船戸与一 『満州国演義2 事変の夜』

第一巻にはなかった著者「後記」があってこの作品を描く船戸の基本姿勢が述べられているがこれが一読に値する。

2008/03/12
昭和5年1月、浜口雄幸内閣が金解禁を実施したことにより日本は世界大恐慌の直撃を受ける。農民、都市労働者の窮乏、深刻化する国民生活。4月に締結したロンドン軍縮条約を政友会の犬養毅、鳩山一郎が統帥権干犯として議会で追求。軍部は将来の国家総力戦準備として、満州の鉄、石炭などの資源獲得を緊要とするとともに、最大の仮想敵国であるソ連との戦争に備えるために南満州の確保を必須とした。さらに朝鮮統治の安定、大恐慌下の社会的不安の鎮静や人口問題の解決などのためにも、満蒙問題の解決が必要であると高唱されるようになった。満蒙領有化か五族協和か、温度差はあれ、日本中に大陸侵攻を必然とする熱気が沸騰していた。だれが流れを作ったのか、関東軍の暴走か、それはあるだろう。が、それだけではないことも事実であろう。軍部も、政府、経済界、学者、思想家、宗教家そして一般庶民、あらゆる階層が昭和狂気の激流に飲み込まれていくようだ。
船戸はこの流れを「やむをえなかった」とする立場をとるものではない。逆に「間違いだった」と直接の論評はしない。冷静に小説家として、昭和狂気の実相に鋭いメスをいれていく。
『満州国演義2 事変の夜』、著者は昭和5〜6年の二年間を400頁のボリュームでもって詳細にかつ多様な素材を駆使して描き出している。そのディテールは確たるものがある。著者がこの作品へいかに力を入れているかがうかがい知れる。「軍部の暴走をめぐり対立する太郎と次郎」「流されるままに謀略馬賊として軍に協力することとなった次郎」「自分の罪のために上海に潜伏する四郎」四人の兄弟は立場が違うが共通して良識ある人たちであった。その彼等がこの昭和の激流に押し流される。その悲劇性を徐々に徐々に丹念にそして残酷に描写していく筆の冴えが素晴らしい。

「後記」で著者がこんなことを述べている。
「筆者は昭和19年の生まれで飢餓体験はあっても戦争の記憶はもちろん中国で九・一八と呼ばれる満州事変前後の事情ともなるともはや遙かなる過去でしかない。したがって執筆にあたってはすべて資料に頼った。小説は歴史の奴隷ではないが、歴史もまた小説の玩具ではない。これが本稿執筆の筆者の基本姿勢であり、小説のダイナミズムを求めるために歴史的事実を無視したり歪めたりしたことは避けて来たつもりである。」
同じ年代の私としてはあらためて昭和史を勉強している気分になる。思えば昭和史理解なんて学生時代に読んだ松本清張の『昭和史発掘』ぐらいのものだ。そして小説のダイナミズムを充分に楽しみながら読んでいる。いつの時代でも、現代のおいても同質の危険な熱狂というものがありうるのだと思いながら………。

まさしく本著は「本格歴史小説」の名著である。

船戸与一 『満州国演義3 群狼の舞』

船戸与一が冷酷にあぶりだす人間性悪の極限図。
人の性は悪にしてその善なる者は偽なり。人間の本性には生まれつき利益を追求する傾向があり、それに従ってゆくから、他人と争いになって譲り合うことがなくなるのである。また生まれつき嫉んだり憎んだりする傾向があり、それに従ってゆくから、他人を害するようになって誠心の徳がなくなるのである。(荀子 性悪篇)

2008/03/29

昭和7年
1月上海事変、2月リットン調査団来訪、2月3月血盟団井上元蔵相と団琢磨暗殺 3月満州国建国宣言、5月馬占山抗日戦 朝鮮人の上海事変祝勝会場への爆弾テロ 五・一五事件、 9月日満議定書調印(満州国承認)、10月リットン調査団報告書発表
昭和8年
1月 山海関事件、3月日本軍熱河入城 国際連盟脱退 5月塘沽停戦協定締結
『満州国演義3 群狼の舞』で描かれるこの昭和7〜8年の主な事件をピックアップするとこうなるのだが、すべてその背景が詳述されているのでさながら昭和史の勉強をしているようだ。とはいえ、あくまでもダイナミックな小説を夢中になって読んでいるのであって、知識を習得するための勉強の姿勢にはない。満州の情勢と日本国内の状況が呼応する巨大な狂気の渦を実感するドラマにのめりこまされる。これら事件が直接間接に関わりあう4人の兄弟の視線で語られているからだろう。

