辻原登 『円朝芝居噺 夫婦幽霊』

芝居は観るもの、寄席は聞くもの、小説は読むものとこれが世間の相場なら、はて円朝の創り出した作品・芸風ばかりはどうやらこんな一筋縄では収拾がつかないようだと読み終えて思わず感嘆のため息が洩れます。うらを返せばこれほどの円朝活写をものした著者辻原登へのお世辞抜き、賞賛でございます。

2007/04/29
「古今無双の知的エンターテイメント文学ミステリー」
とございますが、このジャンルならしばらく前に世の絶賛を博しえました丸谷才一『輝く日の宮』、あれに比肩する上等の文学ミステリーであります。ま、丸谷のはやんごとなきところのおはなしで、このような親しみ深い俗界の色ボケ欲ボケではございませんでした。

ミステリーの形式からしますといわゆる「作中作」。よくある読者を騙すことに精一杯の複雑なそれではありません。簡素なつくりの「作中作」でございます。辻原登がひょんなことから古い速記記号で記された文書を発見します。苦心して解読すれば円朝が残したらしい幻の傑作噺「夫婦幽霊」。安政の大地震前夜、天下の御金蔵四千両が盗まれた。はたして犯人は?と当時17歳の円朝師匠もみずから探偵役の片棒を担ぐサスペンスでございます。これが全230ページ中170ページほどにあたります。そして辻原登はこの速記記号には円朝の生きていた時代には存在しなかった新しい記号が使われているのに気がついて、そんならこれはいったいだれが口演した作品なのだろうと推理する仕掛けが残りの部分でございます。

一度目はさらりと読みました。しかし間違いなくもう一度読みたくなりますな。江戸の風流、猥雑、色と欲、しっとりした情緒がたっぷりと名人の語り口から伝わってまいりまして、たまらん、たまらん。特に青楼・吉原の情景や猿若町の芝居風景あたりの殷賑は目の当たりにするようでございます。ただし当時の日常の風俗用語はほとんど死語になっているもので、注釈はありませんから、二度目は恥ずかしながら電子辞書を片手にしましてな。それにしても円朝の創意工夫には驚くものがあります。ただの噺や話ではない。派手な衣装や大道具、笛・太鼓・三味線の音曲を使用して歌舞伎の雰囲気を持ちこんだ「芝居噺」だ。さらに全国に実地調査しあるいは新聞記事をネタにし、流行の下世話ばなしをとりいれたいわば実録人情噺でもある。モオパサンの翻案まである。安政大地震の阿鼻叫喚の語りも凄いや。

しかし、この作品の仕掛けの極めつけは前後の数十ページにありますな。
まず勉強になりました。文学史上、日本の現代小説の入り口に三遊亭円朝は立っていたんだ。『怪談牡丹燈籠』を嚆矢に全国に普及した「速記本」は円朝の発明になって、それが坪内逍遥を感動させる。
「通篇俚言俗語の語のみを用いて………人情の髄を穿ちてよく情愛を写す………」
人情のうわべだけを書いて死んだような文章で女子供に受けようとする底の浅い文筆家は円朝の爪の垢を飲んだらいいとまでおしゃられる。円朝が明治の新文学に影響を与えたことなど私が学んだ文学史の教科書には登場しません。二葉亭四迷、国木田独歩、山田美妙、尾崎紅葉らが先駆となった言文一致体はここから完成してくるってんですから驚き。

そして「夫婦幽霊」、本当に円朝がつくったものなの?そうでないとしたら誰が?それともまったく存在しない幽霊のようなもの?と二重三重の深みのある謎にのめりこまされます。小気味のいいこのひねりはえもいわれぬ著者の名人芸にほかなりません。

かくていろいろな角度から楽しめるこの作品でありますが、とどのつまり、円朝に心酔した辻原が辻原流に一本筋を通してまとめた生きた円朝伝記、円朝研究の成果といえるでしょう。しかもその伝記・研究成果を浅学な物書きならいざ知らず、一流の書き手でございますな辻原は洒落っ気丸出しにして「論・セオリーではなく物語・ロマンス」でもって表現したんです。

