ウォルター・ワンゲリン 『小説 聖書 旧約編』
小説であれ「聖書」なるものを読んで見ました。
2002/11/26

このベストセラーの著者ウォルター・ワンゲリンはアメリカの神学者であり、この11月に日本を訪れ全国各地で講演をされた方ですから、この作品はおそらくオーソドックスな聖書の解釈であると思われます。
天地創造と人類の展開,アブラハムに始まるイスラエル民族の前史からエジプト下りと脱出,荒野放浪,カナンでの定着,王国の形成と南北の王国への分裂,アッシリアとバビロニアによる両王国の滅亡と捕囚までを扱う大きな歴史叙述であります。しかし、初めて聖書を概観した私は、そのことよりもむしろ、神に対する人類の抵抗のドラマであるとの印象を強く受けました。神は万人に慈悲深かく、愛に満ちた平和世界を希求する存在と思っていましたが、この小説を素直に読みますと、そうではなさそうです。神が人間救済のためにおわすのではなく、人間が神のいや栄えのために存在するのだとするある意味で非人道的考え方が徹底して貫かれています。

イスラエル民族の始祖である遊牧民アブラハムに対して神はその子孫の繁栄と彼らにカナンの地を与える契約をおこなう。その条件は神への絶対の服従と神の栄光をあまねく地上に行き渡らせることにあった。時がたって、神に対する背信行為により彼らは罰せられ異民族の支配下で受難のときを過ごすがメシアが登場し、救済される。そして異民族に対する侵略戦争。神は数々の奇跡を示しつつ彼らを勝利に導く。平和と繁栄。そしておろかな民は再び神を裏切るのであるが、特に異文化との交流によって生じる異なる神への信仰が主の逆鱗に触れるようである。そしてふたたび滅びへ。衰亡と再生、この繰り返しが劇的に繰り返されるのである。

イスラエル王国は前586年にバビロニアに滅ぼされ,指導者たちはバビロンに捕囚されるのであるが、このころから神はイスラエルのために大いなる奇跡をお示しにならなくなる。終末待望の思想が濃厚になってくる。小説としては面白さが薄れてきます。軸足を伝承の世界から現実の歴史世界に移動しなければなりません。
この流れのなかでキリスト教が誕生するのは必然だったろうと考えます。すでに交易活動はアジア、アフリカ、ヨーロッパと地球規模に広がっていますから、いまさらイスラエル民族の「純血」など絵空事でしょう。コミュニケーション革命は世界をひとつにする。神はアブラハムの子孫とだけ契約を交わしていた。もうそれは無理というものです。ここに神と人間の新しい契約の形が生まれる。この発想の転換は革命的でした。神はアブラハムの子孫とだけ契約を結び祝福をあたえるのではありませんよ、誰とでも契約を結ぼうという考えなのです。独占から競争へと神の子になれる資格のマーケットが広がったようです。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のいずれもが唯一神でありその聖地を同じくする地区の緊張が高まっている現時点でずっしりと手応えを感じる作品でありました。


エリオット・アベカシス 「クムラン」
「クムラン」の衝撃
2002/11/17

一週間、時間をたっぷりかけて丁寧に読みました。久しぶりにすごいミステリーにぶつかったという興奮に目がくらみそうです。
21世紀に残す作品にエリオット・アベカシス「クムラン」に一票を投じます。
’97年にハードカバーで発刊されていたことに気がつきませんでした。
しかし、西暦2000年に読まれるべき書物である。これがネタバラシですね。
何がそんなに興奮させるのか一言で説明するのは大変難しい。
宗教論、民族論、戦争論、古文書學、考古学の蘊蓄が盛りだくさん。宗教そのもののミステリー性を徹底的にエンタテイメントに仕立て上げている大衆性。まさに今日ただいまの世紀末とキリスト誕生前後の世紀末をだぶらせていかにも起こり得そうな不気味なSF的現実感にぞっとします。ミステリー、ホラー、SFの要素をミックスし、理路整然と現代の普遍的精神構造を解き明かしている点でも珍しい、知的好奇心を高揚させる傑作です。

読み始めは難解です。1947年に発掘された2000年前に書かれたユダヤ教にかかる「死海写本」これは史実です。この古文書の一部が公表されていない。その盗難と連続殺人。この殺人犯を追い求めると同時に誰がキリストを殺したかが作者の神学的哲学的推理で明らかにされる筋書きです。現時点で、救世主の登場を期待する大衆が存在することは否定できません。この精神風土とピッタリのテーマがあるのです。この程度を述べてもいっこうにネタバレにはなりません。
オウムやそのほかの怪しげな宗教の信者たちに読ませて宗旨替えをさせるに絶好の書物であるとも言えます。
00/03/12

