桐野夏生 『東京島』

極限で露呈する現代人のサバイバル作法とは………と大見得切った作品なのかな?

2008/09/28

「32人が流れ着いた太平洋の果ての島に、女は清子ひとりだけ。いつまで待っても、助けの船は来ず、いつしか皆は島をトウキョウ島と呼ぶようになる。果たして、ここは地獄か楽園か?いつ脱出できるのか………。」

清子ら夫婦は夫が退職金でクルーザーをもてる、そのくらいの身分だったようだ。後から流れ着いた23人の若者は与那国島で臨時雇い労働からの逃亡組。そこへ中国人で島流しにされた胡散臭いのが11人。装飾帯コピーの「32人」とは計算が合わないが、死んだ人もいるだろうし、暑いので数え間違いをしているのかもしれないが「そして誰もいなくなった」ではないのだから、そんなことはどうでもいいのだろう。

まずいのを我慢すれば食うものには困らない程度に植物や動物が生息している。セックスのほうも清子がいるから民主的に何とかまわせる。一人や二人事故死か殺人があったところで、総体としては数年も生きていられるのだからね。精神に異常をきたすものがいるかと思えば、もともとちょっとおかしいやつらだから、そのまんまのようだねぇ。(フリーターなんてやっている連中はみんなこういう人種なんだといわんばかりで、そうだとしたらそれはあんまりではないですか)
「食欲と性欲と感情を剥き出しに、生にすがりつく人間たちの極限状態を容赦なく描き」とコピーがあるがそれほど酷い生活環境ではないな。
「読者の手を止めさせない傑作の長編誕生!」
ともあるがこれもどうかな。

ストーリーには盛り上がりがないし………。
そうかこれは現代の「グリム童話」なんだ。
と気がついて、では現代日本を痛烈に皮肉った何かがあるに違いない。隠喩?どこに内に含んだ毒があるんだろうと丹念に探してみたが容易なことでは見つかりません。
島流しになった中国人たちの知性、腕力、統率のとれた組織力、創意工夫力、サバイバル能力、危機管理能力を際立たせて、平和ボケした日本人をあざ笑っているのかもしれないなぁ。わからんでもないが賞味期限切れの乾燥ワサビ程度の刺激もない。

この閉ざされた原始共同体では、中年の女性でもセックスを武器にすべての男性を支配し、またダメな亭主をさておいて未経験の快楽におぼれることができる。これでトウキョウ島の女王だ。飽きられる頃には妊娠して子供をつくれば種族保存のための女神様だともてはやされるのである。「元始女性は太陽であった」んだ。現代社会での性差別に憤る女性たちに元始に戻って復権をとメッセージを送っているのだろうか。著者の『グロテスク』に通じるようなところもあるから、もしかしたら共感する女性読者もおられるだろうし、こんな風に論評するのはこのあたりでやめといたほうがよさそうです。

スケベ根性から過激なセックスシーンを期待するところもあったんですが、過激は過激でも「グリム童話」だからか、過激にエロいギャクを連発する谷岡ヤスジ風漫画のようで笑ってしまいます。

各章ごとに時間軸が前後するのでなにか衝撃のラストに向けての伏線だろうか。しかしこれはミステリーではないのでそういう意味で読者を混乱させる意図はなかったようです。
雑誌「新潮」に2004年1月号からとびとびに2007年11月号までかなり長い期間にわたり掲載されたことが最後に記されていました。もともと連載長編だったのかそれとも短編の合冊なのかよくわかりません。

この作品、谷崎潤一郎賞を受賞しています。だからとにかく「女はしたたかに生きよ」という大切なメッセージがあるように思われました。

帚木蓬生 『インターセックス』

インターセックス。古くは半陰陽、両性具有と称されたが、外性器の形成や生殖器、染色体が曖昧で男女の一方に分類できない人々。広義にみると100人に一人の出生頻度で出現する。

2008/10/07

久しぶりに帚木蓬生が医学界の現状に真摯に向き合った好著を手にした。
なにしろ冒頭の医療事故の裁判があまりにも迫真的だった。
これは新聞記事だが、去る8月20日、帝王切開で出産する患者が死亡した福島県立大野病院事件で福島地裁は業務上過失致死罪に問われた医師に無罪を言い渡した。検察側の「癒着胎盤を認識した時点で、胎盤を子宮からはがすのをやめ、子宮摘出手術に移るべきだった」とする主張は退けられ、胎盤をはがした医師の判断を標準的な措置と認めたものだ。この判決を予期していたように専門的なことはわからないが読む限りまったく同じ論点をこの小説で展開しているのだ。弁護側証人・岸川卓也が颯爽と登場する。死力を尽くした医師を逮捕拘留することが許されるならわが国の産婦人科医はもはや異常分娩は取り扱わなくなると言及し、今、現実に激減しつつある産婦人科の問題を指摘している。

