帚木蓬生 『エンブリオ』
エンブリオ、受精後8週までの胚をよぶ、それ以降は胎児と呼ばれる。日本では胎児はヒトではないのだそうだ。体外へ出てはじめてヒトになり殺めると殺人となる。
2002/08/25

「生殖産業」という言葉がこともなげに登場する小説である。臓器移植、臓器培養、胎児の「飼育」なる言葉もまた平然と使われる。

高度な医療手術を完璧に措置するかたわら病院内で億面もなく情事に耽る名医・岸川卓也が主人公である。彼はどの病院からもさじを投げられた不妊夫婦に福音をもたらす。不治の内臓疾患患者に奇跡を招くのである。この分野における最先端の技術、研究、その蓄積と実績を有し、患者から神のごとくあがめられている彼にとって、常識の世界では人倫にそむくとされる行為ですらも、堂々と正当化し実行できるのである。「岸川にとって倫理的足枷などはじめから眼中になかった。死んだ人間の卵巣を活用したり、男性が子供をはらむのは単に慣習からはずれているだけで、倫理とは何の関係もないのだ。死や病気こそは自然の摂理の代表的な表われだ。となると、医学と医療はその成り立ちからして、反自然的行為であり、従って反倫理的行為になってしまう」

グロテスクな挿話がいくつも織り込まれている。
冒頭、情事の相手が水死するが、なんの感情もまじえず、その遺体にメスをいれ、すべての臓器を剔出し保存するシーン。パーキンソン症状が進行しつつある老人が妊娠させた女性を中絶させ、その胎児の脳のエキスをその老人に移植し病状の進行を食い止めるエピソード。中絶して取り出した胎児の卵巣や心臓を「飼育」する。死んだ女性の卵子を保存しておいて自分の精子と人工授精し不妊の患者に代理母をさせる。ホームレスの成人男子を欺き、腹内に受精卵を着床させ出産させる試み。とにかく信じられない、信じたくない最新鋭の生殖医療・臓器移植が紹介される。このエピソードを読むだけで並みの恐怖小説を読むよりよほど背筋が寒くなる。ファームと呼ばれる隠し地下室にあるものは?
さらにこの最先端技術を略取せんと企てるアメリカ巨大資本の陰謀とこの攻防戦。はたして彼はこの戦いに勝利することができるのであろうか。金儲けは主義ではない、悩めるものの救い主になる、名声はいらないと豪語する主人公。しかしその行為に全面的に賛同するものはいないだろう。恐喝者の登場もある。狂気の天才は最後はいかなる終局を迎えるか?あの山崎豊子『白い巨塔』の主人公・野心家の医者は結局悲惨な結末を迎えたはずだ………と読んでいるものの興奮は高まる。
この小説の問題提起には相当深刻な現実がある。最近イタリアではクローン人間の誕生に成功したとする報道があって、その医師団の行為に対する批判が相次いでいる。

「生命の尊厳」に対する多方面からの問題提起である。しかし、その理屈よりなによりサスペンスあるいは犯罪小説としての娯楽性を高く評価したい。
ただし、常にヒューマニストであった帚木蓬生のイメージが変わったとの印象が残るのだが、私だけだろうか。

帚木蓬生 「逃亡」
「夏は追憶の季節」、日本経済新聞のコラムにしては珍しくわが感性に共鳴するイントロだった。、恋のなきがらを追想するのではない。「亡き人を偲び、己の来し方を振り返る」。言うまでもなく「盂蘭盆会」であり、「戦争の罪業と平和の希求」である。
2001/08/11

6月に父が他界し初盆を迎えるものであり、また追悼のまねごとに、反戦児童文学のジャンルにあたる父の絶版になった著作「村いちばんのさくらの木」を復刊したものにとっては、二重の意味で今後「夏は追憶の季節」と実感し続けるであろう。
読書開始日・1997/6/30、読書終了日・2000/9/7と記されているのは帚木蓬生「逃亡」である。
1997年の夏はことのほか暑い夏であったから、その後も夏は暑かったのでこの3年間では読み終えることはできなかった、そんな時期であった。

学生時代だったろうか、私の叔父の痛快なエピソードを聞いたことがある。富山より上京した叔父が電車内で痴漢行為を目撃、一喝して制止したところ痴漢君、赤面どころか鼻血で顔を真っ赤に染め、逃げ去ったそうだ。大柄ではあるがいつも笑顔を絶やさず、温厚な人物であったから、意外な思いで目を丸くした記憶がある。しかしそのとき母から叔父が元憲兵であったことを聞き、あの筋肉質の体格と硬い拳は武道鍛錬の賜物かと納得したものだった。

「逃亡」は戦時中大陸において憲兵として苛烈な任務を遂行した清廉の士が主人公である。国民党軍が支配権を取り戻した大陸からの脱出行と戦犯の烙印を押された後日本の官憲から追われる苦闘の日々を描き、戦争の罪業を人間の内面から告発、読者の魂を揺さぶるそのインパクトは痛烈である。
「諜報活動に明け暮れた香港をひそかに逃れて苦難の末辿り着いた日本。しかし復興に血道をあげる故国は逃亡憲兵に牙をむいて襲いかかる。人身御供を求めて狂奔する国家に捕まるいわれはない。波濤を越え辺地に潜んで二年。元憲兵の逃避行」「息もつけぬ感動、憤怒、そして救済!国家とは何か、責任とは何か、愛は、死は、緊張とヒューマニズムに溢れた、渾身の大作小説」このコピーに偽りはない。

昨年、読み終えて母に尋ねたことがあった。叔父は大陸が任務地だったのか?そうだったという。では帰国して逃げていたのか?九州から北海道までね………。
この叔父も今はない。
日本人にとって夏は追憶の季節である。

帚木蓬生 「閉鎖病棟」
21世紀に残したいミステリー
1999/6/20

「閉鎖病棟」とは精神病院。ここには戦時、戦後の悲惨な体験から心に傷を負った人たちが世間から隔離された生活を営んでいる。義父に強姦される少女、幻聴と癲癇で家族から見放された男、母親殺しで死刑執行されたが命を捨て損ねた男、知恵遅れの放火犯など、作者は彼ら「異常者」の日常生活を通して、「健常者」より確かな人間の善性を謳いあげます。
このような人たちが殺意を持つとき、私はこれを弾劾するいかなる理由も見出せません。
帚木蓬生をはじめて読みましたが、その強烈なヒューマニズム精神に深い共感を覚えました。
「21世紀に残したいミステリー」をあげるときはこの作品も含めたいと思います。

改めて「21世紀に残したい」作品をあげてみます。
それは20世紀末期がどういう社会であったかをミステリーとして表現している名作との観点で選んだものです。
松本清張「ゼロの焦点」、水上勉「飢餓海峡」、柴田翔「されど我らが日々」(これはミステリーではないかも知れません)
城山三郎「総会屋錦城」、高木彬光「白昼の死角」、山崎豊子「大地の子」、藤原伊織「テロリストのパラソル」、高村薫「レディージョーカー」、篠田節子「弥勒」、宮部みゆき「理由」

私の年代は戦争そのものの体験はありませんが
戦争の後遺症を負って今の経済社会のカオスに生きています。戦後の混乱→民主化→冷戦→反動→復興→繁栄→東西の壁崩壊→成熟とバブル→バブルの崩壊→21世紀?
社会も経済もそして生活も根本から変わろうとしているのがこの時代なのでしょう。
この時代を生きてきたものにとって上に挙げた作品はどこかに自分自身があるいは知人が主役としてまたは脇役として登場し、思いを共感するーーーそんな読み方になってしまうゆえに
推薦させていただきます。