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原尞 『そして夜は甦る』
近々、原尞の新作『愚か者死すべし』が刊行されるという。業界の常識からおそらく今年のミステリーランキングの上位確保は間違いないだろうなどと贔屓目をしながら
2004年11月5日
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この機会に実は内容をまるで忘れてしまっていた処女作『そして夜は甦る』を改めて読んでみた。このデビュー作は1988年に刊行された。16年以上も前の作品である。彼はその後1989年『わたしが殺した少女』1990年『天使たちの探偵』そして1995年『さらば長き眠り』を最後にこれまで沈黙を守っていた。本格ハードボイルドの第一人者である彼の新作を心待ちにしていたミステリーファンは少なくないであろう。
西新宿の高層ビル街のはずれ、私立探偵沢崎のもとへ海部と名乗る男が現れ、ルポライターの佐治の消息を尋ねる。行方不明の佐治の調査に乗り出した沢崎は事件がやがて過去の東京都知事狙撃事件の全貌とつながっていることを知ることとなる………。
自らチャンドラーに捧げると宣言した作品だけの自信作、これぞ本物のハードボイルドと、その魅力がギュッと詰まったこの作品の、改めてその深い味わいを堪能することになった。ハードボイルドといわれるあまたの和製ミステリーが単に派手なバイオレンスを売り物にしているだけに、本物はむしろ最近のはやり言葉で「癒し系」なのだと気づかされた。
都会の中の光と影、そこの山と谷の狭間、虚実の境目で闇雲に彷徨ったなと枯れた心境でこれまでの人生を振りかえる、そんな年代にはこたえられない情感にあふれるのだ。癪にさわるが登場人物のセリフにいちいち共振させられる。
ハードボイルドのどこが魅力か。
非合法の世界との接点
その接点にいきるものの美学
脇役の個性、しかも主人公と同様のそれぞれの美学。
敵役と主人公の類似性
哀調を帯びたモノトーンのベール
反権力の力学
そしてもっとも肝心なことなのだがリアル感。私達の多くは謹言居士でもなければ石部金吉でもない。非合法とは言わないまでも「法の網の目をくぐる」あるいは「反倫理的」行動を時に繰り返している。そういう自省の目でハードボイルド小説を読むと、親近感を覚えながら、主人公の一徹さに魅かれ、自分にはなしえなかった爽快感をほろ苦く味わえることになるのだ。危ない感覚かも知れないがこれが「癒し系」と申し上げるゆえん。「男の世界」なんでしょうね。
リアル感について一言触れると、読んでいる途中で「え! この作品最近書かれたものではないの?」と、ドッキリするところがある。登場する都知事の経歴が文学者で、その弟が俳優でかつ映画プロダクションの大物実業家という想定なのだが、現都知事が就任したのが1999年だから11年前に書かれたとは思えない臨場感なのだ。「マスコミは都知事を絶賛しているし、都民の評価も高くなる一方だ。最初は難色を示していた自民党や反対派までが、近頃は沈黙してしまった」とまで書き込んでいるには驚きます。
これだけ緻密で複雑なプロット、最近ならば上・中・下とボリュームを水増しさせてもおかしくはないが、一冊で纏め上げている手腕にも好感を覚える。とにかく新作が待ち遠しい。
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北方謙三 『水滸伝』 第十五巻
いついかなる戦争にもカッコイイ終わり方などあるはずはないのだ。
2004/11/06 |
宋国も梁山泊側もともに戦いに疲れが見え出す。この大河小説の筆の運びも息が切れ始めたかとの印象を受けるが、むしろこの第15巻は終結へ向けて流れを変えるタイミングのための踊り場なのだろう。
全土に広がった梁山泊の山寨のそれぞれが宋軍の全面攻撃を受ける。首都開封への攻撃拠点流花寨は6万の禁軍、4万の地方軍、3万の水軍に攻め立てられる。双頭山は6万の地方軍に本営を取られ、陥落寸前。二龍山は北京大名府軍4万と膠着状態。ここでもう一押し宋国の攻撃に勢いが加われば一挙に梁山泊は崩れる………。
各拠点での戦闘模様が交互に叙述されるのだが、残念ながらこれまでの合戦に見られた機略、知略もネタ切れになったのかとの印象は免れない。何人かの登場人物のエピソードも平板になって節目の役割に光るものが薄らいでいる。
