フィリップ・マーゴリン『葬儀屋の未亡人』
タイトルが不満だが、内容は一級品
2002/09/14

「未亡人」のイメージなんですが、旦那さんがなくなって新盆と一周忌をすませるころ、一時の動揺、傷心、空白感がうすらぎ、新たな人生を踏み出そうとするあたりから使うべきロマンの中の概念なのではないか。そのあと貞女でいつづけるか悪女に変身するかはともかく、孤独を実感する「時間を経る」ことが必要ですね。でもこの未亡人はそうではないんだな。「葬儀屋」というのはなにかあまりに即物的概念であって「未亡人」にそぐわないと思うんだが………とタイトルにこだわる。

でもこの作品、密度が高くなかなかの傑作でした。
アメリカでは葬儀屋が大富豪を生み出す一大産業化しているようである。その大富豪が寝室で強盗に殺害され、美人で凄腕であった元警官で州上院議員の夫人が犯人をその場で射殺したが………。富豪の道楽息子は夫人こそが犯人だと弾劾する。この暴漢は誰かから依頼され殺しを金で請け負った事実が判明する。彼女の悪辣な政敵は手段を選ばず彼女の犯行だとする証拠・証人をでっち上げてくる。警察も彼女に対する疑惑を深めてくる。そして逮捕、政治生命の危機。この裁判を担当する判事は文字通り法の番人にふさわしい高潔な正義の実行者であるが、ところがこういう堅物人格者の弱点であろうか、よくあるツツモタセという敵の罠にまんまとはまり、夫人を有罪にするよう脅迫されるのである。裁判の結果は?

そうか、この「たくましい未亡人」が四面楚歌の状況で孤軍奮闘、最終的には無実を実証し、黒幕をつきとめるお話と想像する。さらに「火曜サスペンス劇場」ではないが、彼女を救うナイスガイが登場し、二人の蜜のような明日を暗示するところがラストシーンかとも勝手な連想をたくましくする。………がもちろんそう単純ではない。

上等のミステリーはこのように読者に次の展開を予想させるテクニックがうまいものである。期待通りに進めば進んだで小気味よいおもいを味わえるし、そのとおりに展開せず、逆転逆転のどんでん返しにも興奮させられるのである。この両面が適度にミックスされている謎解きものの佳品でした。
それにしても殺される富豪は「葬儀屋」でなくても差し障りはないし、「未亡人」も「相続人」としたほうが行動力ある女性のイメージとしてふさわしいとおもうのだが………。あるいは「葬儀屋夫人」でいいのではないか。傑作だっただけにどうも題名が気にかかる。


ブラッド・ソー 『傭兵部隊<ライオン>を追え』
楽しめるB級冒険小説
2002/09/15

強大な悪の組織と戦う。追う、そして追われる。危機また危機の連続。こうした冒険活劇はたとえB級サスペンスだとして、いくつになっても肩がこらずに大いに楽しめる読み物である。

アメリカ大統領がアメリカの政商とそれに繋がる上院議員、大統領補佐官の陰謀でスイスの情報部につながる組織に誘拐される。シークレット・サービス警護隊員の主人公がこの陰謀に立ち向かうというありふれたストーリーであるが、舞台がアメリカの雪山、スイス・アルプスの山岳冒険と興味ある設定だったこともあり、読んでみた。まずまず楽しめる。
ブラッド・ソーは今年この作品でデビューした新進の作家。普通は冒険小説であっても読者に明らかにされない「謎」があるものなのに、黒幕も手口も冒頭から紹介され、それらしいものはない。にもかかわらず、ひきつけられます。追いつ追われつのプロセスだけで読者をひきつける、珍しい作風だ。

今年は海外物の大型冒険小説の新作が見当たらないので、「A級」とはいえないし、しかもタイトルが大人が読むにはいささか恥ずかしいのであるが、時間つぶしには絶好の読み物だ。
ではA級とはなんだと改めて問われるととっさに確たるものはないのだが、クライブ・カッスラーのダーク・ピットシリーズ前期の作品やA・J・クィネルのクリーシーシリーズ、スティーヴン・ハンターのスタッガーシリーズがそれに該当するのではないか。もっとも冒険活劇小説などは大人の鑑賞に値するものではなくすべてがB級作品なのだとおっしゃる方がいれば、そのとおりかもしれない。

フレデリック・フォーサイス「戦士たちの挽歌」
癒し系短編の傑作集
2002/03/07

フォーサイスのいくつかの長編は読んだが、記憶に残るものはやはり処女作の「ジャッカルの日」だ。かれこれ30年も前になる。ドゴールフランス大統領暗殺未遂という現実の国際的事件を背景にしたところにドキュメンタリータッチの迫真性が目新しく、また暗殺者ジャッカルとフランス警察の追いつ追われつの攻防戦を善悪を度外視し、完全なエンターテイメントに仕立てた感覚、当時は珍しかったあの分厚い装丁とともにこんなボリュームの長編ミステリーがあったろうかと、わたしのミステリー歴の中でもとくに忘れられない一冊である。
ジョン・ル・カレもそうなのだが古くからスパイものあるいは国際謀略ものを手がけてきた大御所にとって、東西冷戦構図の崩壊は従来の小説作法の基本的変更を迫るのものだっただけに、その直後の創作活動には明らかに戸惑いが見られた。フォーサイスが断筆を宣言し、それでも作風を変えて復活していたようだったが、私としては作品を手にすることにはトンとご無沙汰であった。最新作「戦士たちの挽歌」は五つの短編集である。

表題作「戦士たちの挽歌」。今はホームレスの老人として貧しい余生を送る往年の栄光の戦士がならず者に襲われ殴殺される。容疑者は逮捕され、目撃者の証言もあり、重刑が科せられるかに見えるが、著名な弁護士が登場し、提訴そのものが棄却されるはめになる。放免されたやくざものは………? カッコいい落ちが用意されるのです。「本物の男は勝負の決め方を知っている」さすがである。

「競売者のゲーム」これも明日の生活もままならぬ貧乏役者が登場。彼の所有する絵の莫大な価値を知ったオークション屋が彼を騙してそれを詐取する。このワルを懲らしめる復讐のプロセスが見せ所、いわゆる上等のコン・ゲームを久しぶりに楽しみました。正直者が浮かばれないのが最近の世情でありますのでこの手の復讐もののラストの決め、気のきいた落ちで気持ちが癒されます。

「時を越える風」はインディアン(最近ではネイティブ・アメリカンと称する)の娘と白人青年の悲恋、いい年して純愛などと甘ったるいアナクロなテーマは読むのが恥ずかしいくらいなのですが、こんなジャンルも書くのかとビックリしながら読むことになる。途中でオチが推測できたが浅田次郎の短編集「鉄道員」にあるいくつかのストーリーに似た哀感を味わうことができました。