高村薫『新リア王』上巻

読書中の感想 『晴子情歌』との結節点

「この雪の昏さなんだろう」「この真闇は人も獣もない原始のように暴力的だ」まるでこの作品を象徴するかのように混迷の深奥から立ち上がる冒頭の第一節である。


2005/11/09

時は1987年11月、場所は雪に埋もれた西津軽、曹洞宗の草庵・普門庵。衆議院議員、自民党田中派の長老格、青森県に君臨する福澤王国の王・榮(75歳)が僧侶となった実子・彰之を訪ねる。
と、物語がスタートするのだけれど、これは前作『晴子情歌』との結節点を整理しておいた方が良さそうだ。
「晴子」は大正8年(1919年)本郷の左翼系インテリを父に生まれたが15歳にして津軽の寒村に流れる。貧農の生活、鰊漁場の労働を見たのち、父を失い県下の名門、野辺地にある衆議院議員福澤勝一郎の本宅の女中として引き取られる。代議士を辞職した勝一郎は実業者としての手腕を発揮し、建設、水産と事業拡大に成功する。
昭和17年(1943年)、「晴子」22歳は福澤家の三男・淳三とその出征の前夜に形だけの祝言をあげ、淳三が他の女に孕ませた幼子・美奈子を引き取り愛育する。
昭和21年(1944年・終戦の翌年)、すでに妻子のある長男・榮と一夜の情交の結果、彰之を出産。一方、榮は戦後初の選挙で初当選し東京へ戻る。同年、淳三が復員し、屈折した家庭生活が始まる。

『新リア王』冒頭の榮と彰之の対面にはこのような父子関係の背景がある。

彰之はいちど野辺地の常光寺にあずけられている。東京の大学に進学し、全共闘運動に参加しなかったことになんらかのこころの重みを残しつつ、卒業後、昭和43年(1968年)に福澤水産の北転船の漁船員となった。

昭和51年(1976年)「晴子」57歳、死去。彰之は船を下りて、筒木坂の浜辺の寒風に身をさらして、仏門へ歩むことを予感させる。

『新リア王』の冒頭は血のつながりがある父子とはいえ、因業ただならぬ男同士の初めて交わす対話なのです。

ところで私は目下、ドストエフスキーの『悪霊』に取り憑かれているのでこの『新リア王』というやはり難物を読むことをためらっていたのですが、第1章を読めば高村が『悪霊』と非常に近接したテーマにチャレンジしたのだなと気づくところがあって、これは併読しても意味があるのではなかろうか。
『悪霊』では宗教と革命のふたつを重要な題材として急速な欧化がもたらした混沌からあらたなロシアを再建させるべく苦悩する精神の咆哮を描写したようなのですが、高村も日本の現状を価値観の混乱した漂流状態にあるとの認識に立って、宗教と政治になにか期待できるものがあるのかないのかを現実的な座標軸で模索しているような気がするのです。ドストエフスキーはロシアにある精神的混沌を濃密に描写していますが、そこにとどまり、なにをすべきだなどと言うことはない。まだ上巻しか読んでいませんが高村もおそらく答えを持ち合わせているはずはない。ここは政治家でもなく宗教家でもない小説家であって、文学の世界に生きるものの政治感、宗教観が充実している。
とにかく興味津々として読み始めたわけです。期待ははずれていません。

ただ宗教については気になることがあります。それは当時のロシアにおけるキリスト教は政治、経済、文化、人々の生活に強力な影響力があって宗教論はすなわちロシア論でありえたのですが、日本において、仏教は日本人の精神の一部分にすらなっていないことです。宗教になにかを期待するなんてことは一般的にはないのじゃないかな。だから、第1章で行われる延々とした父親の政治観とこれも延々とした息子の宗教観が同レベルの迫力では伝わってこないのですね。これは単なる第一印象かもしれません。

期待できないものに期待をかけることも今は必要な時なのかもしれないなどと、そんなこんなを含めて読み始めたことになります。

『新リア王』の冒頭は血のつながりがある父子とはいえ、因業ただならぬ男同士の初めて交わす対話なのです。そして福澤榮。

2005/11/14

ところが「対話」というよりもまず榮という政治的人間の半生が「独白」で延々と綴られる。この話し言葉になっていない、まるで一人芝居のようなセリフのとどまることない奔流にまず驚かされた。
それは戦後政治のいわゆる55年体制を生きた政治家の半生であるから、時間軸を後に先にしながら実在した具体的な人物、実際にあった政治劇があふれるように登場して、あたかも政治事件小説かのような誤った印象をあたえるほどだ。
いっぽうで政治家とはなにか、政治とはなにか、民主主義とはなにか、国家とはなにかと形而上的、抽象的な政治形態論、政治思想論、政治人間の解剖的分析論が同じぐらいのボリュームで語られる。
さらに彼の周辺に存在し福澤王国を形成する家族、秘書、官僚、青森の政治家、経済人、同じく福澤王国に対立するそれらと、膨大な個性が念入りに描かれているのだ。

