船戸与一 「緋色の時代」
期待はずれの大作

船戸与一が「虹の谷の五月」で直木賞を受賞、その後の長編第1作ですから期待が大きかっただけに「緋色の時代」には肩透かしを食らわされました。

ソ連のアフガニスタン侵略において苛烈な残虐行為が行われた。これにかかわった特殊工作員たちはその行為によってどこか精神が蝕まれ、性格破綻者となってソ連崩壊後のロシア各地で犯罪組織を構成する。アフガンの同志は敵味方に分かれながら血で血を洗うマフィア抗争が繰り広げられる。腐敗した警察機構と軍隊がこれらと結託、エルロイが描いたアメリカを上回る惨劇の連続を描写していく。登場する日本人はロシアマフィアが企てるヘロインの日本密輸を阻止する使命をもつ男なのだが、これもサディストで殺人を抵抗なく行う変質者であります。

「船戸文学史上最大の殺戮と流血」とあるくらいだからはじめから終いまで確かに惨殺・暴行・戦闘シーンと血糊で貫かれております。武器が最近の製品ですからアメリカのマフィアなど足元にも及ばぬ重火器でドンパチやらかしてくれます。抗争というよりも戦闘ですね。「ゴッドファーザー」に似たようなところはあるが、しかしストーリーが平板で膨らみがなく深みもない。まだ「仁義なき戦い」「東映任侠もの」のほうに緊張感がある。正直言って、これが直木賞作家の手になる作品かと大いに落胆しました。

船戸与一の作品の魅力はいくつかあるのですが、辺境の少数民族が圧制に抵抗するジャンルが私は好きでした。そこでは、弱者が勝利する場合もあるし、たとえ滅び行くにしても、明日に託した希望のかけらへの哀愁、あるいは悲壮なその運命に心が揺り動かされる作品がありました。

現代ロシア経済に資本主義のマーケットが育たず、マフィアの闇市場が中心にあるとのお話はよく聞くことで、その意味ではこの作品は情報小説としての価値があるのかもしれないが、
それにしては表社会との接点がまったくふれられていないため、ロシアという国は真っ暗闇世界しかないと誤解されますね。

ところで「緋色」とは何をさしているのでしょうか。
@共産党の赤旗
Aドンコサックの制服の赤は自由
B血の色
Cケシの花の色。
もっともらしい題名であるが日本人感覚ではあまり意味はないですね。
私は「緋」というと緋牡丹のお竜姐さんの艶姿を思い浮かべます。

参考 2002/02/11 産経新聞 関口苑生
本書はそうした個の秩序から始まって、組織、国家、そして世界の秩序とはいったい何に、どこに根差すのかを、激烈なエンターテインメントの衣装をまとわせながら問うた冒険小説の傑作である。こういう作品はどこに出しても恥ずかしくない、純日本産の世界文学と称してもいいだろう

ホントかいな!ここまで激賞されるとは。


松本清張 「点と線」
「点と線」の思い出
2001/10/17

小倉、小倉城址に松本清張記念館を訪ねる。たまたまイベントで上映されていたオリジナルの「点と線」を見る機会に恵まれたのだが、清張とコンビを組みその数々の名作に視覚効果で魅力を加えた風間完画伯の原画をもとに製作された静止アニメとでも言うのだろうか、昭和30年代の高度成長胎動期にあった光と影、解き放たれようと暗い欲望がそこかしこに潜んでいる雰囲気が美しく映像化され、思わぬ見つけものであった。

私が推理小説を本格的に読み出したのこの「点と線」から受けた衝撃、それは仕掛けられたアリバイ、北海道と九州間のとてつもない距離感であったし、また東京駅3分間(2分間であったか)の読んだ人なら忘れられないであろうあのトリックであったのだが、何よりも現実に存在する時刻表を虚構世界に取り入れた発想の目の覚めるような新鮮さにあった。
当時の少年であった私は登場する女性の異様に屈折した心理が理解できないまま、ただ妖しいエロティシズムを感じたものでもあった。