解説「死海文書」または「死海写本」
1947年以来,死海北西岸の岩山のクムラン洞穴群を中心とし,各地で発見された,羊皮・パピルス等の文書の総称。大部分は断片であるが,その数は700点あまり、前3〜後1世紀のものと推定され,大半がヘブライ語・アラム語で書かれたユダヤ教文書。
これら古代写本の所有者と思われる共同体は修道院的性格をもった祭司集団で,前130年ころ〈義の教師〉なる人物によってエルサレムの神殿祭儀に反対して創設された。エッセネ派。彼らは独自の律法解釈にもとづく厳格な規律に従って禁欲的共有財産制の共同生活を営んだ。その中心思想は世界も人間も生と死,光と闇,善の霊と悪の霊といった二つの力や霊によって支配されているとする二元論的終末観によって特徴づけられる。思想的にも制度的にも多くの点で原始キリスト教との関係が注目される。この共同体は後70年の第1次ユダヤ戦争のとき,ローマ軍によって破壊されて消滅した。ただし,出土貨幣から第2次ユダヤ戦争のとき,ユダヤ反乱軍がこの遺跡を使用したと思われる。


エリオット・アベカシス 『クムラン 蘇る神殿』
この神学ミステリーは怖い。
2002/11/17

前作『クムラン』では死海文書の一部にキリスト教の淵源にある秘密―キリストの死の意義など―が隠されていて、仮にこれが暴露されると、2000年にわたって世界を支配してきたキリスト教の教義の根幹が崩壊する。これを恐れるヴァチカンを頂点とする既成勢力と西暦2000年が終末の年でありそこに真のメシアが誕生すると信ずる原始ユダヤ教の信仰集団(エッセネ派)の確執が描かれた。もちろんこれは小説であるが、死海文書研究の学術的成果を専門的に消化した著者の筆力による迫真の語りには衝撃を受けたものだ。

『クムラン 蘇る神殿』は前編で明らかにされた洞窟の住人、2000年のときを超えて隠遁する・エッセネ派共同体が2000年4月に物語の主人公アリーをメシアに選ぶところから始まる。近々、闇の勢力が力を増し神の子達との戦いが始まると、そして神の恩恵を得たものが救われる、いわゆる終末の到来である。そしてメシアは闇の勢力との戦闘に勝利するために存在し、最高の戦士であるとされる。好戦的な主張が徹底している。
殺人事件。そして死海文書の公開されていない銀の巻物の存在。そこには2000年前にローマに滅ばされたユダヤ民族の財宝の隠し場所が記されているらしい。

前作も壮大なフィクションであったが、今回は宝捜しであり、実在しない「銀の巻物」を登場させたところで、迫真性ははるかに乏しくなってしまった。しかしテンプル騎士教団、フリーメーソンなど歴史ミステリーに登場する秘密集団とキリスト教の関連、ローマのユダヤ迫害の歴史など前作同様、知的好奇心をおおいに刺激されます。
アリーの肉欲との戦い、闇の敵の誘惑、神との対話などいわゆる宗教体験といわれる精神の働きが生む夢幻の世界がかなりのボリュームで表現され、この小説自体、宗教書か預言書かを読んでいるような不思議な感覚にとらわれます。さらにいえば、この恍惚感、高揚感にとらえられた絶叫、精神の働きが生むそれに文章表現ではあるものの慄然とさせられます。宗教の根源に潜む狂気としか言いようがありません。
「イスラエルの神の庇護のもとに戦いが行われる。大量の虐殺がある。闇の子達に対する闘いのその日は昔より決められている。光の子達と闇の子達の宗団が戦い、神の力を見ることになろう。災禍の日!苦しみの日!その日を民は目撃する。その日を神は神による贖罪の日となさる。そのおかげで民の苦しみは消滅することになる」

イスラム過激派のあのニューヨーク同時多発テロがあって今アメリカはイラクを攻撃しようとしている現実がある。
闇の力が増している。終末の日は近い。預言者が現れた。さあ戦いの準備をしよう。これはまるで現代の国際緊張関係を指摘し、イスラエルの民を鼓舞しているかに見える。そういう意味で怖い小説である。