承諾した。 信一は彼女が促すような口振りだったので、 そう言わずにはいられなかった。  定時退社後、2人は有楽町まで歩いた。 かつて経験したことのないことだったので 信一は恥ずかしくてしょうがなかった。 外面はそれを抑えて落ち着き払ってはいたが 、すれちがい様、冷やかしたり、変な笑いをする者もいるので、尚更であった。  本当に話が弾んだのはフライパンという店でスパゲッティーを食べた後の不二家でだ った。 信一は自分の身の上や、日頃、思い考えていることを彼女に話した。 彼女は 興味深げに熱心に信一の話を聞いた。 そして  「加藤さんて、普通の大人と違うのね」  「純真なのね」 とも言った。 また  「加藤さんて、面白い」と言い、人間的な興味を持ったようだった。 信一は彼女は 本当は自分のことをどう思っているのか気掛かりだった。 しかし、それはそれとして 、今日、人に向かって、しかも女性に自分の本心を打ち明けられただけで幸せだった。  いつまでもそうしていたいと思ったが、午後8時頃帰路につき有楽町駅構内で別れを 告げた。 師走の京浜東北線に乗る信一はかつてない感動を覚えていた。