荒山徹 『処刑御使』

この挿絵、怖いですね。まるで、最近の日本製ホラー映画に出てくる化け物のようだ。

2006/09/23


装丁帯にこうある。
その密使は、時空を超えてやってきた。朝鮮を侵略した仇敵を抹殺するために………。
伊藤博文、絶体絶命!
韓流も嫌韓流も唸らせる、壮大無比な伝奇時代小説、ここに誕生。
「おれは長州藩の伊藤俊輔だ。足軽以下の小者で、閣下なんて呼ばれる身分じゃない」
「今はそうでも」女は畏まった口調で答えた。
「閣下はいずれ、大日本帝国の初代内閣総理大臣――宰相におなりあそばします。わたしは、閣下が総理大臣となられる時代から参ったのです」
「………莫迦な。その………未来から、来たと?」

このコピーを見ただけでおよその筋書きが見える
で、こんな風に思った。
荒山伝奇小説もいよいよバックトゥザフューチャーかよ。
李朝朝鮮国は日本の宰相・伊藤博文により植民地にされる。
だから、朝鮮の刺客がタイムスリップ、若き日の伊藤博文=伊藤俊輔を抹殺して日韓併合の歴史を覆そうとする。実際予想通りの筋書きだった。
歴史改変の戦いについては、古くは豊田有恒『退魔戦記』が、映画ではシュワチャンの『ターミネーター』って名画など数々の作品があって、このアイデアに驚くような新しさはない。

李朝末期、政権の中心にある事大主義の反日的派と日本と結びながら自主近代化を進めようとする開化派の抗争。この史実を背景に時空を超えた死闘が展開する。

最近、朝鮮併合とは欧米列強の植民地戦略を阻止し、清朝中国・ロシアの支配からの朝鮮国独立を意図したものだする見解をよく目にする。私らの時代は日本の帝国主義的侵略だと学んだものだ。この論議が現代政治のアジア外交に重たく直結するものだから、実はこの荒唐無稽な伝奇小説もいささかきな臭い。伝奇小説はそれらしく遠い昔のお話にしておいたほうが楽しめるんじゃぁないか。
と、そんな気がかりもある。

厳寒の海原、一人小船を操る俊輔の眼前に全裸の女が浮かび上がる。ショケイギョシ?スタートの怪異からスピード感あるストーリーにひきつけられる。そして山田風太郎忍法帖も顔負けのグロテスクな妖術が次々に、長州武士団をなぎ倒し、殺しつくす。これが見所、読みどころのエンタテインメントだ。

しかしこの妖術は著者のこれまでの妖術とはかなり趣が異なる。視覚的なのだ。自ら変身し、物理的に岩山や林を損壊し、人間を大量殺戮するのだから、これは妖術なのだろうかと、とにかくその超人エネルギーたるや数ある伝奇・忍法小説でも前代未聞の破壊力である。実を言うと映画『X−MEN ファイナル・デシジョン』を見た直後だった。このミュータントたちの途方もない念動力が巨大建造物を破壊し人間を粉微塵にして吹き飛ばす映像の重量感に息を呑んだ。
荒山徹が作品を発表するたびにその妖術に珍奇な工夫をしているのはわかるが、具体的な破壊力の大きさだけを表現するのであればそれは映像技術にはかなわないと思った。

もともと荒山徹作品はお隣の朝鮮との外交秘史に奇想天外な妖術・剣法のさわりが程よく調和するところに独特の魅力がある。視覚と無縁に読者のイメージを膨らませる。そこには映像技術とは次元の違う面白さがあったものだ。


早瀬乱 『三年坂 火の夢』 

首都東京の成り立ちにはこんな不思議な伝奇、伝承があったのかしら。と首を傾げつつも本当らしさに魅了されます。
全国的な不平士族による反乱は鎮まったもののいまだその余韻が重たい政情不安の明治政府である。「三年坂で転んでね」――そう言って兄は死んだ。

