佐藤賢一『アメリカ第二次南北戦争』

南西部諸州は「アメリカ連合国」として独立し「アメリカ合衆国」との戦闘を開始した。「連合国」の空爆により「合衆国」の都市は破壊され、「連合国」の軍事的優勢のままに目下停戦状態にある。国連本部が移転した常任理事国・日本が政治力を発揮するにはまずもってこのアメリカの現状、内戦の背景と本質を正確に把握する必要がある。2016年、かくして愛すべきレポーター森山サトル君は瓦礫と化したロスアンゼルス空港に降り立ったのである。

2006/10/18

2013年、テキサス州ダラスを訪問中のアメリカ合衆国女性大統領マクギルが暗殺された。国家元首の座に就いた黒人副大統領ムーアは連邦捜査官を送り込み強権的捜査を行い、銃規制に乗り出した。しかし、それだけで戦争が始まるわけはない。なにかある。

「世界の警察官」アメリカに、内乱が勃発、アメリカは国際社会の嫌われ者になってしまった。前代未聞の驚くべき状況設定だ。これほどにアメリカを茶化しきった小説はないでしょうね。内乱の真実を探るべくサトル君ほか珍妙な連れ三人の抱腹絶倒、ドタバタ珍道中が展開される。その諧謔!核心を突いている………と思わせる鋭いツッコミだから痛快である。相手があのアメリカだからなおのこと愉快でもある。

日本人ほどアメリカを「知っている」国民はないでしょうね。また日本人は他のどの国のことよりもアメリカについての「知識」を国民的レベルで共有している。

アメリカは戦後の経済的繁栄と平和を実現させてくれた国である。アメリカは自由・平等・民主の国であり、地球上にその理想をあまねく敷衍させようとする正義の伝道者である。フロンティアスピリットの国アメリカ。いやいやそうではないぞ、アメリカは人種差別、宗教差別、性差別の国である。実権を握る階層がWASPだ。秘密結社KKCは生き残っているぞ。武器所有の国であり西部劇のガンマンの支配する国だ。いや、テレビゲーム感覚で戦争を仕掛ける国だ。モンロー主義が根っこにあって自分さえよければいいと実際わがままな国なのだ。女がえらく強くなった国だぞ。セックスフリーなんだ。連邦主義と州権主義の対立構図もあるぞ。

佐藤賢一はサトル君の現地体験に加え、政治評論家、国際経済学者など一流どころの論説でもって、こうしたわれわれが酒の肴にするアメリカの常識をそれらが「真実」であるともっともらしく立証してみせる。「それはみな虚構である」というようなありきたりの正論ではない。とにかくこのもっともらしさが出色の組み立てなのだ。

軍事、政治、経済、文化、生活の枠組みが一体ですからね。日本人ならアメリカとの深い親交がなくてはならないものとだれもがわかっている。ところがだからといってアメリカに心酔している方はあまりいないのだろう。本音はむしろ冷淡にアメリカを見ている、どこか疎ましく感じているのが平均的日本人の心境じゃないだろうか。そしてこの微妙な日本人の情緒でもって、ルポの対象であるアメリカ的精神(このデフォルメも秀逸)と対峙するのがジャパニーズスマイルのサトル君である。だから平均的日本人たる読み手にとってなおのこと面白いのだ。

サトル君にまとわりついたのが合衆国側の義勇軍に身を投じたイタリア系の女・ヴェロニカでマリリン・モンローの過激な色気で彼を骨なしにし、アンジェリーナ・ジョリーの格闘技で彼を救う。アメリカ人になりきったはずが妹を暴行殺害され一家が破滅したことからアメリカに憎悪をもった男・結城。彼もまたなぜか合衆国側の義勇軍に加わり、ゴルゴ13並みのスナイパーとして一目おかれている。ヴェロニカもたじたじのナイスバディ、連合国側高官の女秘書マーガレット・スペンサー。南北戦争の原因はニッポンのニンジャだったとする彼女の調査記録、いわゆるスペンサーレポートの真贋を自ら検証するために一行に加わった。何かを象徴するようなこの傑作な人物造形!

