五條瑛 『熱氷』
大型新人が無理して書いた色あせた復讐劇
2002/11/09

装丁帯にこうあった。「俺は、人は撃たない。撃つのは氷だけ。人気絶頂の現総理の元に脅迫状が届く。姿を見せない脅迫犯と氷山ハンターの男、三日間の息詰まる攻防。注目の大型作家、待望の長編エンターテインメント」

「大型」で「ハンター」が登場し「氷山」と「人気絶頂の現役首相」ときたもんだ。小泉首相のようなスター首相が国際的陰謀に巻き込まれる。おそらく南極の氷山の底に秘密基地があってスーパーマンスナイパーがこれを救出するお話とブックオフの書棚がささやきかけたもんだからついつい新人の力量も見たいとの興味もあって買ったのだが、だめだなこりゃ。
だいたい「人は撃たない撃つのは氷だけ」とのフレーズだが意味不明。氷壁は普通「撃つ」のではなく「穿つ」もんだろうが。やはりここは「俺は、人は撃たない、撃つのは人でなしだけだ」と決めてほしかった。
氷山ハンターってなーに?氷山を標的にするんなら射撃の腕に関係ないやね。極地の動物、シロクマやアザラシ、はたまたペンギンでも狩るのだろうか。一目瞭然ってもんが惹き句だろうが、もうちっといいコピーライターを使えなかったのかねぇ。

フムフム、わかりました。ミネラルウォーターの原料にするため氷山を採取するビジネスがあるのだそうだ。「めぼしをつけた氷山をライフルで狙い撃ち、適度な大きさの塊に崩してから船に積む。小さな鉛の弾が当たっただけで固い氷は崩れない。安全に必要な分だけ崩すことがとても難しいのだ。無茶な崩し方をすると危険な回転が起こり、周辺にいる小型船など氷山の回転が引き起こす波に呑まれて転覆することになる」なるほどこれで大団円のシーンは予想がつく。このやり方で悪の海底基地を叩き壊すというわけだ。
ところが、オイオイどうなってんの。いつまでたっても狙撃シーンはない。

装丁裏表紙「最愛の姉の、突然の訃報。カナダから帰国した男を待っていたのは………。男たちの愛と憎しみが犯罪を加速させる。熱く、激しい闘いの三日間」な〜んだそういうことなの!「最愛の姉」なんて変な表現と思ったが、これはネタバラシになっちゃうんだけど、義理の姉でございまして、つまり男たちのイイ女(最も人物描写が下手なもんで、そんなにイイ女なのかわかりません)を巡る嫉妬が動機となった内輪の復讐劇でしかないではないか。
最後はようやっと狙撃、でました。だけど撃つのは氷山ではない。東京湾に浮かぶ貨物船の積荷!
おそらくこの著者は氷山ハントの実景について見た経験なしに書いているんだな。実感がわいてこないんだもの。


佐藤正午 「ジャンプ」
待望の文芸ミステリー????
2001/2/9
文芸ミステリーという概念があるとして、たとえば東野圭吾「秘密」「白夜行」などはわれわれの世代も若い世代も共感を持てる作品として挙げられるかもしれません。帯に「若者待望の文芸ミステリー、失踪をテーマに、現代女性の『意思』を描く」とあった佐藤正午の「ジャンプ」を読んで、結局、文芸でもなければミステリーでもない、いったいこれは何なんだと考えてしまいました。

私の解釈では、この主人公である若者は、世間知らずというよりは自分と他人と区別がつかないか、むしろ自分以外の世界に興味をもたないというか、自分以外の世界から逃避している、そんな人格なのでしょう。端的に言えば、自と他が対峙すれば常に存在する摩擦にいささかも耐えられない人と言える。生きるということは正にそこに意味があるのだが。しかも心身ともに普通の人だから、私としては、間違って採用した会社は一人前に育てるに相当コストがかかるだろうな、うっかりするとストーカーになっちまうななどと余計な心配をしてしまいました。こういう奴だからガールフレンドが「あんたとつき合うより、別なところで新しい仕事を見つけるは!」と単純に別れただけなのに、何を間違えたのか、特別な失踪、現代女性の「意思」という劇的な意図を見出そうとするから、おろかしいお話になってしまう。で、最後まで、ただそれだけだ(おまえがもてなかっただけだ)ということに気がつかないのです。まして滑稽なことに彼女の家族や友達はこの「失踪」を全く心配していない。作者自身が気がついていないのじゃないかな。

「現代女性の意思」とか「人生を選び取る実感」を語るにしては現実に生きている一般の女性の、いい意味でのしたたかさについて知らなさ過ぎるんですね、きっと。
損をした気分で読了しましたが、すばらしいジョークに気がつき損を取り返しました。
帯の言葉ですが、「『若者』待望の文芸ミステリー」と読んだのですがそうではなく、よくよく見るに「『著者』待望の文芸ミステリー」とある。自と他の区別ができていない。正直だ。

沢木耕太郎「血の味」
「血の味」の味
00/11/27
沢木耕太郎の作品を始めて読んだ。なんとも不可解なそれでいてどこか自分自身の内にあるやましさ、暗部を垣間見るような現実感。それは既視感の類かもしれないなどと、思いがけない奇妙な味の小説であった。15歳の少年が殺人を犯す、といえば今ではありきたりな事件になってしまった。作者は決していまふうな解釈を加えない。猟奇的興味は一切ない。

少年時代、鋭利なナイフをみつめ、何か官能的な興奮を覚えた時期があったような気がする。通学の電車で、中年のオヤジから、股間を触れられ、にらみ返したことも記憶によみがえる。「青春」を肯定的に描いた三島由紀夫「潮騒」や川端康成「伊豆の踊り子」の類ではもちろんない。清張の「天城越え」、水上勉「雁の寺」など少年の屈折した心理を扱った傑作サスペンスがあった。が、これらは理解しやすい。なぜ人を殺すか、「罪と罰」「異邦人」にある宗教的哲学的思考とも無関係である。とにかく私の頭には複雑なイメージが錯綜する。作者は少年の心理を理屈で追及することなく最後まで未知の深層を残したまま終える。それでいて深い余韻を堪能できる読みがいのある作品である。ミステリーとしても楽しめます。