2006/10/03
東京にはいくつかの「三年坂」があるという。その坂で転ぶと死ぬのだそうだ。父の失踪を探る兄が死んだ。明治32年(1899年)、奈良県S市。没落士族の次男坊に生まれた内村実之。貧しさの中のしかし実直の若者らしい青春の一ページが始まる。家族から立身出世を期待され、上京して一高・帝大をめざす受験勉強の傍ら父と兄に関わる真実を探るために奇怪な謎に肉薄していく。
高島鍍金、銀座に住まう高等遊民は夢を見る。東京が全焼する、顔の見えない人力俥夫が火の粉をあびながら炎熱地獄を駆け回る。帝都全体を炎上させるための要となる「発火点」がいくつかあるのだそうだ。高島がうなされるのは夢か幻かそれとも予知夢なのだろうか。
「三年坂伝承」と「発火点伝承」。大田道灌の江戸城構築よりも前から今に至る帝都の成立・破壊・再建の歴史には隠された国家的秘事がある!?その秘事にかかわる怪しい家紋をもつ一族の登場?
実之と最下層に生きる少年、鍍金と帝大工科の研究生。この二組がそれぞれにたどる二つの伝承に隠された真実が交差したとき………。

早瀬乱はこんなにもスケールのでっかい伝奇小説の装いを仕掛けている。あらすじを紹介するのに書き過ぎの感があったかもしれないが、これがいかに魅力的な小説であるかを述べたかったからである。それは半村良が名作 『産霊山秘録』で追った恒久平和を祈るべき特別の場所としての首都構想に似て、また荒俣宏の奇書『帝都物語』にある怨霊平将門の霊力による帝都破壊の真相を想起させるものだ。

銀座、虎ノ門、霞ヶ関、永田町、麹町、麻布、飯倉。大手町、神田、御茶ノ水、駿河台、湯島、小石川、本郷。九段、市谷、番町、牛込、飯田橋。根津、千駄木、谷中、根岸。参謀本部が西郷隆盛らの帝都侵犯に備えて作成した「五千分之一図」。三年坂を求めて、宮城を取り囲む下町と山の手、実之はとりつかれたように歩く、歩く。東京育ちの私にはどこもなじみの土地である。しかし、そこに関わるイメージは点と線でつながれた場所の平面地図に過ぎなかったのだ。この大都市は山と水辺と谷と坂道で成立しているんだな。いやおうなく東京という地表の起伏、深浅など立体的地勢を頭の中で俯瞰させられる。そして土木と建設による地形の大規模な人工的変形、時間の経過がかさなりぼんやりと四次元の座標軸に東京のかたちが浮かび上がる。まるで気づかなかった東京のかたちだ。この絶妙な仕掛けにものめりこまされた。

夢幻の世界に誘導させられる、本当にそんな伝承はあるんだろうか。参謀本部による「五千分之一図」なんてものがあったのだろうか。ふとその気にさせられるが、その事実を検証してみようかと野暮なことは考えず、ここは騙されているのだろうと楽しもう。ただ、実之の足跡は実際にたどってみたくなった。それだけのリアリティーは充分だ。

仕掛けは大掛かり、そういう羊頭狗肉の作品にもしばしばお目にかかる。でも犯人当てのミステリーとしてはどうか。犯人の意外性に不自然さがあるかもしれない。犯人のあぶり出しが陳腐だと言えなくはない。しかしこの作品の構成の妙にはなにごとにも変えがたい新鮮さがある。独創的であった。さらに現代に通じるテーマには奥行きと深さがある。
私たちがこうあればと願う首都に不可欠な要素、帝都成立時の実之ですらそれはもはや幻想でしか見られないほど都市化という破壊が進んでいた。規制撤廃のこのごろである。政治家のノリトにすらもはや都市改造計画という高い理念の発想はなくなってしまった。
だからこそこの作品のラストはやさしく、美しいのだ。