どうやら高村は福澤榮を戦後の保守党政治家の実力派の総体、いい意味で本来的保守政治家を総合して割ったような抽象的政治人間として登場させたようだ。
一つの個性が政治へ志向する動機はなにか。政治の舞台を経験し、力を獲ていく過程で彼が感得した政治というものが一般に期待されている政治とは異質ななにかであること。それなりの見識と国家観をそなえた良識の政治人間がいっぽうで出身地の繁栄の為に利益誘導をすすめる打算の政治人間である二重人格性。さらに一家の繁栄とその次世代への継承といういわば個体としての生存本能もまた政治家のエネルギーでもあるのだ。

「対立と調和と妥協の構図」が重層的に組み立てられている。
ひとつは日本国家と福澤栄という個体としての政治人間。
その延長で国家と福澤一家(福澤王国)さらに国家と福澤の基盤である青森県という地方社会の構図がある。
加えて福澤一家と榮、地方社会と榮とにある「対立と調和と妥協の構図」が分析的にかつ高度に文学的に粘っこく描写されている。

もうひとつには時間軸を加えた世代間にこの構図をとらえている。

個人個人の総和としての家族であり、地域社会であり、国家である。利害がいたるところで衝突するこの総和としての文明の時間的経過をだれの手にゆだねるのか。能動的にこの構図とかかわろうとするエネルギーの化身、生身の人間・福澤榮をここに放り込んで、高村薫の冷静がその実相暴きにチャレンジしているのだ。

福澤榮は語る。
政治なんてものは所詮「人間の生活の諸条件とそれが作り出したシステム」にすぎないんじゃないか、絶対的に正しい世界を作るなんて期待するのが間違いと果敢な割り切りをしちゃっている。それで「わたしによってくどくどと生きられた時間の集積が」確信できる政治であって、「私という主体が『王』となって体系づけることで(私が)安定をうる」

これはまるで、ニーチェの語る「超人」の言そのものではないだろうか。
この傲慢不遜は私・愚民をゾクゾクさせる迫力と同時にどこか空恐ろしいものを感じさせます。われわれがいつも感じている現状の政治に対する不満と期待の延長にある根源的な政治の魔性、それは神性と紙一重のところにあるとの示唆が滲んでいます。

福澤榮はいま時勢が大きく変わりつつあることを直感して不安の淵にある。新しい価値観が台頭しつつあるのだがそれが読みきれずに焦燥し疲労している。その不透明感の先には一族とともにあった青森の福澤王国の崩壊かもしれない、福澤が自身を投影してきた日本国家像のメルトダウンであるのかもしれない。

そして物質文明と表裏にある精神文化。総和と個の「対立と調和と妥協の構図」はそこにもあった。
仏への道を歩む彰之が語り始める………。

彰之は語る
尋常ならざる修行、心身を苛む苦行の日々のなかでいまだ悟りを得られぬ己への煩悶が繰り返し繰り返し告白される。仏教の専門用語が解説抜きで氾濫するのだが、読み手としてはここは溺れずに大雑把に感覚だけで消化してしまうのも方便であろう。


2005/11/17

もともと禅の教えというものは言葉では説明できないものなのだそうだ。深層心理の奥の奥にある感覚の神秘体験で感じ取る。だから公案の禅問答は落語にあるコンニャク問答になってしまうものだ。高村薫自身が言葉にならないものを言葉にしたというチャレンジだと述べているぐらいなのだから、難解であるにとどまってもいいのじゃないかな。

禅宗については最近再読した京極夏彦『鉄鼠の檻』が小説としては入門書的な禅宗の総括になっていて、その印象の延長でとにかくむりやり消化したという程度の理解しかできませんでした。そうそう、三田誠広の『わたしの十牛図』も禅の修行のプロセスを現代的センスで書いたものですが、これも彰之の語るイメージをつかむのには参考になりましたね。

現世の苦悩・束縛から解放されて絶対自由の境地に達する。迷いが解けて真理を会得する。永遠なる宇宙の理法に同化する。こういう悟りというか解脱というか、あるいは仏心をうるという境地をめざすのが座禅を主体にした禅の修行なのでしょう。
ただここまでであれば自分自身の救済にすぎないのであって、到達すべきところは衆生済度、つまり迷いの苦海にさまよう人々に悟りを得させて救済するところに禅宗の究極があるのでしょう。個の救済と総和としての救済の両立があるはずです。
おそらく彰之の内心には衆生済度がありながら、自己の救済にもいたらず、まず彼にとって我執からの解脱がテーマになっている。我執からの解脱とは世俗とのしがらみ、核心には「福澤家の血のしがらみ」から解き放たれることがあるようだ。そして彰之も榮と同様に暗闇の深奥で煩悶しているのだ。