さぁ、サトル君になりきって世界の厄介者となったアメリカ的なるものを大いに嘲笑しよう。アクションバトルシーン、危機一髪の脱出劇のオマケまで楽しめる。
そしてアメリカ的なるものを笑っている自分が実はそれは日本的なるものを自嘲しているのだと思い知ることになる。

皆川博子 『伯林蠟人形館』

エロチックでグロテスクな狂気のドイツ。皆川博子の十八番、淫靡幻想の耽美的世界である。
狂乱へとむかう1920年代のドイツを舞台に6人の男女が織りなす運命の輪舞
彼らの人生は、さまざまな場所、時代で交錯し、激動の歴史に飲み込まれていく………

ドイツの歴史をまるで知らない私はバラバラにある6つの物語を時間の流れに沿って組み替えしないとおさまりがつかなかった。

2006/10/26

1914年に始まった第一次世界大戦、フランスとの主要戦場のマルヌの会戦、1916年のヴェルダンの戦いには生粋のドイツ人とユダヤ系ドイツ人の若者がいる。1917年ロシア革命、暴徒と化した労働者・兵士に追われベルリンへ亡命したロシア人・上流階級の家族には娘がいた。1918年、ソヴィエト・ロシアのクーデターに呼応した共産主義者によりドイツ・キールの水兵は反乱を起こし、さらに暴動はベルリンへと波及する。赤色暴徒との市街戦に加わる愛国少年がいる。労働者の武装蜂起は地方へも波及しつつ内戦のミュンヘンではルンペンの少年が極右への道を踏み始める。そして1919年、敗戦とワイマール共和国の成立。しかし戦闘はやまず、1923年フランスのルール地方侵攻に対し義勇軍として戦火に身を投じる若者たち。1929年の世界恐慌から1933年のヒットラー政権の登場。
なるほど当時のドイツは民族主義と共産主義革命の対立軸がナチスに収斂する過程であったか。

心はドイツ人でありながらユダヤ人であるがゆえにアメリカに亡命する若き実業家。つかの間の享楽に身をゆだねるベルリン上流階級とそこにまとわりつく隠微な生き物たち。麻薬に溺れる生きたままの死人。死をささやきかける幾体もの蝋人形たち。

1914年からの20年間の血みどろの戦場に加え、倦怠と退廃のベルリンが6つの物語の背景として繰り返し繰り返し登場する。それぞれの登場人物は微妙に時間の中心軸がずれているため、どの時点でどの場所でだれとだれが交錯しているのか判然としないままにそれでも引き込まされる妖しい魅力がある。

著者のお家芸、読者を惑乱させる作中作の華麗なテクニックがこの作品でも使われる。6人の主人公の6つ物語りはだれによって書かれているのか、どこまでが真実でどこに虚構が潜んでいるのか。
そしてそれぞれの語りはそもそも現実であったのか夢だったのかあるいは麻薬による幻覚・幻聴なのか、思い込みなのか。
男と女、男と男のいくつかの屈折した愛の形。三角関係?四角関係?いや多重関係なのかもしれないのだが何人かが死んで、どろどろした愛憎劇がごった煮状態のまま最終章へなだれ込む。

「『死の泉』から9年、壮大な歴史ミステリー長編」とあるが、しかしこの展開をどんでん返しの妙として賞賛する気にはならないものだ。謎解きのためには細部にわたり読み返す必要があるのだが、その根気はもちあわせていない。「ミステリー」と名乗らないほうが読者は謎を解かねばならないと拘束されずにこの耽美幻想のデカダンスを味わうことができるであろう。

戦争がなぜ起こるのかではない。まず血みどろの抗争ありきなのだ。戦争、内乱、それは物理的大量破壊なのだがそれがまるでボレロのリズムのように繰り返され昂揚するうちに人間が破壊されていく。いや、ボレロは単にBGMに過ぎない。人間を破壊するのは、人間を蝋人形のように弄ぶ神の視座にたった悪霊的人間存在のなせるわざなのだろう。

ドイツといえば狂気のナチスしかないバカの一つ覚えにはその前夜のドイツも残酷で病的な精神の吹き溜まりであったかと思い知らされた。
この作品で著者はドイツ民族の内省あるいは自嘲であるかのようにドイツの内面からその負の国民性をつかみあげている。いかにも自虐的な装いがあって、著者はドイツについて広範な見識はあるのだろうがドイツ人ではない著者のそれは驕りというものではないかと他人事ながらハラハラさせられる。
悪霊に取り付かれた民族のいかにも救いなき地獄ゆきの様相だからだ。


塚本青史 『始皇帝』

中国、秦31代の王(在位、前247―前222)、中国最初の皇帝(在位、前222―前210)。姓は嬴(えい)、名は政。荘襄王の子。一説では実父は陽占の大賈である呂不韋とする。荘襄王が人質となって趙に寄寓していたおりに呂不韋は自分の姫妾を荘襄王に献上したが、彼女はすでに妊娠していたという。政は趙の国都邯鄲に生まれ、荘襄王の死去により13歳で秦王となった。はじめ呂不韋を相国として国事をゆだねたが、即位10年に乾毒(ろうあい)の事件に連座したためにしりぞけ,ついで法家の李斯を重用した。王翦(おうせん)等を派遣して韓を手始めに、魏、楚、燕、斉、趙の戦国六雄を次々と滅亡させ。古代帝国の成立を実現させた(前221)。太古の三皇五帝から採って皇帝の称号を定め、みずからは始皇帝と称して帝位を2世、3世と無窮に伝えることを意図した。(平凡社世界大百科事典)

2006/10/30

暴君、そして英傑!
血筋という運命、乱世に飛び交う謀略、三度の暗殺未遂を乗り越え中華を制したファースト・エンペラーの生涯を描ききる、畢生の書き下ろし!

