藤原伊織 「てのひらの闇」
「男」の世界を描く傑作
99/11/07

トップの不倫、暴力団、政治屋、粉飾決算、リストラ、株価の暴落、吸収合併。最近の企業内幕ものの素材でいい加減うんざりする読者層も多いことでしょう。トップ層の無能、倫理観の欠如、あるいは権力欲、金銭欲、ポストに対する執着心などが大組織をも崩壊させるとの単細胞的思考で描く、あまりにも類型的な暴露的企業小説が溢れかえっています。
しかし、激変の環境におかれた現実の経営は決してそんな単純なものではないだろう。

この作品は同様の素材を扱いながら、しかもハードボイルドタッチのクールなアクションがふんだんに盛り込まれ、久々に私が私の仲間たちに「ぜひ読むべしと」薦められる充実した内容を持っている。

企業小説でその実相を的確に捉えているものは数少ない。数少ない中では高村薫の「レディージョーカー」があったが「てのひらの闇」は もっと時代が今と接近している。
今、民間企業はそのものが、これまでの延長線上に明日はないという窮状に置かれている。加えて、私達の年代は長いサラリーマン人生の終着点に立たされている。二重の意味で先が見えない。あるいは先がない。年老いた親がいる、独立できない子供がいる、ローンも残っているな、いつ転職か、解雇か、出向かと思い巡らし、寿命だけは無限にあるような気がしている。過去を振り返りその軌跡を自らの責任で評価するそうした崖っぷちに立っているのである。崖っぷちでこそ自信を持って自らの軌跡を評価できる美学を持ちたい。と、こういう人は多いんじゃないかしら。そういう人にぜひ勧めたい作品です。

藤原伊織『蚊トンボ白鬚の冒険』
「旧い日本的なこころ」を捨て切れない男たち
2002/06/01

今、無残にもメルトダウンしつつある「旧い日本的なこころ」を捨て切れない男たちの哀切を限りなく滑稽に、さらにふんだんにバイオレンスを取り込んで描いた現代の寓話といえよう。

超人的な格闘術を身に付けた主人公と凶悪な天才、不死身のソフトウェアプログラマーとの1対1の決闘シーン、その圧倒的迫力はそれだけで充分堪能できる。それがあまりにも印象的であるから、内容にはいささか濃厚さにかける嫌いがあって、同様のテーマであった前作『手のひらの闇』に比べ読み応えは軽量である。

画期的交通システムの開発技術をもつ、しかし今はマイナーな中小企業に着目した若い天才ファンドマネージャーが闇社会と結託してこの買収を進めていくが途中でやくざから負われるハメにおちいる。これを偶然に助けることになるのが、ただのんべんと毎日を生きている水道職人の貧乏青年・主人公。しかし、突然身に付けた超人的筋肉瞬発力。昔の恋人の影につきまとわれながらこの主人公を追いかける天衣無縫・好奇心旺盛な漫画的美女。彼らを追う旧いタイプのインテリやくざ。その親分は莫大な利益を生む暗号ソフトを開発した子会社を傘下に治めている。その暗号ソフトを開発した天才プログラマーはレイプ殺人魔であり、不敗の殺人技を持つ不死身の狂人。

マネーゲームからITバブルと今流行の世界標準、これがディファクトスタンダードであるとの押し付けを前にしり込みして、義理・信義・誠実・人情の旧弊にこだわって生きるしかない、あるいはそれに哀愁を感じる男たちが流されていく。そんなお話です。、流されつつある世代からみると結構共感できるところがあってスカッとした読後感でありました。

「株式市場では自分がいくら美人だと確信する女性がいても、彼女に投票しちゃいけない。みんなが美人だろうと思う女性に投票すべきというのが原則です。つまり個人的な確信は棚上げにして世間の人気を呼びそうな株を買う。じっさい、その株は値が上がる」
「ふうん。世間の錯覚の仲間入りをするわけね」
小説家にしてはいい指摘をしている。しかし現実はそれ以上に異常である。いまのマネーゲーム社会は「こういう人を美人というんですよ、このタイプをブスと呼ぶんです」などともっともらしい尺度をあたえ、錯覚させる環境作りが意図的に行われる。この「壮大なイリュージョン演出」をどこかの国に仕掛けられ、踊らされているのかもしれないのである。日本国債の格付けがボツワナより低くなってしまった。そうか、こういうのをブスというんだ。しかし、これではあまりスカッとしないではないか。