帯に「そこから浮かび上がる芥川龍之介の影………」なんて思わせぶりがありますが、このあたりは虚実混沌としていいように著者の手玉に取られているんだなぁとぼんやりしながら読書するなんてなかなかに乙な味わいでございます。

松井今朝子 『吉原手引草』

演技に工夫を凝らして新しい定九郎像を創造した江戸時代初期の歌舞伎役者、中村仲蔵を描いた『仲蔵狂乱』で記憶に残っておりました。その松井今朝子が新作を発表した。歌舞伎の世界に精通した著者が今回は遊郭の世界だ。『吉原手引草』。手にとらないわけにはいかんでしょう。江戸文化はこの吉原を抜きにしては語れない。それほど人々の生活と密着していて、今でも、映画、芝居、噺などを通じて私たちにもお馴染みの世界でございます。

2007/05/23
お馴染みとはいえ吉原という遊郭を構造的に紹介してくれたものにはお目にかかったことがない。ところがこの作品は
「これであなたもいっぱしの吉原通だ」
といえるほどに手取り足取りで吉原遊びの実践まで教えていただけるのだから実に楽しい。ちょっと様子のいい男が始めての廓遊びでその指南を受けるかのようにいろいろな人からお話を聞く形でストーリーは進みますが、堅物の若旦那が始めて吉原で女遊びをする「明烏」って落語を思い浮かべつつとにかく読んでいてウキウキいたします。

「手引き」 初心者を教え導くこと。手ほどき、またそのための書物
などとありますが、文字通り、まさにこのとおりの貴重な手引書でございます。引手茶屋のお内儀がまず郭内の構図、大まかな仕組みを説明してくれます。吉原を構成する人たち、その多様な役割には驚かされますな。見世番、遣手婆、床回し、幇間、芸者、船宿の船頭、指きり屋、女衒。この人たちが吉原の裏表を語ります。客の立場からは、越後の縮問屋、蔵前の札差が語り手になります。花魁と褥を共にするまでのしきたりなど初級編から、水揚げの作法、紋日の金の使い方などの中級より身請けのプロセスなど上級編にいたるまで事細かに案内いただける寸法でしてさらには足抜けの応用編がこの語り草の山場となっています。とにかく吉原で恥をかかずに楽しく遊ぶコツ、花魁にモテル条件、嫌われの典型。欲ボケ色ボケの人生縮図、それだけではなく怖い怖いなれの果て、運命にもてあそばれるものたちの悲劇とここの色模様を簡潔に、しかししみじみとした情感をもってあぶりだしてくれます。

遊女は客に惚れたといい
客は来もせで また来るという。
嘘と嘘との色里で。

ご存知『紺屋高尾』の一節でありんすが、はたして遊女に「誠」なるものがございますでしょうか。ここです、この物語のポイントは!
そして
「十年に一度、五丁町一と謳われ、全盛を誇っていく葛城。越後の縮問屋への身請け話も決まり、まさに絶頂を極めたそのとき、葛城は神隠しに遭ったように消えてしまった。一体、何が起こったのか。17人の重い口が語りだす、………」
と葛城消失の謎が徐々に明らかになってまいります。
手引書の「手引」ではないもう一つの意味合い、「力添えをしたり導いたり」の手引がここにあります。なかなか上手いタイトルをつけたものだと感心します。

タイトルだけではありません深いところで幾重にも工夫が見られます。

ところでこの謎解き、ミステリー・サスペンス手法が災いしてか読み終えた時に聞き手である何某のあまりのご都合主義、とくに中心人物の葛城ですが、消失の動機、プロセスの論理性、必然性に食い足りなさを感じる読者がおられるかもしれません。しかしこの作品をミステリーと狭くとらえてはいけません。松井今朝子の意図するところはまったく違うところにあると申し上げていいでしょう。これは歌舞伎そのもの。歌舞伎様式のひとつである「やつし」に他なりません。さように心得てもう一度お読みください。「やつし」役は二重構造の中に生きる人間の苦悩を表現するところで役者としての性根が試されるものです。17人が語る葛城の苦悩の表現振り。なるほどそうであったのかと、そこをじっくりと鑑賞したいと思います。そうすればどこかで大見得を切る葛城の姿が浮かび上がってくる。「カツラギッ!」と大向こうから声がかかるという緊張した歌舞伎観劇の気配にございます。