始皇帝といえば歴史的には焚書坑儒に代表される非道の王として扱われてきた。しかし暴君であって英傑だったからこそこれだけの偉業をはたせたのだろう。趙で人質となっていた秦の公子・子楚の子として生まれた政(前259)が、わずか13歳で即位し(前246)、列国を滅ぼして中華を統一、始皇帝を名乗り(前221)、権力をほしいままに、最後は悩乱して死す(前210)まで49年の短い生涯である。その中で中国最初の統一王朝を創建、それまでの封建制社会に終止符を打ち新しい中央集権国家を築いた。まさに中国古代史を書換えた立役者であった。そのあっけない死はまさに秦そのもののようで、あれだけの大帝国の秦は彼の死後わずか三年で滅びるのである。ただし、儒家思想を排斥し法家思想を実践した秦が採用した各制度がモデルとなって各王朝に継承されたのも事実であり今日的視点でその偉大さは見直されるべきだろう。

政の誕生から王位継承までの第一章から第三章までは政の父と政の二人を権力の座に送り込むまでの大商人呂不韋のくわせもの振りが読みどころである。なるほど「奇貨居くべし」深謀遠慮の故事だ。

第四章から第七章までは若き王・政が呂不韋の呪縛を自ら解いて実権を掌握し、能吏・李斯とともに政敵をたおし、暗殺者を退け、権謀術数と軍事力によって韓を手始めに、魏、楚、燕、斉、趙の戦国六雄を次々と滅亡させ全中華を統一、始皇帝をなのるまで、政にとって最も輝かしい時代である。友人、恩人、親子・兄弟も例外ではなく、中央集権を実現する過程では旧勢力、抵抗勢力を次々と排除していく。狡猾、冷酷非情な王ではあるが自己を実現することで新時代を築く、その若いエネルギーは方向性を見失った日本の読者にとって実に爽快である。

第八章と最終章の第九章はまるで趣がかわり狂乱する皇帝、暗愚の暴君に変貌する。その言動をいさめる側近を次々に処刑し、横暴の限りを尽くし国力を疲弊させるのが政である。不老不死の仙薬や羽化登仙にあこがれる………途半ばのまだ40歳にしてこの妄執にとらわれるが始皇帝であった。3000人の子供と食料、衣料、献上品、土産品、さまざまな職種の工芸人を乗せた数十艘の大型船を徐福に与え蓬莱島に住むという仙人を探索させる。著者は五次にわたる全国巡幸、驪山陵の兵馬俑の製作、匈奴への出撃と万里の長城建設、焚書坑儒などの偉業、暴挙をすべてまだ姿をあらわさない仙人へのごきげんとりだったとしている。太古より今日まで、いつの時代でも歴史を塗り替える専制者というものには狂気がつきものなのだろうか。その裸の王様ぶりは哀れを誘う。

政はあるべき君主論を説いた韓非子の考え方、君主専制主義を強化する政策に共鳴するが李斯の姦計にはまり、韓非を死に追いやる。私は法家の大思想家・韓非子に興味があるものだからこの作品の中でどのようの扱われるのかを注目していた。
「韓非子・五蠹編」には法治主義を阻害するものとして学者、遊説家、近臣など五者を挙げ国家の中身を食い荒らす害虫のようなものだとしている。そして君主はこれら害虫を排除し清廉な士を養成しないと破滅から免れることはできないと結論する。韓非子に傾倒しそれを実践して中国史上初の中央集権国家を築いた始皇帝が一方で韓非子が指摘していたとおりに内部の害虫どもによって破滅するのであるからその史実自体大いなる皮肉なのだ。

ところでその韓非子だが、この作品ではもう少し書き込んで欲しかったなと思うくらいあっさりとした登場だった。ただし、ひとつ、毒をあおる前に著者独自のひねった暗示を残して死なせるところがえもいわれぬ絶妙の味付けなんだと気がついた。著者はそこまで明確にしてはいないのだが、死を前にして韓非がもらす一言「不老長寿の仙薬はやや苦いものです」が政の深層心理にとどまりのちに催眠術的働きによって不老不死にとりつかれる。すなわち秦の滅亡は韓非の復讐であったとするのは私のうがった解釈なのだろうか。

一人合点して小説を楽しむ、また楽しからずやである。