ところで最近はいろいろな「真実」を声高に主張する向きがある。たとえば「南京大虐殺」「従軍慰安婦問題」「沖縄集団自殺への軍の関与」「侵略戦争とする歴史観」などこれら従来の通説には誤りがあるとの指摘だ。ただ単に誤りがあるとの指摘にとどまらない。そんなことはなかったのだという「真実」を構築しようとしている作為が鼻につくのだ。
満州国建国。それは日本中が熱望したものの実現であった。そして「なあ軍人さん、いったいなにをぐずぐずしているんだい?早く盗っちまえよ、熱河を!」とさらなる大陸侵攻への欲望が拡大する。だれの欲望がと問われればマスコミを含めた日本中の狂気がと著者は答えるであろう。「熱河侵攻」は満州国経営を支える財源確保のために、ここで栽培される良質の阿片マーケットを関東軍としてはどうしても手に入れたかったからだ。こういう見方は始めて知ったがいかにも船戸与一好みの着眼点で面白い。事実そんなこともあったのだろう。
昭和の狂気は五族協和・王道楽土の建設、そして植民地化されたアジア諸国の解放として隠蔽され侵略が正当化される。このプロセスもひとつの読みどころとなっている。
関東軍の動きに批判的だった外務官僚の太郎はそれが欺瞞だと知りながらも「国家を創造することは男の最高の浪漫だ」と新国家建設にのめりこんでいく。そして熱河を盗れとの作戦行動に協力していく。その自らの変質を王道楽土建設、アジア開放として合理化していく。そこには戦争という狂乱がかくして人間を醜悪なものに変えていく劇的な描写があった。
一方、憲兵の三郎は皇軍の軍事行動を正義の実現と信じていた実直な軍人である。しかし彼は兵卒たちのよる住民への殺戮、略奪、強姦の現場に遭遇する。あんたにはわからん、これが戦争なんだとうそぶく彼等の声に慄然とする。そして極寒の地で死に直面する兵士たちをよそに、上級将校たちが放蕩三昧にふける痴態を目撃しこれが天皇陛下の軍隊かと激怒する。彼はそこにある巨大な欺瞞に気づきつつある。太郎とは異なる悲劇が始まろうとしているのだ。

著者は戦争が人間を醜悪に変え、人間の醜悪さが戦争を拡大させる悪循環を描写する。
関東軍特務機関の間垣徳三が語る。五族協和だの王道楽土だのはもともと方便に過ぎんのだよ。真理はただひとつだ。だれかが誰かを食う。人間はね、他の人間を食うことによって成長する。民族も同じだよ。わが大和民族はひとまず他のアジア民族を食う。それから白人種を餌にしていく。戦争はでっかい経済行為なんだ。戦争のための産業が生まれ死者によって人口調整を行う。これほど能率的な経済行為はない。
冷酷な人間論、戦争論ではあるが妙に現実味を感じさせるところがあってこわいこわい。

船戸与一 『満州国演義1風の払暁』

船戸与一の作品では『蝦夷地別件』、「滅びの残酷史」というべき最高傑作があったが、「満州国演義」第一巻を読む限り、『蝦夷地別件』に匹敵する、あるいはこれを超えるかもしれないとすら予感を覚える大河ロマンの幕開けである。

2008/03/03
大河ロマン「満州国演義」の第一巻「風の払暁」は中国大陸と日本を舞台にして昭和3〜4年という短い期間を描いている。400ページに近いボリュームがあるのだが、いかに精密にこの昭和の払暁を描いているかがわかるであろう。
北伐を再開した蒋介石の北上に対し田中義一内閣は居留民保護を名分に第二次山東出兵を挙行、済南城を攻撃、占領する(済南事件)。そして蒋介石軍に追われ、北京から奉天に向かった軍閥・張作霖が関東軍高級参謀河本大作大佐の謀略により爆殺される(満州某重大事件)。張作霖の後継者・張学良の国民政府への帰順(易幟)。
国内では震災処理に端を発した金融恐慌の深刻化から四大財閥の独占が進み、中小商工業者の相次ぐ破綻・閉鎖によって労働争議が全国で勃発、失業者が溢れる。一方で改正治安維持法による左翼活動への弾圧強化と社会は騒然たる状況に追い込まれていた。田中内閣総辞職と浜口雄幸民政党内閣の成立。

敷島家、長州出身の名家。この昭和の動乱を生きることになる四兄弟が実にドラマチックに登場する。
次男・次郎。日本を捨てた馬賊の長である。ここでは母国の大陸侵略と関わりなしと颯爽として満州の地を駆けめぐるが………。四男・四郎。学生という立場に甘んじながら無政府主義に傾倒している。彼は特高警察の刑事・奥山貞雄の姦計に嵌められ、絶望の淵に立たされる。そして大陸へ………。長男・太郎。奉天日本領事館の参事官、関東軍の独走が国際世論に耐えられないと強い危惧を抱いている外務官僚であるが自分の立場にその無力感を隠せない。彼を取り込もうとするは関東軍特務機関の間垣徳三の狙いは………。三男・三郎。奉天独立守備隊に所属する真面目で武骨な軍人。彼は間垣徳三に持ちかけられ張作霖爆殺事件の片棒を担がされる。

あまた歴史上の人物が登場する。私の知っている事象、知らなかった事実の詳細がストーリーの節目節目で生き生きした背景になっている。そしてそれらすべてが四兄弟と密接にかかわり、彼等と一体になってドラマを構成する。だから緻密でありながら昭和史の解説に堕さず、昭和という脈動が感覚的に伝わってくるために、その迫力には圧倒される。歴史の事実は変えようがないのであるから、この第1巻の直ぐ先にあるのが満州事変の勃発だとわかっている。わかっていながらそこへ向かってじわりじわりと積み重ねられる事実経過の紆余曲折、その事実に押し流される人たちのドラマの数々が、まるで先の読めないリアルタイムのようで、読む人の緊張感が高いテンションのままに最後まで持続するのである。

装飾帯に「そこには欲望のすべてがあった。望んだものは金銭か、権力か、それとも夢か」とあって登場人物たち個人のギラギラした欲望の相克をさしていると誤解されやすいがそうではない。
一言でいえばテーマは「戦争と人間」、主人公は「昭和」そのものであると。


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