シェイマス・スミス 「Mr.クイン」
不動産を乗っ取る
2001/1/7


明けて、日本の株式市場はただ一人世界の潮流から取り残されたようです。私たちの周囲の土地が買い占められ、転がし、飛ばし、隠匿と個人、中小企業、大企業がこぞって必ず値上がりするはずであった不動産に群がりました。金融機関も莫大な資金をつぎこみむことになりました。これが突然暗転する。拓銀、山一から始まる大型企業倒産はそごうで終わる保証はありません。この間地上げ屋の闊歩にとどまらず、闇社会が表舞台に登場、詐欺、恐喝、暴力を武器に買占め、乗っ取り、吸収、合併と不動産をめぐる非合法の経済活動が白昼、堂々と進んだのが、つい最近のことです。

シェイマス・スミス「Mr.クイン」という小説は単なるコンゲームの変形ですが、不動産業者を乗っ取る話だけに身近な無数にあった日本の現状と比較してしまいます。そんな目で見ますと、この犯罪あるいはその実行計画は、日本のそれに比較すれば児戯に過ぎないような気がするのです。

ジェイムズ・エルロイ 「アメリカン・タブロイド」
ケネディ暗殺の風俗的裏面史
99/07/25
この一週間アメリカの新聞はこの話題一色に染まったそうです。
私達の多くはケネディ大統領のできあがった「肖像画」を通してこの悲劇を受け止めるだけですが、おそらくアメリカ人はアメリカ現代史のコアとしてのケネディ一家の盛衰に、時々の出来事に、様々な因縁を想い巡らして、思いを深くしているに違いないと受け止めます。
このホームページに時々エルロイが話題になります。ごく最近でも新作が発表されました。私は「ホワイトジャズ」を入り口にして「ブラックダリア」「LAコンフィデンシャル」と読みましたが正直のところ「重苦しい」との生理的な感覚だけで言われるような名作を読んだ興奮は覚えませんでした。

しかし「アメリカン・タブロイド」だけは違っていました。
圧倒的な現実の重みを充分とはいえないまでも理解しながら読み終えることができ、「なるほどこれがエルロイの世界だったのか」と初めて感動を覚えたのです。

なぜ違うのか。
私はアメリカの歴史を知りません。教科書的歴史も知らないし、ましてや裏面史などは全く知りません。エルロイの作品は事実と虚構を巧みに織り交ぜて構成してあるフィクションです。たとえば「ブラックダリア」は第一次大戦直後の「アメリカ人なら誰でも知っている有名な事件」のエルロイ的解釈です。「ホワイトジャズ」はこれも「誰も知っているドジャースタジアム買収」にまつわる暗闘。アメリカ人であれば「この登場人物はあいつの話だな」
と分かっていることを所与として作られている小説なのです。
人物像が一般に知られているからこそ極端なカリカチュアライズが活きてくるのです。
残念ながら私はこの面白さが味わえません。
だが「アメリカンタブロイド」はある程度解るのです。
これはケネディの話だからです。
つい最近の英雄の話ですから日本人にも興味津々と読めるのです。
そしてジュニアに降りかかった悲劇……!
とにかくスケールのでっかい風俗小説であります。


今年の新作「アメリカン・デストリップ」はこの続編で評判がいいようです



ジェイムズ・エルロイ 「アメリカン・デス・トリップ
お正月向きのテーマではないノワール
2002/01/08

あけましておめでとうございます。実は、昨年暮れにはエルロイ「アメリカン・デス・トリップ」を読み終え、正月休みにはものごとが上昇基調を取り戻すであろう年にふさわしい前向きな作品をすがすがしい気持ちで読むはずでしたが、やはり底打ち感が見えない現実の厳しさを反映してかズルズルとこの暗黒小説をひきずってようやく読み終えた具合です。

前作「アメリカン・タブロイド」でCIAと犯罪組織の結託によるキューバ侵攻作戦からケネディ暗殺にいたる現代アメリカの暗黒史が描かれましたが、これは直後のダラスから始まる。暗殺の事実隠蔽のための関連者抹殺が開始される。FBIによる「真相」のでっち上げが行われる。平行して大富豪によるラスベガス乗っ取り、マフィアの組織防衛、ベトナム戦火の拡大と反戦活動の盛り上がり。ベトナムにおけるヘロイン製造と武器の横流しにかかわるCIAとマフィア、FBIとマフィアと労働組合、人種差別主義のKKK間の利害の対立と一致、キング牧師を中心とする公民権活動の高まり、ロバ−ト・ケネディ上院議員の大統領選出馬と既存勢力の反動などなど語られる事件は山ほどある。登場人物も数え切れない。
主人公はワルの三人(悪徳警官、組織の殺し屋、マフィアの顧問弁護士)彼らがこの騒然とした社会におのれの欲望を満たさんがため暴走する。しかし、マフィアやFBIに翻弄され裏切られ、破滅に向かう。そして、キング牧師とR・ケネディ大統領候補の暗殺。

ストーリーが複雑すぎる。しかも特異な文体で、背景説明を極力省いてある。事実と虚構との区別は日本人ではつかないのが普通でしょう。途中何度か放り出したくなりました。
下巻に入っていくらかストーリーがまとまってきます。しかし、前作の「アメリカン・タブロイド」を読んでいないとまるで理解できないかもしれません。理解できない小説はいい小説とは言えない。

しかし、ここまで壮大に闇世界と政府の結託を書かれますと、アメリカという国が性悪説を日常生活の根本原理にしなければならない事情だけは良く理解できる。「政・官・財の癒着」「総会屋との呪縛」「不透明な会計制度」「不充分なディスクロージャー」「マーケット原理を無視したビジネス慣行」「株主不存在のコーポレートガバナンス」。日本が国際社会の一員として認められたいならこのような体質を根本から変えなくてはいけませんと親切に啓蒙してくれるのはいいが自分のことを棚に上げているのが見え透いているからうかうかと賛同できない。

「和をもって貴しとなす」
暮れにNHKで聖徳太子が放映されていました。照れくさいけれどこの言葉の響きに共鳴します。日本的な考え方もやがて見直される時が来るのではないかな。21世紀は20世紀の枠組みが崩壊する前兆をもって始まったような気がします。