梁山泊のこれまでの勇ましい連戦連勝の図式はここにいたって頓挫する。宋国にも戦費の調達が限界に近づく。また青蓮寺派の強硬路線に対し、高キュウと皇帝側による休戦の工作が進行する。双方が果てしない消耗戦を続けることは現実の戦争でもありえないことだ。すでに大量の犠牲者を積み上げてしまったこの戦争の張本人、宋江は「替天行道」の志を堅持したままで明日をどう描くのだろうか。しかし、調停に乗り出す強国もなければ国連もなく、国際世論もない。完全戦勝への夢が断たれた今、帰順、和睦、講和あるいは招安等の選択に大義はあるのだろうか。彼は悩み始めている。
それは宋江の悩みではなく著者の悩みなのではないのだろうか。原典「水滸伝」を換骨奪胎したとして称賛された北方版『水滸伝』である。終結が原典と同工異曲ではここまでつきあってきた読者に申し開きが立たないであろう。
戦争の終結へ向けて。14巻までの颯爽とした武人の姿はなく、がらりと趣を変えたむしろ敗戦を覚悟した沈鬱、葬送の序曲がこの章にあるような気がしてならない。そしてむしろここからこそが著者の腕の見せ所である。
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立木信 『土地「最終」暴落』
われわれ常識志向のサラリーマンをバカリーマンと嘲笑しつつ「ニッポン沈没」・「土地ハルマゲドン」の降臨を絶叫する立木和尚(経済アナリストらしい)の辻説法やいかに
2004/11/10 |
うっかりして「近未来経済小説」かと思いこんで手に取ったところマクロ経済理論と最新の行動経済学、ゲームの理論を駆使されて、今から5年後前後(2009年前後)に現在の地価が半値以下になるとの予測分析でした。そして大衆はバカであるからこうした理論を知らないでいる。ワシがこの本の読者にだけ教えてあげようと説教されるのである。結論は一つ、今、戸建てやマンションを買う若年世代は阿呆であると指摘する。住宅資産を保有する60歳以上の層には「これを早く、うまく、えげつなく処分し」賃貸に切り替えるべきと導かれている。
僕は後者の立場だから、そうかと覚醒し、今の住居を早速売りに出そうとしたら、家内に叱られた。著者の「行動経済学」や「ゲ-ムの理論」によればこういう女は「不良妻務(フリョウサイム)」というのだそうだが………。家内の言い分はこうだった。「ここが半値になったって別にいたくもかゆくもないじゃないの」。そうして僕は「マクロ経済理論」よりは「不良妻務の行動理論」に従うことにした。立木和尚はこの種のダメ男を家庭内戦争(家内)に敗れた負け男とケチョンケチョンにあげつらうのです。
この著書を読まれた方のつれあいがみな「優良妻権」ですとそれこそゲームの論理、アッというまに土地は暴落するかもしれないななどとおもしろおかしく楽しむ読み物と考えればやはり「近未来小説」に近い。と、ミステリー愛好家の僕はこの書の「毒気」を消化吸収できるのだが、僕の職場は不動産問題分析のプロが集まっているところだからその一人にこんな本があると意見を求めたところ、3分ほどページを繰って「マクロ経済理論といっても『一国の土地の価値はそのGDPに等しい』という誰も検証したことがない、しかし前からよく言われているフレーズだけの引用ですね」と真面目に不快感をあらわに答えてくれた。
彼の論文はおそらく立木さんのよりは売れていないのだろう。
この予測分析には巧妙な逃げ口が用意されている。ミステリー愛好家はそれを見逃さない。著者は一言「その前提条件として構造改革の先送りが今後も続き、2010年以降(いつのことなんだろう?)、この国が末期的な財政崩壊に直面することがある」と無理筋をひそかにねじ込んでいる。財政崩壊がなければこれは起こりませんとはっきりいえばいいものを、これをミステリー用語では叙述トリックと称する。
財政崩壊とは国家破綻=デフォルトだともおっしゃる。それならば我が国がデフォルトに陥った時、それこそ国際経済への影響、国民の苦境は土地の下落といった程度の問題ではない。………などと目くじらを立てるほどもないだろう。目くじらを立てたくなるセンセーショナルなテーマであるが新しいタイプの「ノストラダムスの予言」かといった程度の辻説法として楽しめればよろしい。
蛇足ながら僕は小説読みだから目障りな表現方法がある。「会社の経営不振slump、倒産bankuruptcy、リストラlay-offなどで、今後のあなたの人生は決して安泰stableではありません」とワンセンテンスに数個こうした英訳が入るのだがいかがなものか。原稿料を稼ぐ新手の水増しなんだろう。
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