|
ローリー・リン・ドラモンド 『あなたに不利な証拠として』
著者は警察官の経験があると訳者あとがきで紹介されているが、これはまさしく警察小説である。それもかなり異色だ。五人の女性警察官が一人称で語る短編集だが、事件そのものの不可解性よりも人間性に共通して潜むマイナスベクトルを丹念に時には残酷に切り開いてみせる。
2006/06/12
|
あとがきを先の読むことは一般的には興をそぐことがあるのだが、本作品では簡明な「訳者あとがき」、名文である、読んでおいた方がベターだと思われる。「あなたに不利な証拠として」と言われてもたいがいの日本人はピンとこないだろう。ただアメリカ人の場合誰でも知っていそうな警察官の常套セリフなのだ。
原題『Anything You Say Can and Will Be Used Against You』はアメリカの警察官が犯人逮捕の際に告知を義務づけられている
「あなたには黙秘する権利がある」
(You have the right to remain silent)
の後に続く言葉で
「あなたの発言は法廷で不利な証拠として扱われる可能性がある」
(Anything you say can and will be used against you in a court of law)
からの引用句なのだそうだ。
訳者あとがきは
「この被疑者保護の精神と、すさまじい事件現場との皮肉なねじれが、本書の基調となっている」
と解説しているがこの解説は本著の狙いを過不足なく言い当てている。
お互いに銃器をもったもの同士、凶悪犯を拘束する現場は狂気の渦にあるのだから、法と正義の宣告なんて口に出す側も聞かされる側も何も意味を持たない実に滑稽な形式に過ぎない。人間の知性や理性が作り出した社会法則なんて極限状況では無力なのだ、そしてその不条理の中で生きているのが人間なのだと作者は全編を通して語っている。
第一編の「キャサリン」が素晴らしい。平穏な日常生活を送る婦人警察官が垣間見せる犯人射殺の後遺症。拘束現場の凄まじいストレス。優しさあふれる老婦人との近所づきあいがあって、事件の前後で対応が微細に変化したその老婦人を観察する神経質な彼女の視線。幼い日の花や木や草の懐かしい香りに対比される拭っても拭いきれない死臭。指や耳や目や鼻の感覚が事件現場用にならされてしまっていることに気がつく時のとまどい。幼なじみで遊んだ隣の姉妹に対する親の虐待と彼女たちのたどった悲惨な運命。そして伝説的英雄であった女警察官が思いがけなく見せる暗い性癖などなど。この物語のエッセンスがギュッと詰まっている。
読者はこの明暗、それはむしろ輝いたところから見るより深い昏さなのだが、を感覚的に受け取り、自分のどこかに共通点を感じながら、この世界にのめり込むことになる。
ラストの第五編「サラ」が秀逸であった。こうした救いのない煉獄エピソードを積み重ねた短編集かのようにみせて、著者は著者らしい感性をもって締めくくる。それは一種の「救済」である。女警察官の「わたし」はこの法と正義と秩序が貫徹しているかのように見える現代から逃避する。逃げて逃げて、そこは唯一神の存在しない、まだ呪術的信仰がのこる村落共同体であった。
老女が逃亡者に語る、不条理のままに生きよと。千金の重みでそれは読者の心を揺さぶるであろう。
実は本編ではこの語りがスペイン語で書かれている。だから「訳者あとがき」の解説がなければ多くの読者は気づかないかもしれないのだが。
「多くのことを知っているつもりでも、本当は少ししか知らない。何もかもわかっているものなどいないと理解するまで、幸せには生きられない。自分が強いとうぬぼれてはならない。人はみずからの弱さを抱きしめるとき、強くなれる」
読み終わってふと居間のテレビをみたらNHK「あの人と会いたい」に遠藤周作の遺影があった。
「私の人生は薄汚いみじめな人生だった。だからよかった。満足できる人生なんてつまらないものだ」と。
特異なキリスト者・遠藤周作は人間性の本源にある「やさしさ」でもってこう語っているのだろう。
老女は人間社会の根源にある「みじめさ」でもって同じようなことを語っているのかもしれない。
|
|
アダム・ファウアー 『数学的にありえない』
ある日突然機密研究所内のすべての物質が透明になってしまった。その中にいたただ一人の男もまた透明人間になってしまう。上層階に残され中空に浮いている見えない自分に彼は茫然自失する。軍事的には核兵器開発を上回るこの生きた資料を国家機密機関が総力を挙げて追う。透明人間は逃げる。とこれはSF的、ノンストップ・マンハント・アクションの代表作といえるH・F・セイント『透明人間の告白』だった。『数学的にはありえない』を読み始めて、すぐに数年前のこの傑作に思い至った。
2006/12/16
|