自己撞着の迷路にさまよい込んだ彰之は結跏趺坐の形式修行をいったん放棄し、山を下り、俗界に身を置く。仕切り直し。あえて束縛の縁を深めたうえで、解放へのジャンプを再度試みるためである。そして今、西津軽の草庵・普門庵の住職にある。

『鉄鼠の檻』にも同様の発想の僧侶が登場していました。自己解放のために煩悩の元で囲いをつくりその「檻」にまず閉じこもるという手合いがありました。
十牛図でいえば何枚目の絵の段階にあることやら。少なくとも8枚目以降の「人牛倶忘」「返本還源」「入廛垂手(ニッテンスイシュ)」の境地には日暮れて道とおしの感がありますね。

どうも彰之の人物は榮の人物が私にとって分りやすいほどにはぼんやりとしか見えてこない。それはもともと宗教で衆生済度はありえないとの現実感覚があるからですね。

上巻では新リア王のリア王的悲劇への具体的転落はまだ明らかにされていない。そして彰之がなお進もうとする仏への道に立ちふさがる現実的宿怨も不明のままである。
ところでリア王的悲劇とはなんなのか勝手に推測してみた。

2005/11/18

シェークスピア『リア王』の概要について安直ながら平凡社世界大百科事典から「リア王」を引用する。
ブリテンの老王リアは王国を3人の娘に分配する決意を固め,それぞれの娘にその孝心の告白を求めるが,追従を口にする姉娘たちとは逆に,末娘コーディーリア Cordelia は朴訥(ぼくとつ)な答えで父を怒らせて親子の縁の断絶を言い渡され,彼女に求婚したフランス王とともに去る。その後リア王は忘恩の姉娘たちに冷酷にあしらわれ,狂乱の姿で道化を供にあらしの荒野をさまよう。やがて援軍を率いて上陸したコーディーリアは父を救出してやさしく看護し,正気を取り戻したリアと感激の対面をするが,そのあと姉たちの軍勢との戦いに敗れて捕らえられ,絞殺される。再び狂気に陥ったリアは彼女のなきがらを抱えながら悲痛な絶叫を残して息絶える。これと並行してリアの重臣グロスターが庶子エドマンドによって暴虐な目にあわされる脇筋が展開する。リアの心の内のあらしと自然界のあらしの呼応,凄絶(せいぜつ)なリアののろいと道化のノンセンスの交錯は,世界文学史上まれな壮大で複雑な感動を引き起こすものであり,ロマン主義時代には上演不可能とまでいわれた。リアの苦難とコーディーリアの死に作者の虚無思想を見たり,逆にキリスト教的悲劇性を説いたりする立場が根強いが,劇全体の実存的不条理性を強調しようとする現代的解釈もある。
   

沈みゆく夕日を背に足元からのびる自身の長い影をみている福澤榮と同じく、暴君リア王も老いた。王の勤めを果たす気力も、時代の流れについてゆく力量も失われた。老人はただ残される一族の永続的繁栄を確信しつつ平穏な余生を願うばかりであった。そこで王の称号を手元に残しただけで、全領土を3人の娘たちに分与し、家族の結束を深め、そのものたちの感謝と愛とつつまれた引退を決意したのだ。しかし、思惑はどこかが狂ったのだ。その結果は上記のごとく悲劇であった。裏切られた父性愛、姉たちの追従を信じ、末娘の本当の愛情を気づかなかった父の悲劇である。

しかしリアの気づかなかったところ、リア王の本当の悲劇は次の点にあると理解すればそれは新リア王・福澤榮の悲劇でもあるといえそうな気がするのだ。
シェークスピアの生きたエリザベス時代は宮廷文化が市民文化へと移行する時期にあたる、イギリス・ルネサンスの最盛期をいう。この時代は中世の封建制から中央集権的な近代国家体制への過渡期に当たり、宮廷は権力とともに文化の中心となりつつあったが、半面、資本主義の勃興による都市ブルジョアジーの台頭は、ロンドンの市民生活を活気あるものにしていた。思潮的に見れば,キリスト教的ヒューマニズムの伝統が依然主流をなしていたとはいえ、世紀の改まる頃から現れ始めた懐疑思想は,文学のうえにも大きくその影を落とし、やがて時代全体がシニシズムの色を深めていく。


リアの誤りの一つは時代の流れ、中世の封建制から中央集権的近代国家体制への変化を見抜けず、本来国家の統制力をさらに強化すべきところを、3分割し分散させ、外国の侵略を許すまでに弱体化させたことにある。
もう一つの過ちは「修身斉家治国平天下」とでも言うべきか、つまり一族の結束とか一族間の愛情の固い絆が国家の繁栄と同時に存在する時代から合理主義が貫徹し始め、個人の欲望が優先する時代に入りつつあることに気がつかなかったということでしょう。こうした新時代から生まれた娘たちの打算や欲望はまさに思いも寄らないことだったのだ。

リア王の悲劇は新しい価値観の台頭に対応できなかった為政者の悲劇としてとらえるべきでしょうね。

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