走水の海に身をささげるオトタチバナヒメ


広々とした台地がそのあたりからは扇形に抉れて、海に向かって落ち込んでいる。オトタチバナヒメ(大橘比売命)の眼下には陽光にきらめく紺碧の海原と岩に囲まれた白砂の浜がまぶしく広がっている。波打ち際にはひとり悄然と佇む若者の影を見ることができた。後背にはなだらかな山々が連なり、頂上の枝まで見通せる距離にあるが、山の尾根を一刷けした薄い積雪が秋空の澄み切った紺青を際立たせている。山腹は深い緑が麓にむかって真っ盛りの紅葉の輝きに変化している。
荒ぶる神々、まつろわぬ蛮族の跳梁する未踏の地・日高見国の制圧を成し遂げた軍神ヤマトタケル(倭武)は今、ここ多珂の郡(こおり)・飽田村(あきたむら)の豪農の屋形を一時の住まいとしている。多珂の郡は東と南に大海があり西と北とは陸奥と常陸と二つの国の境に高い山があるとされ、現在の茨城県東北部である。飽田村は日立市の小木津・田尻付近の地を言う。
(皇子はまたあのように、だれもなぐさめようもない深い悲しみに沈んでおられる)
ここからうかがう若者の素顔には勝者の面目や安堵は見えず、むしろ窪んだ頬は内心の苦悶にその翳を深くしている。

(大和におられる父君が、どのようなお言葉でこの戦勝を迎えられるのかを考えなされると、胸のふさがる思いなのでしょう)
東征の詔を受けたときから皇子は父の心底をはかりかねていた。親から生を受けた子にとって憶測をはばかる骨肉の相克。后は若者の胸中をだれよりもよく理解していた。
(まだ皇子がオウスノミコトと呼ばれていた少年のころでございます。お兄さまがお父さまの景行天皇といさかいがあって自分のお屋敷に閉じこもりきりになった時がございました。心配された天皇はオウスノミコトに兄の屋敷に行って朝夕の食事には必ず姿を見せるよう教えてこいといいつけたのです。その屋敷でどんなやりとりがあったのかはわかりませんが、オウスノミコトはお兄さまの手足をばらばらにもぎ取り命を奪ってしまわれたのです。それでも平然としていたことで、景行天皇は冷酷非情にみえた皇子の振る舞いに行く末を恐ろしく感じられたのでございましょう、それから熊襲、出雲と命がいくつあっても足りないようなおそろしく強大な地方勢力の征伐を皇子に命じられたのです)
「そうなのだ」
山々に囲まれた地に育ったヤマトタケルには海の風景が珍しく、干潟に息づいている小さな生命、小魚、蟹や貝、アワビの蠢くさまをおもしろくみやりながらも、深い嘆息を堪えることができない。
「吾が熊襲・出雲征討の役目を辛うじて果たし、大和へ戻れば、まだ幾日も立たぬのに父上はまして過酷なこの東征を命じられた。こたびは軍隊もつけず、ほとんど身ひとつで放逐されたも同然の吾に、凱旋を期待しているはずがありえようか。弑逆の影におびえる父の底意は吾の死であろう」
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)。スサノオノミコトが退治した魔神・八岐大蛇(やまたのおろち)の尾から出たと伝えられる。伊勢大神宮につかえる伯母・ヤマト姫から出征の間際に必勝を祈念して授けられた破魔霊力剣である。
「この神通力の前にはいかな荒ぶるものどもも敵ではなかった。吾の今あるは伊勢の伯母上の御加護ぞ。天皇にいかに疎まれようとも、ヤマト姫にこの剣をお返しせずば黄泉の国には逝けぬ」
剣の柄を握り締めれば、拳から染み入る清冽な霊気は若者の全身を貫き、筋肉のいたるところで血が滾る恍惚のうちに、疲労した肉体にはようやく勇者の精気がよみがえってきた。
そのとき、山側からそよと吹きくる風が香料と若い女人の匂いを運んできた。
「オトタチバナヒメ!」
振り向けば、ふんわりと天から舞い降りたように、身に絡めたその薄衣が翻っている。長い髪が招くように揺らいでいる。
おもわず広い袖口からぐいと手をさしいれ、その腕をたぐり寄せれば、山を駆け下りてきたからであろう、しっとりと汗ばむ透きとおるような肌に手のひらが吸いよせられる。薄紅色の絹布も胸元は汗が黒く滲んで円い隆起にぴったりと張り付いている。崩れかかる体を肩に受けるが重さは感じられない。そして柔らかく繭の綿に包まれたようなやすらぎの中に若者はすべてを忘れた。


