真藤順丈 『地図男』

新刊本を手にするきっかけはいろいろあるものだが、人に薦められて読み始めることもある。

2008/10/28
本好きの友人から電話があった。
「真藤順丈という作家知ってる?その人の作品で『地図男』というのがいくつもの賞をとって評判がいいから読んでみたらどうか」
この友人は文庫本主義者であるから、本人は読んでいないのだろう。作者も作品もまったく知らなかった。昔別の作家の『脳男』というタイトルの作品を読んでがっかりした記憶があるがタイトルからして魅力に欠けているので、わかったわかったといい加減に応えてあったところ、しばらくしてまた電話があった。
「あれ読んだ?本屋の店頭にたくさん置いてあるし、次々と作品を発表する予定もあり、ベストセラーになるからぜひ読んだほうがいい」
彼がそこまで執拗に迫る理由はあとでたずねることにして、それを楽しみにせっかくのことだからと購入したものだ。

<俺>が遭遇したホームレスまがいの男が地図男。地図男は大判の関東地域地図帳を抱えて放浪している。その地図帳にはびっしりとその土地土地に関連する物語が書き込まれている。土地に関する記憶力は抜群であり、地図を眺めただけで三次元の立体空間をイメージできる特異な能力を持つ。
この作品の大部分がこの地図に書き込まれた物語で構成されているが、結局は三つの物語である。千葉県北部を旅する天才的音楽幼児。東京23区の区章をめぐる闘い。奥多摩地方にあった少年少女の悲劇。
実に退屈極まりないこの三つの物語を読み終えるとそれで読了とあいなった。

「物語に没入した<俺>は次第にそこに秘められた謎の真相に迫っていく」とあるが、なにが謎だったのかしらと非常にしらけた気持ちで読み終えたわけだ。魅力的な特異能力者を主人公にしながらそれがまるで活かされていない。実際のところ地図男を探偵役にした構成だってあったろうに。物語が地図帳に書かれている必然性がない。正直、妄想癖のある酔っ払いが寝言を書き綴ったようなものであった。
最近は出版社の営業戦略が高度化している。第3回ダ・ヴィンチ文学賞大賞受賞作だそうだ。選考委員満場一致とうたい文句にあった。どういうお歴々が選考委員になっているのだろうか。

ところでこの作者はわが友人その人ではないだろうか。思い当たる節がないでもない。作者プロフィールを丹念にみれば年齢、ポートレートからどうやら別人である。もしかしたら親戚、友人なのかもしれない。


湊かなえ 『告白』

女性教師が担任のクラスの生徒を制裁のために殺しまくるというショッキングなお話はかつて黒武洋『そして粛清の扉を』がありました。
そう、あれはハードバイオレンスのキワモノでしたね。これも同質のキワモノですがやり口が気味が悪くなるほど陰湿な復讐譚であります。

2008/10/30

冒頭の「第一章 聖職者」から度肝を抜かれました。ここでは中学教師・悠子先生がクラスの全員にとんでもない捨てゼリフを残して教壇を去るのです。
私の幼い娘がプールで死んだのは事故ではありません。このクラスの生徒AとBに殺されたのです。彼らのやり口はこうです。証拠もあります。私はこの二人に復讐をします。長い人生を苦しみぬいてもらいます。二人には………をしておきました。

クラスの全員がこの二人が直くんと修哉くんであることを知っています。マナーとしてここでは「………」としていますが先生は具体的に語っています。波乱の次章に期待がかかるこの第一章は魅力的でした。第一章にこの物語のすべてがあるといっていいでしょう。

そして各章ごとにいろいろな人の語りが紹介されます。こういう構成はミステリーにはよくある仕掛けですね。二人のガールフレンド・美月ちゃん。直くんのお姉さん。直くん。修哉くん。そして再び冷酷な悠子先生。それぞれの「告白」から二人の少年による少女殺害の動機が浮かび上がり、やがて二人とその家庭に残酷な運命が待ち受けるという後日譚が描かれます。

現代という魔物を描いた社会的メッセージというよりもストーリーの面白さを追及した作品だったと思われます。ただし、少年犯罪の薄気味悪さときたら日常茶飯事化しているのが現実ですからね。そして家庭環境の異常性も日常化しています。だから現実にはこの小説といえどもかなわないのじゃあないでしょうか。ここではやはり悠子先生の異様な狂気だけが光っていました。

ただ第一章だけで完結の短編小説だったほうがはるかに奥行きがあり、悠子先生の異常もいっそう不気味なものだったのではないかと思われます。もともとが『聖職者』という短編小説として発表されています。
いまどきの中学生であれば先生が学校を去るときにこんな素敵なセリフを残していたならたとえ誰にも言っちゃぁいけませんと警告があったところで、これだけのネタである。欣喜雀躍として、その日のうちに親や友達あるいは他の先生、劇場型的にケイタイだブログだとで言いふらすのは目に見えています。
悠子先生!完全犯罪などとんでもない。明日には警察の事情聴取ですよ。