「点と線」は清張が「社会派」とされる以前の作品なのでしょうね。戦後の日本ミステリーの系譜などと知ったかぶりを語るつもりはないが、この類の饒舌もたまにはいいのでこれは「本格」推理小説であるなどと、やはり知ったかぶりで断定しておこう。
「点と線」における挿画に記憶はないのだが、これは単行本を読んだせいで雑誌「旅」の連載には挿画がついていたのだろう。だからこの映画を見て登場する主要な女性たちが全員和装であることに気づきはっとした。そういえば当時は和服姿が日常に見られたような気がする。確かに私の母も伯母達もいつも着物で生活していたとの記憶がよみがえり、むしろ一定の年齢を超えると女性は誰もが和服を着ていたのではないか、そんな記憶を持っている世代で、はたして最近の新作ミステリーに興味を持つ同好の士はどのくらいいるのだろうかとつまらないことを考え、我が年代はハウツーものや経営者のための必読本(経営者ではない人も)、はたまた座右の書であると構えられるその種の古典は好んでも、この手の役に立たない小説はあまり受けないのかもしれないと孤独感、それにしても昭和30年代の風俗はやはり遠い昔の思い出になるのかと今日はいささかセンチメンタルである。

松本清張 「黒い画集」
「黒い画集」の頃
99/09/26


さて私は中学生の頃にはミステリーの何を読んでいたかなと考えていましたが松本清張の書き込みを見ますと「黒い画集」についてまるで昨日のことのように当時を思い出すことが出来ました。私とミステリーの出会いは清張でありその「黒い画集」にありました。私らの中学生時代は「恋愛」「恋」「恋人」「思春期」と言う概念すらおぼろげでありましてそういう文字を親の前で見ることが気恥ずかしい、またそういう情報が普通では家庭内では入ってこない、そんな頃でした。まして、「黒い画集」が描いた「愛憎」「情欲」「情痴」「嫉妬」「物欲」「出世欲」など生々しい情念、欲望の世界は家庭とは別の場所でどちらかと言えばいささかの罪悪感を伴ってかいまみるのが純な少年、私でありました。

「黒い画集」は忘れもしません週刊朝日に昭和33年 、私が中三の時から連載されたものです。当時は週刊誌も限られていて、「健全」だったのでしょう、週刊朝日は我が家の定期購読紙だったのです。びっくりしました。ショッキングでした。興奮しました。何しろ「目覚めかけし少年」の前で公開情報にて「大人の欲望の世界」への扉が開けられたのですから。しかも確かに周辺にあった横溝正史や、江戸川乱歩とは全く異質なリアリティを備えた風俗を描いていることは、その辺の感覚は早熟であった私が理解するに時間はかかりませんでした。そんなわけでよく覚えているのです。
図書館などというものはなく私にとって図書館に変わるものは「貸本屋」でした。思い出しました。「眼の壁」「点と線」、それから水上勉、黒岩重吾いわゆる社会派と呼ばれた初期ミステリー黄金時代はこの頃から始まっていたのでした。貸本屋へずいぶん通っていました。

週刊朝日連載順は次の通りだと思います。
「遭難」「証言」「坂道の家」「失踪」「寒流」「紐」次に「凶器」「濁った陽」最後が「草」「天城越え」は元々「黒い画集」にはありません。あれはサンデー毎日の特集号に掲載された独立した中編小説でして、完成度の高い名作です。

「黒い画集」はあの時代を反映した清張の代表作である。その十年ほど前は全体主義社会で、個人の基本的人権はなく、経済的にも耐乏生活を強いられていた地獄があった。戦後、この頃から本格的に資本主義、経済合理主義、利潤こそ正義の時代が始まろうとしていた。欲望を追求する。そこには破滅があるかも知れない。この破滅を描いたのが清張の世界ではあるが、一方欲望を追求しそこで成功を収めることが出来る。これが今からの時代なのだと。それで日本は走り続けたわけです。