逢坂剛 『アリゾナ無宿』
古きよき時代の西部劇
2002/08/12
逢坂剛が書いた西部劇ということで注目されていいと思って読んでみた。「アリゾナ」とか「無宿」このタイトルを構成する単語からして今日ではもうはやらない、西部劇としては死語と言える時代物だ。駅馬車、アパッチの襲撃、騎兵隊、賞金稼ぎ、ポーカー、酒場、オンナ、純情なガンマン、カウボーイまさに私の中学生以前のウェスタンワールドである。懐かしいなぁ。

西部劇はあるときを境に大いに変わった。「荒野の用心棒」ですね。マカロニウエスタンの登場。マカロニも大好きでした。すごかったですね、「続・荒野の用心棒」で棺桶から出たあの機関銃ガントレットでの皆殺し、びっくりしました。これ以降、血と腐肉の臭いが画面に漂うサディスティックな映像に変貌したのです。

この『アリゾナ無宿』はそんな意味で昔懐かしい、ジョン・ウェインの痛快西部劇ですね。
「痛快」というのは健康で明るく、気楽に楽しいのであって、読後に何も残らないのですが、まあ、オジサン向け、B級エンタテイメント、電車の退屈な時間をまぎらすには格好の読み物である。

逢坂剛 「禿鷹の夜」
バイオレンス小説、暗黒小説?
00/05/26
逢坂剛の作品はだいたい読んでいることもあり、「禿鷹の夜」もおつきあいをした。これは愚作としか言いようがない。大沢在昌「新宿鮫」の渋谷版を狙ったとしても成功していません。もっとも最近の鮫島刑事はすっかりオトナに変身して、初期の圧倒的な暴力性、一匹狼性の魅力が薄れた感があり、大変残念なのです。そうしたキャラクターが既存の組織や秩序を無視して事件解決にあたる姿に喝采する、バイオレンス刑事物の良いところはここですよね。ところがここで登場する刑事は本物の性格破綻者です(私の見立てでは)から、共感が持てない、事件を解決しない。文章も構成も荒削り。逢坂先生、傑作「百舌シリーズ」で読者をうならせた自分の実力を大切にしてくださいね。オトナのファンとして敢えて酷評をさせていただきます。

非常に興味深いのが惹句に「警察暗黒小説」とうたっている点、舞台を「渋谷」にしている点である。昭和40年前後は私も新宿、渋谷を根城に青春を謳歌していたな……。
ついでと言っては失礼になるが馳星周「虚の王」も読んだ。これも「長編暗黒小説」とある。しかも舞台は「渋谷」。ストーリーが単純だから会話の部分だけ流し読みする。数ページ読み飛ばしてもいっこうに差し支えなし。ただこれも常識人としては拒絶反応が起こる内容でした。
どうやら「バイオレンス」と「暗黒」を使い分ける必要があるようです。「虚の王」のヒーローも性格破綻者なんですね。この小説から引用すると「自分にしか関心を持たず、持てず、他人の痛みには無関心なくせに、自分の痛みには異常に敏感だ。人を傷つけてもなにも感じず、自分の欲望を満たすことに腐心している」。(この小説、ここは光っている)ハードボイルドやバイオレンスとはやはり異質な点ですねここが。「心的屈折が直接もたらす暴力(私の解釈)」なんですね「暗黒」は。

逢坂剛  「重蔵始末」
逢坂・重蔵対池波・平蔵 火付盗賊改方の腕比べ
2001/09/15
最近発売された「江戸東京古地図散歩」と称するパソコンソフトがあって、現在の地図と重ね合わせながらぐりぐりと地図をドラッグしつつ、どこがどうなっているのかなどと「江戸名所図会」を眺めるよりは、はるかにわかりやすく時代小説の世界を楽しめるという。値が張るからマージャンで勝利したときに買おうと思いながら、これを縦横に駆使して楽しめる小説は「鬼平犯科帳」をおいて他はないと、しかし鬼平を読み出したら、しばらく他のミステリーを読む時間がなくなるし、とためらい、最近はマージャンもツキ落ち烏鳴いている。

しかし、「鬼平」は地図なんか見なくとも、町の情景に色、音、匂いがあふれている。季節の息づかいが漂っている。庶民の生活にある喜怒哀楽と緊張感が活写されている。江戸ってこんなんだったろうなと思いをはせらせ、登場人物もまたそれぞれに色気があって、濡れ場もいいし、まぁしばらくソフトはやめておこう。

たとえばこの大連作第一篇の冒頭情景は「そこは、浅草も北のはずれの新鳥越町四丁目の一角で、大川の西側二つ目を通る奥州街道が山谷掘りをわたり、まっすぐに千住大橋へかかろうという、その道すじの両側に立ちならぶ寺院のすきますきまに在る町家の一つであった。道の東側の寺院と路地一つをへだてた小間物屋の隣はひろい空地で、材木置き場になっているのだが、そこからも春の土の香りがたちのぼり、おだやかな夕空に雁が帰りわたっていくのが見られた」
ところで逢坂剛の「重蔵始末」なんですがね、鬼平の向こうを張った意欲作と評判らしい。これからがよくなるのだろうと思うが、いままでのところ、いただけなかったね。要は「江戸の色気」がないんです。もちろんいろいろな町並みが紹介されますが、地図をようやくなぞった、斜陽の観光バスガイドの説明にどこか似ている。
「ここは、牛込御門から神楽坂をのぼり切った右手の方角にあたり、赤城明神とその門前町が近くに控えている。武家屋敷と町屋の間を抜けて道をたどると、景色はたちまち北西の方角へ開けて、そこには小日向村、中里村の広大な田畑が広がる」
ハードボイルド作法なのだろうか著者としては心理描写はしないで外面描写に徹するのだそうだ。池波正太郎とコンビを組んだ父・中一也氏による時代小説にぴったりの挿絵なのだから、オヤジと喧嘩しないように、新ジャンルに挑戦してほしい。