インターセックスの子を出産した親がどんな気持ちで子育てをするのか、どういう苦痛が本人の成長過程に待ち構えているのか、軽々しく想像することは不謹慎であろう。本著にはいくつもの苦悩の挿話がここを伝えてくれる。インターセックスに対する医療措置はどうやら生まれてまもなくの幼児を親と医師が男にするか女にするかを選択しできるだけ早い時期に外形的な手術を施すようである。岸川が院長を務めるサンビーチ病院も同様の方針で対処している。しかし、主人公の泌尿婦人科医・秋野翔子の考えは異なる。翔子はその選択は本人が一人前に成長してから本人みずからが選択すべきだと主張し、当初は岸川と対立する。やがてインターセックスの人たちと交流を重ね、人は男女である前に人間であり、インターセックスのままに生きるという選択に人間としての尊厳を見出す。翔子をサンビーチ病院に招聘した岸川もやがて彼女の医療哲学に啓発されていく。
著者の初期の作品『閉鎖病棟』。世間から隔離された生活を営んでいる精神病院を舞台に、彼ら「異常者」の日常生活を通して、「健常者」より確かな人間の善性を謳いあげた。その強烈なヒューマニズム精神に深い共感を覚えたものだ。この作品はそこに通じるところで、帚木蓬生復活! である。うれしくなった。

「やがて翔子は彼女の理解を示す岸川の周辺に不可解な変死が続いていることに気づく………」
と、途中からサスペンスタッチのオマケがついている。この『インターセックス』だけを読むと「不可解な変死」の謎解きはとってつけたかのような印象をもたれるかもしれない。
ところが、岸川とは生殖と移植では「神の手を持つ名医」。贅沢な施設と高度な医療を誇るサンビーチ病院の院長だ。と読者が理解すればこれはあの『エンブリオ』の続編ではないか。
『エンブリオ』、生殖・移植の先進医療を描いていた。グロテスクなエピソードの氾濫に度肝を抜かれた。そしてラストの後味が悪かった。常にヒューマニストであった帚木蓬生のイメージが変わったとの印象だけが残ってしまった。ところがこの作品はあの天才的なマッドサイエンティストの後日談として構成されていたのでホッと胸をなでおろしたところである。『エンブリオ』を読んで消化不良になった読者は『インターセックス』を読まれたほうがいい。
その意味でも 帚木蓬生復活!だった。


池上永一 『テンペスト』

読む前に私はこの作品が琉球王朝の末期を舞台にした本格的歴史小説だと思っていました。

2008/10/16

琉球の歴史を知らないので百科事典で小当たりしたところ、琉球王朝は1372年から1879年までの約500年間続いた独立国家でした。
中国、日本、朝鮮、東南アジアの文化を摂取し、琉球古来の文化に立って創造された独自の性格を持つ文化圏です。王宮首里城のある首里には多くの建造物が建てられ,琉球文化の華を開かせました。王朝の経済的基盤は王の経営する国家貿易です。琉球船は自国産の品物に加えて豊富な中国産品を積み、日本、朝鮮、東南アジアへ、それぞれの国々で特産品を入手し,その品々を使って中国との朝貢貿易を展開するという典型的な中継貿易を推進していました。近世に入ると薩摩、幕府に従属してその基本制度を受け入れつつ中国との伝統的な関係も維持して、そのうえで国家的存在としての王国の存続を図るという条件下に琉球はおかれ、ストーリーもこのあたりの政治的駆け引きが背景になっています。

あらすじは装丁帯から引用しますと
上・若夏の巻。珊瑚礁王国の美少女、真鶴は性を偽り宦官になる。王府入りした真鶴はフル回転で活躍するが待っていたのは、流刑であった。
下・花風の巻。流刑にされた宦官・寧温は九死に一生を得て、側室として返り咲いた。折しも内外に国難を抱える五百年王国にペリー来航。近代化の嵐が吹きすさぶ。近代化の波は容赦なく涙と愛をもたらした。さらば王宮、大団円。

そして北上次郎と筒井康隆の宣伝文句がついています。
北上次郎「読み始めるともう絶対やめられないのである。圧倒的にリアルで迫力満点なのだ。いやはや、すごい」と手ばなしの絶賛。
筒井康隆「主人公の人生を共にする悦楽。ゆったりした物語の構築力はすでに文豪の風格だ」とやはりこれも一種のほめ言葉なんでしょうね。文豪ってシェイクスピアとかデュマのことをイメージしているのかしら。

浅田次郎の傑作『蒼穹の昴』の琉球版かと思わせる滑り出し。十歳の美少女・真鶴が宦官だと性を偽り美少年・寧温として「科試」を最優秀の成績で合格しあれよあれよと出世階段を駆け上るのですから。このスタートは疾走感で躍動していました。

ところで北上次郎、筒井康隆のご両所のこれほどまでの賛辞はいかがなものでしょうか。また私の本格歴史小説だとの思い込みは誤解でした。美しい乙女が色と欲との渦巻く宮廷内の妬み嫉みでいじめられるのですが、大奥マル秘物語と似て非なるところは陰湿さがなくむしろイジメの華やかなコンペティションといった具合の劇画タッチ。なぜか女であることがばれると斬首にされるという前提ですのでだれにも気づかれないように女になったり男になったりのその早変わりのドタバタが見所になっています。露見したらかわいそう!とハラハラさせる仕掛けでいっぱいですが、私はこの繰り返される非リアリズムに退屈してしまいました。笑ってはいけませんよ。あら!私ってどっちで生きればいいの?なんて深刻そうに悩んだりもします。妖術、淫術が出てくるファンタジーでもあります。勿論恋あり涙あり歌ありです。男からも女からもモテモテ。まつげの長い大きなオメメの美男美女が恋とロマンに大活躍といった少女マンガを読んでいるようで、ちょっと気恥ずかしい思いで読み終えました。いくら末期的だったにせよ当時の宮廷政治がこんな能天気な輩だけで動いていたとは思えません………などとそんな読み方をしないでミーハー的に読む作品なのでしょう。

門外漢ですが宝塚の「ベルサイユのばら」はこんなあでやかさなのかもしれません。