<破滅寸前の天才数学者ケイン。彼を悩ませる謎の神経失調には大きな秘密があった。それは世界を揺るがす「能力」の萌芽だったのだ。それを狙い、政府の秘密機関(科学研究所)が動き出し、その権力を駆使してケインを追い始めた。>
荒唐無稽なSFの魅力がある。昔、タイムマシンの原理にもっともらしく薀蓄を傾けたSFがいくつも登場したものだが、この作品でもケインの超能力については確率論、量子力学、宇宙論、存在論、相対性原理などなど信じられるはずがないトリビア系の情報がふんだんにあって少年時代にその手のSFに夢中になったことなどが思い起こされた。ああこれは時のパラレルワールドか多次元宇宙論の一種なのではあるまいかなどと、いい年をして楽しむことが出来た。も少し数学のパズル的不思議が盛り込まれているのかと思ったがそこはむしろ淡白だった。
スーパーマン、スパイダーマン、Xメンなどいまでも超能力者たちのアクションには魅力がある。あれはそれぞれが完全な無敵ではなくどっかに弱点をもっているから強大な敵とハラハラドキドキのシーンが見せ場になる。この作品でもここは同じだ。
ケインの味方になってしまう女工作員ナヴァの戦闘能力はまるで007並でこれも楽しい添え物になっている。
<偶然に起きることなど何もない。その男の計画は必ず成功する>
と
<下巻に至り物語は収束に向けて猛然と加速、あらゆるエピソードが一点に収束していく>
のだが。
<読者の呼吸を奪い、知的興奮をレッドゾーンに叩き込む超絶ノンストップ・サスペンス>
かどうか。
気楽にIFの世界を楽しめるかもしれないがやはり『透明人間の告白』と比較してしまい、
<サスペンス小説にはまだこんな手が残っていた。まったく新たなノンストップサスペンス>
と宣伝されると首を傾げてしまう。
|
|
リチャード・マシスン 『奇術師の密室』
トリック重視のミステリー作家はどうすれば常識人をギョッとさせるかともっぱら腐心するのでしょう。奇術師と大いに似ています。ミステリーにはこの類似性を直接作品に同化させ、マジシャンを主役にした作品がいくつもあります。近年のヒット作では泡坂妻夫『奇術探偵 曾我佳城全集』、ジェフリー・ディーヴァー『魔術師(イリュージョニスト)』などが記憶に新しいところです。前者が探偵役として奇術師を据え、後者では犯人が魔術師でした。そしてその華麗なテクニックが作品の価値を高める役割を果たしています。ただしマジックは作品の価値を高める調味料であって作品そのものではないことは言うまでもありません。
2006/12/17 |
ところがこの作品、マジシャン登場のミステリーとしてはこれまでにない奇抜な発想で作られたかなり技巧的な作品だと思いました。読者はマジックの舞台、それは観客席が40〜50程度の小劇場で観劇している立場にあるといえるのでしょう。入れ替わり立ち代り登場する何人かのマジシャンが繰り出すテクニックを驚きをもって眺めている。ただしその連続して披露されるマジックにはひとつのストーリーがあって、それが殺人事件なのです。つまり演じられるマジックショウそのものがミステリードラマなのですね。
往年の名奇術師エミールはいま身動きが取れない植物人間的状態で彼の奇術部屋で行われるすべてを眺めている。そこで見聞きするすべてを語る。読者はエミールの目と耳ですべてを知るという仕掛けです。そこで2代目として活躍する息子のマックス、マックスの妻・カサンドラ、カサンドラの弟・クレイン、マックスのマネージャー・ハリーらがコミカルに騙しあい、殺し合いをする。この部屋は奇術の大道具、小道具がぎっしりと詰まっていてそれらを総動員した奇妙なイリュージョンドラマが展開します。
「殺人劇の舞台は、奇術道具で満杯。マジック×ミステリー、どんでん返しの連続技」
奇術好きの私にはこのキャチコピーは魅力的でした。リチャード・マシスン、まったく知らなかったのですが、略歴をみればSF映画『縮みゆく人間』やスピルバーグの出世作『激突!』の原作者なのです。さらに「ミステリーゾーン」「トワイライトゾーン」のシナリオライターとあってとても懐かしい思いがしました。それならかなりの高齢だろう。その通り1926年生まれの大ベテラン。これらの作品はいずれも奇抜なアイデアで感心させられましたがいわゆるミステリー小説とはジャンルがちがうものばかりです。『奇術師の密室』はどちらかといえば古風なパズル系探偵小説にあたるのですが著者のいつごろの作品なのかはよくわかりませんでした。
老大家の手による意欲的な実験としてのミステリー小説といった作品なのでしょう。が実のところ途中で退屈しました。これでもかこれでもかと披露されるマジックにうんざりでした。あまりにも技巧的なこの作品は本来、舞台劇用に制作されたものではないかしらと思われるくらいです。視覚的なファクターで一杯なのです。ですから、よほどの文章力あるいは翻訳力がないと情景が読者に伝わってこないのじゃぁないかな。マジックショウの解説を文章表現でするには難しい。
マジックは読むものではなく観るものです。
|