井上尚登 『T.R.Y. 北京詐劇 ペキン・コンフィデンシャル』

装丁帯にこうある。
天才詐欺師、伊沢修が帰ってきた!総統に、皇帝の座を。詐欺師には、財宝を!
甲骨文字に隠された謎、壮大な宴席。華麗なる駆け引きが、中国の未来を変える!
時は、1916年。稀代の詐欺師VS中国最高権力者 
詐欺師、武器は宮廷料理。ねらいは財宝。「遺跡をひとつ掘らせていただけませんでしょうか?」
袁世凱、野望は、皇帝即位。弱点は美味に目のないこと

2006/10/07

1999年に刊行された井上尚登のデビュー作『T.R.Y.』は実に印象的な作品でした。
題名からすると想像できなかったのですが、まさか辛亥革命前夜のロシア・朝鮮を巻き込んだ中国・日本の政治的駆け引きを背景にしているロマンだとは。日露戦争、義和団事件、日韓併合、満州国建国など歴史の事実を上手に消化した波瀾万丈のコンゲームミステリーでした。詐欺師、伊沢修の冒険、騙す相手は大日本帝国陸軍ですが最後の最後までハラハラさせられ、もちろん私も気持ちよく何度も何度も騙されてしまいました。

さて今回の相手は辛亥革命を横取りして総統になった軍閥、袁世凱に皇帝即位の餌をちらつかせ手玉に取ろうとするものです。
甲骨文字に隠された謎、壮大な宴席。華麗なる駆けひきが、中国の未来を変える!

袁世凱、河南省出身。1911年の辛亥革命によって首相に、清帝退位後、中華民国の初代大統領。1915年に帝位につくが、翌16年には反帝政運動が起こり失脚、憤死。装丁帯のキャッチコピーに「1916年」とありますがこれは間違いでしょう。帝政復活を目論んだ袁世凱と日本、欧米列強との綱引き、これに伝説だと思われていた殷王朝の存在が証明される河南省の文化史的大発見という史実を融合した背景により、前作よりさらにスケールアップしたコンゲームを楽しませてくれます。

ストーリー展開のスピード感がいい。上海で北京で日本で武安で、最終目的に向けて仕掛けた数々の詐欺劇がスリリングにテンポよく進んでいきます。
軽快さを倍増させるのが主人公顔負けのしたたかさで活躍する脇役たち。なんと魅力的なことよ。前回で契りを深めた革命派の豪傑・関虎飛、贋作屋の楊婆さん、腕白坊主の王小平、北京の大立者・徐勇老人、革命派の刺客・羅蘇文、ドイツ貴族のベルナー、落魄の映画監督ハワード・ウェイツなどなど。特に今回の立役者は宮廷料理の神様的存在であった祖父の血を引く跳ね上がり娘・江燕で、この娘とプロの調理人との腕比べ、そして袁世凱を招く大宴会料理の成果はと、大きな山場になっています。宮廷料理のうんちくもまた楽しい。

コンゲーム小説、詐欺や騙し合いをテーマにした痛快な犯罪サスペンスと一般にいわれます。この通りの痛快さを堪能できました。
革命の理念などはどうでも、ふんぞり返っている奴をやっつける、まして銭儲けならと、ドタバタと暴れまくるこの現実主義の仲間たちは愛すべきだ。これに対する袁世凱とそのスポンサーであるシャミール財閥の親子もまた愛すべき現実主義者といっていいでしょう。
善玉・悪玉の区別なし。ゲーム感覚の娯楽作、現実主義者同士の、というより欲ボケの悪党たちと言ったほうがふさわしい、滑稽なぶつかり合いをクスクス笑いながら楽しもう。もちろん義理と人情の浪花節もたっぷりと味付けされています。

ただし、この手のお話は登場人物同士の騙しあいに面白さがあるだけではない。読者を騙すどんでん返しの巧妙もまた楽しいものなのだが………。グイグイと一気に読んでいても読み手としては次の一手の見通しをつけられるヒントが先に用意されていて、なぜかそれが隠された伏線ではなく分りやすいものだから、やっぱりそうだったのかと、ほっと胸をなでおろすことがしばしばで、とんでもない仕掛けに騙されるというあの快感には至らないのがいささか煮え切らないところなんです。

巧妙さよりも軽妙さで読ませる快作。