(皇子様の憂鬱なお姿を見ることは私には耐えられません。まだ陽も高く、閨には早ようございますので、二人楽しく海や野に遊びませんか)
「好いことを思いつかれたな。言われればこの野の周辺一帯には鹿が群がりおるそうだ。鹿の角が枯れ葦の原のように群れているとか、吹き出す息で朝霧が立つとか大層なことを言う者もいる。海の鰒魚(あわび)にも八尺もある大きなのが取れるとも聞いている。話半分にしても海の幸山の幸に恵まれたところよ。どうであろう、后が海に行き漁をし、吾が山に行き狩をし、ふたりで獲物比べをしてみようではないか。夕餉は山海の珍味で賑わうことだろうよ」
ヤマトタケルは覇気を取り戻していた。弓をとって山野を縦横に駆け回った。村人たちも面白がって、二人のこの競い合いに加わり、囃し立てた。山側では板と太鼓を鳴らして獲物を追いたてる。酒を振舞う者があり、草原には踊りの輪まであらわれた。この歓声は海にまで届き、やれ船子たちは櫂を打ち鳴らし、船べりをたたき、朗々と歌をうたいだす。その剽軽な仕草に哄笑があがった。村をあげての祭りとなった。ふたりもこの祝祭の中心にいざなわれ、土草にまみれ、磯の香りを全身に浴び、時のたつのを忘れた。
収穫の結果、ヤマトタケルは獣一匹得られずじまいだったが、オトタチバナヒメはわずかの間に百にあまる漁獲を得た。ヤマトタケルにはそれがことのほか嬉しかった。
喧騒が終わり、村人たちが去った静寂の浜辺で、残されたふたりは夕餉の席をしつらえ、感興の余韻のままに海の幸をむさぼった。無上の喜びにつつまれたふたりを山際に落ちた夕日が赤く照らしだしていた。
「このように心踊るときは生まれてこのかたなかったこと。腹にたまっていた重いものもすっかり抜けたわ。后よ、これで明日の旅立ちも慶事となろうのぅ」
「………………」
陽がさらに落ちて岩壁の影が浜の白砂を灰色に覆った。若者のつぶやきにこたえる声はなく、ただ、渚を洗う波の音だけが単調に繰り返される人気のない浜辺であった。
吐息のようなそよぎが若者の頬をなでる。懐かしい匂いをかいだような心地に若者はようやくうつつに戻った。
「ムゥ」
顔を上げると手の届きそうな頭上を白い鳥が一羽、舞っていた。
翼を大きく広げ、曲線を描いて滑空する。二回、三回と旋回したあと、若者がなにか呼びかけようとしたとき、鳥は一気に更なる高みへと飛翔した。夕日を浴びる高さにその翼は黄金色に輝く。そしてバサリとひとつ羽ばたきすると、一枚の羽が散って、白い鳥は暮れなずむ大海原を南へむかって翔け去っていった。
若者は渚を走った。その羽をつかんで波打ち際まで駆けた。なおも追い続けると、汐が膝をぬらしていた。

注 オトタチバナヒメノミコトを『記紀』では「弟橘比売命」と記し、『常陸国風土記』には「大橘比売命」と記されている。走水の海に身を投じた后が『常陸国風土記』では生きて登場するのだが、それはありえないことである。よって、「大橘比売命」を「弟橘比売命」の姉と解するむきもあるが本当のところはわからない。
なお、『常陸国風土記』ではヤマトタケルノミコトが后の獲った海の幸をたらふく食べて………「海の味わいはことごとに飽き食へり(飽きるほど食べた)」とのたまりき。後の代、跡を追ひて、飽田の村と名づく………とある。