遠慮なく冷酷に申し上げれば初めからこの長編ミステリーは破綻しています。

葉室麟 『いのちなりけり』

いっとき武士道でもって政治・経営を論ずることがもてはやされた。だが全世界の屋台骨が悲鳴を上げている現況ではもはやそんな立論は旧聞に属する。
実は、この物語は「葉隠」編纂の前史である。
私は「葉隠」については
「武士道とは死ぬことと見つけたり」と
「忍ぶ恋こそ至極の恋」というそれだけしか知らない。
そして異質に思われるこの二つが見事に融合しているではないか。
「葉隠」でもって現代を論評する姿勢などまったくないのが爽やかであった。

2008/11/01

冬の夜、寒風にさらされながら満天の星を望む。厳しさの中にあってこそ感得できる清涼感がこの作品にはあった。そしてわれながら夢幻のごときこの世をずいぶんと長いこと生きてきたなと感傷にふけりながら読み終えた。深みと厚みが充分に描写された史実の背景で登場人物たちが生々しく呼吸している。背景は複雑である。複雑なこの背景だが無駄な叙述は徹底的に削ぎ落とされている。さらに人物たちの心理にしても著者の感情の入れ込みはほとんどない。淡々と描写するところで読者の想像力は活性し、人物に思い寄せる哀歓がいやおうなくふくれあがってくるのだ。名文である。

佐賀藩鍋島家はその昔竜造寺家支配から下克上により実権を簒奪して成立した経緯があった。鍋島家に組み込まれた竜造寺系と鍋島本家の確執がこの物語の発端にある。竜造寺の流れをひく名門天現寺家の一人娘咲弥が再婚の相手として父(天現寺刑部)から押し付けられた入り婿が雨宮蔵人。咲弥は蔵人が婿入りしたその夜に風雅を知らぬ男とさげすみ再婚したことを後悔する。そして蔵人にこれこそ自分の心だと思う歌を教えろと迫る。無骨の蔵人は返答できないままに形だけの夫婦ができあがる。
「上意打ちの命を受け、愛する妻の父親(天現寺形部)を狙わねばならなかった男の赤心。骨太にして清冽な恋愛小説」
「何度生まれ変わろうとも咲弥殿をお守りいたす。わが命に代えて生きていただく………」
「水戸藩と幕府の暗闘のさなか数奇な運命により引き裂かれた夫婦が再びめぐり合う」
とこのようなコピーだけをみると薄っぺらな時代物恋愛小説と誤解されそうだが、蔵人が実は剣の奥義を究めた士だと徐々に明らかになる過程で謎が幾重にも深まるストーリーにまずはのめりこまされる。

舅を討て。鍋島家の支藩・小城藩主の嗣子(元武)から蔵人に下された密名である。しかしこの暗殺が露見することを恐れる元武は事が成就した後の口封じのために蔵人に対しても刺客を差し向ける。武士道における主従関係とはこのような場合、主君の悪が外部にもれないようにし、主君の悪を己にひきかぶりことが本分である。「武士道と云うは死ぬこととみつけたり」事に当たって間髪をいれず死地に飛び込む。死の潔さが武士の生き方のすべてである。昔々、流行した時代小説であればこれは武士道残酷物語なのだが、著者にはそのようなかび臭い気配はまったくない。武士の中の武士とも言える蔵人はまったく迷いがないように見える。そして舅は刺殺された。逐電した蔵人を刺客が追う。さらに蔵人の妻・咲弥はいくつもの疑問をいだきつつも、剣客深町右京の助力を得て、父親の敵である蔵人を追う。
18年の月日が流れる。江戸城内で綱吉擁立をめぐる幕僚たちの暗闘。水戸光圀と綱吉の確執。綱吉と朝廷の対立などなどが徐々に離れ離れの二人の運命に過酷さを加える。謎、また謎のストーリー展開には息継ぐ間がなく、連続する決闘シーンのひとつひとつに手に汗を握る、傑作の時代小説である。

このなかでさまざまな武士たちのそれぞれの「武士道」が表現される。島原の乱で父を斬殺された黒滝五郎兵衛の語りが印象的だった。
深町右京より仇である幕府の柳沢になぜ忠勤を励むのかと問われ
「ひとはひとに仕えることでしか生きられぬ。立派な理屈などいらぬ。人に仕えておのれの力を尽くすのみだ」
ここまで決然と物申すのではないが、なるほど立派な理屈などいらないか。長いサラリーマン人生にはいささかそういう気持ちで自分を奮い立たせたこともあったか、私もある程度の武士だったのかもしれない。
風雅の女性、咲弥もまた天現寺家の汚名を晴らさんとする「武士」である。そして武士道の人・蔵人は咲弥を知り雅の心を求めて、武士はだれに仕えるのかと問われたときに「天地に仕え、命に仕える」との心境を披瀝する。死身に徹する武士の本分。一方で愛とは生きることの喜びである。そして二人が白刃の群れる死地におもむく時、この相反する生と死の形が静謐のうちに合一する。
春ごとに 花のさかりは ありなめど あひ見むことは いのちなりけり
男と女が長い年月をかけていま、相見えんとする命をかけた情感には涙をこらえきれなかった。まさに大人の純愛小説である。