船戸与一 『夢は荒れ地を』
「(1)カンボジアにおいては、長年にわたった内戦が残した銃器や手榴弾等の武器が反政府組織の手に渡ったり、一般社会へ大量に流出しており、凶悪犯罪が多発する一因となっています。都市部以外の数多くの広範な地域では、治安当局の力が及ばず、武装強盗団や誘拐団が出没しています。また、カンボジア国民の間では一般的に反ベトナム、反タイ感情が強く、これらの感情に起因する暴動も発生しています。
(2)日本人を含む外国人を狙った犯罪も増加傾向にあり、2002年8月3日には、日本人女性の滞在者が、入居していたアパートに侵入した何者かに凶器で頭部を殴られ、頭蓋骨骨折の瀕死の重傷を負う事件が発生した他、同年8月23日には、在留日本人男性が自動車を運転中にオートバイと接触事故を起こした直後、相手に追跡され、後方から拳銃で銃撃される事件が発生しています。また、2003年1月29日から同30日にかけて発生した反タイ暴動では、プノンペンのタイ大使館の他、タイ系ホテルや企業など計13箇所が放火、略奪の被害に遭い、ホテルに宿泊していた日本人数名が現金を含め殆ど全ての所持品を奪われる被害に遭っています。」
2003/07/06
これは現在外務省の公式ホームページにある渡航者向け「危険情報」の一部です。外務省情報ですらこれほどひどく恐ろしい国情を伝えているところを見ると沢井鯨著『P.I.P』のカンボジア・プノンペンの風俗情報、警察・司法組織にある公然の「賄賂制度」も本当のように思える。

『夢は荒れ地を』では地雷撤去のための膨大な各国援助が政府上層部や政商の食い物にされている事情、人身売買・売春が国民経済、生活に組み込まれている悲惨、クメール民族の自治が中国人やベトナム人の経済、政治面の支配によって名ばかりに終わっている苦悩を克明に描き出す。
日本には情熱を傾けるものがなくなったのか。家庭や職業、権利や義務、おれをあったかく迎えてくれていたもの、おれを窮屈に閉じ込めていたもの、その一切合財から解き放たれた。そうすることによってしか獲得できなかったものがある。浮揚感。風と戯れ風に乗っかって生きているという実感。呼吸している肉体。強い陽射しに焼かれる肌。雨季の鞭打つよな雨にひっぱたかれる額や頬。おれは毎日ぞくぞくしているよ。

とカンボジアの荒れ地に消息をたち、クメール・ルージュの残党を組織し、売春構造から子どもたちを解放しようと途方もない夢を追う日本人の元自衛官・越路修介。
消息をたったこの元自衛官の妻と結婚しようとする友人、現役自衛官・楢本辰次は本人に直接会って了解をうるという男の筋道を通すためにこの地に飛び込んできて、彼に問い掛ける。責任は感じないのか。お前の浮揚感のために流される血に対してと。
カンボジア人の識字率向上のために汗を流す元クリスチャンの青年・丹波明和も楢本も、いずれもが底辺の地獄を目の当たりにし、修介のある意味で手前味噌、自己破滅願望で、見果てぬ「夢」を追い、そのためには不法も暴力もやむなしとする修介の生き方に徐々に共鳴していく。
もしおれがやろうとしていることにたいして成算がないとだれかが思えばおれを殺す。だれかがおれを人民党に売る。それが自然の摂理だ。おれの責任のとり方はその摂理が自然に決めてくれる。おれのちっぽけな頭でうじうじ考える必要はねえ。

ここまでキザに男の生き方なんて時代錯誤を吼えるのはいまや船戸与一ぐらいしかいないだろう。その男臭さをたんのうできる。待ってました!船戸!である。

ところで、カンボジアといえばあまりに身近な国だけに、いっぽう実情がよく理解できないところだけに、さらに過去日本が侵略した地域でもあり、手放しでこのバイオレンスを痛快だ、男の美学に酔ったとは言えない、そんな気持ちになる最新の船戸節でした。