自己紹介に代えるつぶやき

まもなく還暦という齢を重ねたものでも、むしろそうだからか、時に酩酊することがございます。
都心から車で帰る身分にはなく、池袋から東上線の志木駅までの深夜電車では眠りこけることもないではない。
終点志木駅どまりの各駅停車を選んで乗るところまでは間違いのない行動だったのですが、
目が醒めたときにはそんなしっかりものの意識はどこかに消えうせ、いけない!!乗りこしてしまった!
と慌てて飛び降りた駅は五つ手前の成増でありましてな、次の電車を待つ間と、
プラットホームのベンチでどのくらい心地よく眠っていましたか、肩を揺り動かされ、
うつむいたままで重いまぶたをあげれば、どうやら親切な方はご婦人のようである。
美しいお方であれば、ありがとうございましたとお礼の一言でもと見上げれば、
「お父さんこんなところでなにしてんのよ」と、
まなじりをつりあげた、家にふたりいる娘の上のほうではないですか。
車内の窓越しにみえる、あのみっともない酔っ払いはもしやわが父ではとわざわざ降りてきてくれたのだそうにございます。

二月ほど前にはこんなことがございました。このときは泥酔でありましたな。志木駅を通過して、
それでも運勢が強い日だったのでしょうか、次の柳瀬川で気がつきましてな。
戻りの電車はなくなっておりましたから、なれぬ夜道をあるくこと、ふらふらとです。
雲が厚く空の明かりをさえぎっておりまして、木枯らしが裸の街路樹の梢でヒューヒューと
悲鳴をあげている、街灯の少ない夜寒の通りにはひとっこ一人見えません。
背後から通り過ぎた車のライトが一瞬でしたが前方の電柱に張り付けた白いボードの文字を
浮かび上がらせたものでした。
「人生には まさかという 坂がある」 
その瞬間は酔った頭でもフッと、こいつは下手な掛詞かと気がつきました。網膜に残ったその印象を
吟味するでもなくぼんやりしていますと、風がピッタリとやみましてな、
足もとの闇がとろりと粘りを増して、まとわりついてくるのです。そして耳元では男の声音で軽い口調のささやき。
「へっへっへっ。ねぇだんな、思い当たる節があるって顔つきをしていますぜ。
このところめっきり増えてるんですよ、ここでボーッと立ち止まっちゃうお方がね」
ふたたび、木枯らしが吹いて、闇のどろりも周囲の空気に溶け込んでしまいました。
あたりにはどなたもの姿も見ることはできません。
冬の夜の、あやかしが、なせるわざかとこころえて、オーバーの襟をたてなおし、
家路を急いだものでございます。

はて翌日は休日でして、二日酔いの空っぽの吐き気で昨晩のことに思い至りました。
アメリカのハードボイルドに似たようなのがありましてな、座右の銘などと重苦しいのはなくとも、
こんな程度の言葉は不思議と記憶に残るものでして、
「人生の厄介なところは リセットボタンのないところだ」
これはまた挑戦的ですな。フロンティアスピリットにあふれています。
昨日の寸言はこれとは全く違う、癒し系だな。
どなたの言葉やらと柳瀬川駅までの往復をきょろきょろして探しましたが、結局あの白いボードは見つかりませんでした。   

                

プロフィール関連の目次
江戸崎町のころ
上京当時のころ
ミステリーとの出会い