いやいや本著といい先日読んだ辻原登『円朝芝居噺 夫婦幽霊』といい、斬新な趣向の文芸ミステリー、まさに有卦入り年でありますな。


佐々木譲 『うたう警官』

2004年3月5日の北海道新聞より、道議会総務委員会で4日開かれた元道警釧路方面本部長に対する参考人質疑の一部である。

「私が裏金づくりに直接タッチしたのは、一九六四年四月に配置された当時の北見方面本部刑事課が最初。階級は巡査部長だった。初めて領収書や関係書類を、命じられるままに偽造した。その後、退職した九五年まで十七カ所の所属(部署)を転勤したが、何らかの形で裏金づくりに関与し、一部を受け取り、その存在を知っていた。」

この報道の示している状況を「うたう警官」と呼ぶらしい。「うたう」は内部の不祥事を「証言する、密告する」の意で自己防衛本能が際立つ警察組織にしてみれば「うたう警官」は裏切り者であり以後、つまはじきにされ警察官としての生命は断たれることになるようだ。

2007/05/24

装丁帯には
「北海道警察を舞台に描く、警察小説の金字塔!」
とあるが、この事件以降もいろいろな組織的不祥事が頻発しているだけになるほどこれが警察の体質かとフィクションならではの「真実」へ切り込みはかなり鋭い。札幌市街地のディテールも加わり、その迫真性が「まさかそこまでは」から「もしかしたらこんなことまで」と増幅し、ある意味でかなりきわどい。当局からはにらまれかねない傑作の警察告発小説である。

「追うも警官、逃げるのも警官。警官殺しの容疑をかけられた刑事に射殺命令が下された。捜査を外された有志たちによって、彼の潔白を証明するために極秘の捜査が始まるのだが………。」

佐々木譲については第二次大戦を舞台にした『ベルリン飛行指令』『エトロフ発緊急電』『ストックフォルムの密使』を読んでいる。これらは日本の作品では当時、珍しいジャンルの戦争冒険小説だった。読者にとっては史実の裏側にある「真実」へ好奇心をおおいにくすぐられ、また追いつ追われつのアクション・サスペンスに興奮させられた。そして人間性を抹殺する軍隊組織、国家機構にあって自己を貫徹する男たちの生き様、そこでなお人間であろうとする男たちの矜持が鮮烈であった。冒険小説であってしかも人間を描いていた。そこが戦争冒険小説として異色だった。『うたう警官』、しばらくご無沙汰していたが、これは時代、舞台こそ違えあの佐々木譲の完全復活である。

「もし正義のためには警官のひとりやふたり死んでもかまわないってのが世間の常識なら、おれはそんな世間のためには警官をやっている気はないね」
と正統ハードボイルドの味わいも冴えて、懐かしい。

管理社会といわれて久しいが傍目でうかがい知るところ警察組織ばかりではない、企業組織にとってもサラリーマンを締め付けるがんじがらめのルールはますます緊縛の度を加えているようだ。もとろん内部告発の制度化も進んでいる。窒息しかねないように思える。長いものには巻かれろ、逆らったらオチこぼれとつまらん時代になったもんだ。だからこそ逆に、この小説のような反骨精神、ヒューマニズム、同じ釜の飯を食ったもの同士の交誼に素直に感動できる読者層は思いのほか厚いのではないだろうか。

ただし、前掲の作品群のようなしっとりした情感はほとんどない。シリアスな警察批判だけでもない。残された時間は明朝までと、タイムリミット型のサスペンスが文字通りジェットコースターのスピードで走り出すから、ページをめくるのももどかしい。
巨大組織あげての捜査網がじりじりと彼らを追いつめる。まさに迫真の情報戦なのであるが、SFまがいの諜報網など登場せず、しかし、この情報戦にはミステリーとして読者を楽しませてくれる新機軸があって、しかもラストはクリント・イーストウッドが主演した映画『ガントレッド』を髣髴させる緊張が待ち受ける。エンタテインメントとしても完璧な仕上がりだった。