柴田翔 「されどわれらが日々‥」
朽ちた青春の残像がよみがえる時
2001/4/7
渋谷駅にほど近い場所にある飲み屋「チカ」が我々のアジトだった。 十人も座れば、満杯になるカウンターバー。店内はたばこの煙が立ちこめ、熱気でムンムンとしていた。米国のロックシンガー、 リトル・リチャードのレコード 「ルシール」などを持ち込み、みんな身を震わせながら聞き入っていた。

学生時代。カネはないが、時間だけはあった。 「明日は何をやろうか」。来る日も来る日も同じ場所で、こんな会話を繰り広げる。いつの間にか、集まり には「やろう会」という名がついていた。
メンバーは十人。弁譲土として活躍している高橋紀勝君、参議院議員の佐藤昭郎君、郵船不動産専務の夏井紳吉君ら全員が大学の同期生だ。互いの家を渡り歩いては、メシをごちそうになる。昼のごろ寝に、徹夜マージャン--。多くの時間をこの一癖も二癖もある輩(やから)と共にした。
「やろう会」は社会人になっても、半年に一度のぺースで続いている。結婚、出産といった家族イべントの報告から、日本経済の状況まで、話題があちこちに飛び、意見交換が続く。銀行役員や大学教授も加わりエネルギッシュな議論が熱を帯びてくるうちに、 「何かやってやろう」という 気持ちになるから不思議だ。

だが、花が咲くのは やはり昔話である。共に過ごした時を振り返る。それは人生の軌跡を確認しあっているようなものだ。 「おれたち本当に良かつたよな」。仲間はみんな、こんな誇りを持って生きている。
四年前。メンバーの一人で、薬品店を経営していた佐藤直史君が亡くなった。大病を患った彼は自分の意識があるうちに生命維持装置を外す道を選んだ。人生侮いなしという気持ちだったのだろう。一周忌にはみんなで墓参りに行った。その時、彼が笑いながら話しかけてきた。 「されどわれらが日々」だったよなと。(2000年2月2日記)

「あなたは私の青春でした。たとえどんなに辛く苦しい日々でも、あなたが私の青春でした」

「人間にとって、過去はかけがえのないものです。それを否定することはその中から生まれ育ってきた現在の自分をほとんど否定してしまうことと思えます。けれども、人間には、それでもなお、過去を否定しなければならないときがある。そうしなければ、未来を失ってしまうことがあるとは、お考えになりませんか。」

………と手紙を残して、節子は去っていくのだよね。
最大の謎、40年近くたった今、彼女はどのような日々を過ごしているのだろうか。

曽野綾子『狂王ヘロデ』
英雄待望論の陥穽
2002/05/19

ミステリーも面白いことに変わりはないが、最近では宗教周辺の読み物にも興味を惹かれるようになったのはやはり歳のせいなのだろうか。ヘロデの逸話などほとんど知ることもなかったのだが、百科事典の類で小当たりしたあとこうした小説を読むと新しい発見の連続で、しかも現代史に通ずる原点的ひとこまであることからも大いに楽しむことができた。

前73年頃〜後4年。ユダヤ王。在位,前37‐後4年。ユダヤの南に隣接したイドゥメアの出身。ハスモン家の王位継承争いに乗じ,ローマ皇帝アウグストゥスの援助を受けて王に任命された。生涯,ローマの忠実な属王として全パレスティナの支配を委託されたが,恐怖政治によって異邦人の支配に反抗するユダヤ人を弾圧、ユダヤ人からは激しく憎悪された。しかし,冷酷で巧妙な支配によって民衆の反乱を防ぎ,大祭司を自由に任免して,ユダヤ人共同体の中心であったエルサレム神殿の運営を掌握した。大建設工事を好み,カエサレア,セバステ(サマリア)などの大都市,マサダなどの離宮要塞を建設したほか,エルサレム神殿の大改修工事を行った。病的猜疑心から王妃と3人の実子を反逆罪によって次々と処刑した。新約聖書は,イエス・キリストが誕生したときに,ベツレヘムとその近郊の幼児が全員ヘロデに殺戮されたと…一般には伝えれれている。

