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貴志祐介 『硝子のハンマー』
ミステリーの本格密室ものはなかなか映像化しにくいのだがこれはそのまま映画化しても面白いだろう。
2004/07/25
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殺人の現場が「六本木センタービル」と言っても回転ドアにはさまれて子どもがなくなったあの超高層ビルではない。12階建てのこじんまりしたビルだ。新興の介護会社「ベイリーフ社」の役員室はその最上階にあって、開閉のない強靭な窓、いくつかの最新の電子機器と警備保障会社の堅いガードなど、鉄壁のセキュリティーシステムでよそ者の侵入から防御されている。そこで社長が殺された。
探偵役は防犯コンサルタント(こういう職業もこのご時世だからあるのだろう)なかなかの好人物。むしろ本職は怪盗ではないかと思われるぐらい、防犯システムの網をくぐって忍び込む技術を会得している。この探偵が犯行を成立させるいくつかの方法を考えそれを実験してみるのだが、第一にこのディテイルが読ませる。
前段はこの結果ほぼ外部からの進入は不可能と読者に印象付ける。後段は犯人側から見た犯行のプロセスが描かれる。つまり鉄壁の監視システムをいかにかいくぐって目的を達成したか、その頭脳的プレイを披瀝するわけである。第二の読ませどころはこの構成の妙である
第三にこの頭脳犯が目的を達成するために必要とするさまざまな小道具を入手するあるいは作り上げる過程もインターネットや携帯電話などの最新の情報機器の高度な活用を詳細に紹介し、いかにも現実にありえそうな気にさせるのも楽しいところだ。
しかし、私がこの作品でもっと評価したいのは実はそこではない。
最近の密室ものミステリーにはない新鮮さを感じたからだ。最近の作品であっても舞台は現代ではなく昔々で、あるいはわれわれの生活とはまるで関係がない寒村、孤島や古城がほとんどである。それを都市の中の都市と言うべき六本木、サラリーマンならだれでも想像できる警備体制下の事務所ビルとリアルな設定にして謎ときの興味をマニアだけのものにしていない。
また、この作品では最新の建築技術とITシステムで具体的な密室空間を作り上げている。密室トリックには心理トリックあるいは作者の叙述方法に仕掛けられたトリックが多く、あきあきした感じがしていたところでこの作品を興味深く読んだ。
身近な生活空間に謎が構成されているとなると読者はむしろ作者の作った枠組みのどこかに間違ったところはないか、無理筋はないかなどとあらさがしの視線で読むことにもなる。
作者もそのあたりは見通しているようになかなか用心深く話を作っていることがわかる。私は現在使用しているビルの警備システムと比較しながらあらさがしをしていたら、このミステリーの基本的誤り、作者の見落としている重要な点に気づいた………。とこんな得手勝手をするのもまた楽しいところだ。
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熊谷達也 『邂逅の森』
ある民族にとって自然は過酷であった。そこでは人間に絶対服従を課したのが神であった。しかし、日本民族にとって自然は生きとし生けるものにあまねく恵みを与える神である
2004/08/15 |
大いなる自然の道理に導かれている存在。山、森、谷、川、そのものがそうであり、そこで息づいている草木や熊、カモシカ、ウサギなどの獣がそうだ。それらは自然の恵みをあるがままに受け入れる。しかし一方で自然の過酷な試練にさらされ、しかも生きつづけることもまた道理なのである。
人間はそうではなかった。人間は常に自然を征服しようとする。それが人類の進歩であり、文明発展の歴史であり、合理主義を真理とする近代化である。そして現代の繁栄がある。ただその延長にある未来に栄光が待っているのだろうか。自然界の摂理と人間社会の発展、抜き差しならぬ両者の対立構図を作者は念頭にしている。
大正期の秋田県。山々の懐に囲まれた集落。マタギ。狩猟の民。近代化の浸透。なお彼らの生活は山の神様に導かれている。マタギにとって獲物はすべて山の神様からの授かりものである。恵みである。そのために、狩猟時の規律、一族には頭領(スカリ)への絶対服従、族間の規則、遠征する旅マタギの縄張り、さらに生活慣習にいたるまでの厳しい掟がある。彼らの生活ぶりを詳細に描き、また熊狩りのディテイルは興味が尽きない。
