ジル・マゴーン「騙し絵の檻」
本格推理小説を堪能する条件
2001/1/20

私は昔から好んでマージャンをしていた。最近はメンバーがなかなか揃わなくなって、月に2回程度に減っている。よく勝敗について運7、技3といわれる。確かに半チャン3〜4回の勝負であればそのとおりなのだが、8〜12回と長丁場になるほど運3、技7に転ずるのが相場である。しかし、仲間内のこと、技量にそれほど大きな差があるわけでなく「技」といわれるものは実は気力むしろ緊張感の持続力と言えるのではなかろうか。気を緩めたら必ず負けこむものだ。時に若い世代とも手合わせすることがある。マージャン人口が減って若い世代といっても、40台の後半の人たちでしかないのだが、この年代とプレイをしますと、結果的に負けることになる。気力の衰えを自覚します。もっとも彼らは生活がかかっているだけに、真剣さの度合いも違いますから。

このところ評判の高い、ジル・マゴーン「騙し絵の檻」。質の高い本格推理小説を手に取るのは久しぶりのことである。この作者が女性であったとは、最後の解説を見るまで考えもしなかった。冒頭から緊張感にあふれ、非常に無駄のない、それでいて複雑な伏線がいたるところに張り巡らされ、最終章でこのジグソウパズルが再分解され、嵌めこみが完成する。まさに本格ものの醍醐味を味わえることになる。
ところが残念なことに、歳なのですね。伏線と分かっていながら、丁寧に読むことができなくなっている。つまり、いいかげんに読んでいる。登場人物の位置付け、時間や空間のイメージを確認しながら読むという気力がなくなっているのですね。だから、最終章の面白さがよく分からないという始末に陥る。チャレンジ精神があれば読み返すところなんですが、その気にはなれない。気力と脳の老化現象には勝てません。

ジョン・ディクスン・カー 『火刑法廷』
今年は新作の外国ものミステリーにいい作品が見当たらない。今さら古典を読むつもりはなかったが、たまには目先を変えることも必要かなと、探偵小説黄金時代の巨匠ジョン・ディクスン・カーの傑作中の傑作と定評のある『火刑法廷』を読んでみた。
2003/08/10

編集者のエドワードは、ドル箱作家のノンフィクション書き下ろし原稿を見て愕然とした。そこに添付されている17世紀の毒殺魔の写真は、彼の妻マリーのものだった! しかもその夜、隣人の毒殺容疑が妻にかかり、その噂を確かめるため故人の墓を暴きに出かけた彼は妻の予言どおり、そこで柩から死体が消失しているのを見つけた!わが愛する妻は17世紀の魔女の生まれ変わりなのか?

冒頭から提示される謎に心を奪われ、ストーリーの展開も好調、疑念は深まる一方で「あざやかな解決」への期待は申し分なく高まる。
壁を通り抜ける伝説の女毒殺魔、完全密室から消えた死体等の怪異現象は名探偵の登場によりラスト近くで「いったん」はあざやかに、論理的・合理的に解決されるのだが………。

この初めて読んだ古典的傑作でなるほどと思ったことはその中にある物理的・心理的・叙述的トリックがその後の探偵小説、さらに今流の新本格派のミステリーにそのままあるいはいくらか形を変えながら活かされていることだ。1937年の作品にもかかわらずいっこうに古めかしさを感じさせないのは単にこれが時代を超えた傑作だからということだけではなく、「本格謎解き」の最近の作風がこの当時と同じレベルのままで進化していないからではないだろうか。

「あざやかな解決」とはそれまで叙述された「まさかそんなことはありえないではないか」と思うこれら不可解な事象の連続にイライラし始めた読者心理を「なるほどそういう現実行為であったか」と納得させ、安心させ、たまり積もった鬱屈感を一挙に解放する作用であり、これを本格ミステリーのカタルシス効果というらしい。当然にそれを期待して読んだのだが、ところがこの『火刑法廷』の最終章はその期待を裏切る強烈なひねりがある。いったいなにを表現しているのか、実は合理的な解釈ができなかった私としては爽快感どころか、どちらかといえば不満のままに読み終えた。
しかし、『火刑法廷』の究極の傑作性はどうやらこの定石破りの不安定な終章にあるというのがミステリー愛好家たちの一般論らしい。この終章をどう読むか(論理的に解明される人為なのか魔女のなせる妖術なのか)で喧喧諤諤とマニアックな議論が今でも行われているくらいだから、ミステリーとしての古典的価値は間違いないところだ。私にはこの議論に参加する資格はないのだが、六十数年以上も前のこのトリッキーな作者の意図にただただ感服しています。

最近の話題作、丸谷才一『輝く日の宮』では本来源氏物語に存在したもう一帖をあえて破棄することを紫式部にアドバイスした藤原道長の意図を述べて、あったかなかったのかを1000年の時を経ても後世に議論させることによって読み継がれ、語り継がれて文学史上空前のベストセラーに仕立て上げるという大構想を示しているのだが、この雅らしからぬ極めて通俗的発想はミステリ−好きの丸谷が『火刑法廷』の大トリックを念頭にしていたからではないでしょうか。


スティーヴン・ハンター 「極大射程」
理屈抜きにおもしろければいい
99/8/29

フレデリック・フォーサイスの「ジャッカルの日」はドゴール大統領を狙う暗殺者ジャッカルとこれを阻止する治安当局との追いつ追われつの攻防そのものの緊迫感にはこれまでの小説が描けなかった圧倒的な魅力があった。スティーヴン・ハンターの狙撃手スワッガーシリーズはこのマンハント攻防のサスペンスに加え、名作西部劇同様の工夫を凝らした数々の決闘シーン・銃撃戦を見せ場に、狙撃のディテール、ストイックな主人公の魅力など第1級の娯楽作品に仕上がっている。
悪い奴は強くなければいけない。善玉主人公は絶体絶命のピンチに陥らねばいけません。そして勧善懲悪の大団円。法廷サスペンスのおまけまでついている。前作の「ブラックライト」を遙かに上回ってスピード感溢れる逆転逆転のマンハント劇。残暑の寝苦しいこの季節、読み出して益々寝不足になってしまいました。「ロッキー」とか「ランボー」と同じく、アメリカンヒーローの、独りよがりな嫌らしさが少し鼻につくけれど、そんなことはこれだけ楽しめればどうでもいいや。