幼児殺害までは語られないが、作者はほぼこの史実をたどっている。
語り部は荒野に生まれ育った羊飼いの少年。大王の竪琴弾きとして雇われ、聾唖者であると人々に思われている事情から、誰にも疎んじられることなく常に身辺につきそう影の存在でありえた。そして、狂気の独裁者ヘロデの実像、その内面の苦悩を目の当たりにするとともに、その虚像だけが一人歩き、大きくなって伝えられていく、非情な現実を淡々と見据えるのである。欲望の限りない拡大、権力への病的な執着、後継者に対する異常な猜疑心など人間の共有する「悪の強み・弱み」の要素がデフォルメされて不気味に浮かび上がる。一方で政治家として、都市の設計・経営者としては抜きん出た才能に語り手である沈黙の竪琴弾きは感嘆するのである。国家、あるいは巨大組織における強大な統率者には少なからずこうした一面があるのだと思う。
「ありがたいことに、生きている間、われわれは繁栄の中で暮らせた。飢えることもなかった。王が旱魃の時にも、蝗の大発生の時にも、その度に、金を出して救ってこられたからだ。しかし人はいいことはすべて忘れて、それを当然に思う。悪いことだけは長く覚えていて決して許さない。残忍なものだ。偉大な王と、とてつもない悪人と、どこで区切る?偉大な善と偉大な悪とは、輪になって繋がっているだけなのだ。王とて例外ではない。王も運命を選べなかった。王は心の声に殉じた。
われわれもみなそうだ。どんな愚かなことでも、最善のことだと信じてやっている」

現代にも通じた悲劇である。

夏樹静子 「量刑」
人が人を裁く、そのプロセスの危うさにぞっとする
2001/09/01
山口の母子殺害事件、当時18歳の被告に対する広島高裁は一審の無期懲役を支持、死刑を求めた検察側控訴を棄却した。少年事件のこれまでの判例は4人以上殺害は死刑、2人なら無期であり「量刑」の相場観が通ったかに見える。裁判官は被告の更生や教育の可能性を重視する少年法のこれまでの考えを踏襲する主義なのだろう。一方、夫であり父親である遺族の無念の気持ちは計り知れないものがある。

妊娠中の母と幼子が被害者となる夏樹静子の『量刑』、今読むべきテーマであります。
2002/ 3/15/


愛する人の依頼で重要物を運搬中の女性が母子を轢く。しかもまだ息のある2人を殺害、男と山中に死体を遺棄する。
このミステリーは法廷ものであるがこれまでの法廷ものが弁護士、あるいは検事側から真相を追究するプロセスを描いたのと異なり、裁判官がどのように判決にいたる心証を形成していくかとの視点で、人を裁くことに残される普遍の不確実性を具体的に問い詰める。夏樹静子のミステリーは最近ではテレビの二時間ものサスペンスでしかお目にかからず、相も変らず時代遅れの女がおりなす、嫉妬・愛憎・未練のメロドラマに辟易するのでしたが、法曹関係者ならいざ知らず、これは大人の男が読んで慄然とする問題を提示した傑作である。
正義の実現として死刑の判断を下そうとするチーフ裁判官の娘が誘拐され、犯人から有期刑の要求がなされる。誘拐の事実が伏せられたまま、三人で構成される裁判官の「合議」は昨日までの論理と逆転し十年の有期刑に収斂していく。しかもその論理もまた正義だとすることのできる怖さ。「合議」のプロセスが圧巻である。教訓、何かあったらどうでも実力弁護士を雇わねばならない。
百科事典よりあえて長文を引用するがここにある問題をすべて書き尽くしたドラマが「量刑」であった。

「事実認定の作業を進めて犯罪の証明があったと判断すると,次いで宣告すべき刑を量定することになる。これを略して量刑と呼ぶ。刑事裁判官の使命は,このように,事実認定と量刑という二つに大別されるわけであるが,公判の審理を受ける被告人のほぼ8割が罪を認めている(自白している)といわれる日本の現状では,公判手続において量刑のもつ意味はきわめて大きい。なお付言すれば,被告人が事実関係を争う場合であっても,それは裁判所の判断をできるだけ有利な量刑に導こうとするねらいをもっていることも少なくない。
量刑の過程で,多種多様な判断が求められる。しかしその基準について法律は多くを語らず,判断の指針はほとんどなきに等しい。その判断は,一方において刑罰理論に裏打ちされつつ,他方では裁判官の経験と職業意識,そして人間性に支えられたものといえよう。 具体的な量刑に際しては,被告人の更生を図るという視点に立つか,被害感情を重視するか,あるいはまたときどきの社会風潮に対する警鐘の意味を込めて判断するか等々,さまざまな考慮がはたらく。そこでは,法理論的な思索だけではなく,刑事政策的な配慮や社会学的な考察が要求されるといえよう。
 なお,公判廷での被告人の態度を量刑の資料としてよいかどうか問題となる。頑強に否認する者もいれば,素直に自白している者もいる。被告人には黙秘権が認められているのであるから,自白しないこと自体をもって不利益に取り扱うことは,むろん,許されない。他方では,しかし,自白が悔悟・反省の念から出ているものとすれば,いわゆる改悛の情ありとして,被告人に有利な心証をとることはできよう。       
米山 耕二」