地租改正の帰結として主人公・松橋富治の父は猫の額ほどの耕地を地主に奪われる。貨幣・商品経済の浸透、日清・日露戦争の軍需、あるいは戦後の恐慌などによってマタギの生活は綻びはじめる。山の神様とは相容れないハンターの登場。密猟の横行。また東北地方の貧困の代償は娘の身売りである。現金が欲しい。固有の伝統と戒律の世界にありながら、やむなく近代化・合理化と折り合いをつけなければならない。マタギは不安定な均衡状態でようやく生活を保っている。
マタギである松橋富治は自分の子を宿した地主の娘と別れ、鉱山に追いやられる。ここにもマタギと同様に親分・子分、掟の世界があった。死と向かい合わせの鉱山で生きるための秩序があった。彼はそこでたくましく一人前の採鉱夫に成長する。しかし、彼の狩人としての血の騒ぎはおさまらずふたたびマタギに戻る。その村の男の誰しもが寝たことのあると言う多淫な元娼婦と結婚して子をなす。
作者は近代化する社会から疎外されたところにある人間の生の営みにフォーカスする。マタギである富治の野性のエネルギー、本能に突き上げらるかのようなふたりの女との性愛、それが昇華したところにうまれる男女の深く結びついた生活、さらに動物的に強靭な親子の絆を濃厚に描写する。
久しぶりに恋愛小説を読んだと思った。でもこれはいわゆる恋愛小説ではないことに気づかされる。ここに登場する男と女の関係には人倫の概念は全くない、むしろ雄と雌の性愛である。さらに男女の結びつきよりも親と子の絆を明らかに上位概念としている。もちろん儒教的価値尺度ではない。種族維持最優先の動物的結合とはそういうものであろう。いくつかの親子の別れ、親子の再会、親子のありようが描かれ、その本能的愛、無心の愛にわたしは涙をこらえられないところがあった。
人は善をなすつもりで悪行を重ねるものだ。その積み重ねに今がある。それが身にしみた者にとって「自然さ抗(あらが)ってはだめなのっしゃ」との言葉には新鮮な刺激がある。
娘の幸せな行く末を確認した。マタギをやめ夫婦ふたりのつつましい生活をはじめるつもりであった。しかし富治は知り合いのマタギが娘を身売りするのを放っておけなかった。そして金を得るために最後の熊狩りを仕掛ける。しかし金だけが目的ではない。自分の明日を山の神様に尋ねるための熊狩りである。そして神様の化身である巨大熊に邂逅する。死闘の結末は………。
主人公も著者もあからさまな文明批評などはしない。ただしずかに大自然の神性に帰依していくだけである。ここには限りない生命への賛歌がある。
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笹本稜平『天空の回廊』
山岳冒険小説の醍醐味
2002/05/06 |
普段運動靴など履いたことのない身で、エアクッションのウォーキングシューズと軽便なリュックを買い求め、この連休の3〜5日に秩父34ヶ所札所巡りを徒歩で30ヶ所まで巡礼をして、相当くたびれた。その体験からエベレスト登頂を舞台にする山岳小説の迫力はまた格別の感がするものである。3月には夢枕獏の本格的山岳小説『神々の山嶺』でエベレストに冬期、無酸素、単独で死闘を挑む天才クライマーの物語に感動したが、この『天空への回廊』は冬期、無酸素、単独でエベレスト頂上に到達した直後の主人公が酷寒と希薄な大気に苦闘するところから物語が始まる。アメリカの人工衛星が近くに落下し、発生した雪崩に彼の友人が巻き込まれる。どうやらこの人工衛星にはアメリカが秘匿しておきたい軍事上の秘密が搭載されていたようだ。これをめぐってアメリカ、中国、武器商人、テロリストの争奪戦が開始される、大型のエンターテインメントであります。
著者は2001年、『時の渚』でサントリーミステリー大賞を受賞しているが作品を読むのはこれが最初である。
国際謀略小説の常道を踏んでいるかに見えるが、舞台が8000メートルを超える山岳となればどんなに訓練をつんだ特殊工作員、あるいは重火器で装備された戦闘集団といえども活動は凍結されるわけで、こうした連中とのバトルシーンはほとんどないのである。あるのはやはり自然との壮絶な闘いでした。それにしてもこの主人公・真木郷士、格闘技はからきしだめだが、岸壁から落ちようが、雪崩に巻き込まれようが、ホワイトアウトに遭遇しようが、靴はもげ、食料はつき、傷つき力つき、それでも文字通り這いつくばってエベレストのてっぺんへ何度も行かなければならない羽目になるんです。ストイックなこの主人公の超人ぶりに感嘆。登山の好きな方には「神々の山嶺」とともにお勧めするミステリーです。
僕も近々残された4ヶ所の札所を回り終えきちんと結願を済ませましょう。
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