巻の七 実説・土蜘蛛無惨
茨城郡(うばらきのこおり)は東には香島郡(かしまのこおり)南は佐我の流海(霞ヶ浦北部)西は筑波山、北は那珂郡(なかのこおり)に囲まれた一帯を言った。常陸国の国司が所在する国庁はここの石岡にあった。

さてこの地方の古老がこんなことを語った
昔のことだがこのあたりには国巣(くず)と呼ばれるものが住んでおった。都知久母(つちくも)とか夜都賀波岐(やつかはぎ)ともいわれ、山の佐伯、野の佐伯と名乗っていた。
こやつらは山腹のいたるとこに穴倉をほり、いつもはその穴の中で暮らしておって、人間が近づくとすぐに穴倉にかくれるが、遠ざかれば野原にでてきて遊ぶ。オオカミの性格、フクロウの情をもっていて、ネズミのように隙を窺って掠め取るわるさをし、だれからも招かれたりかわいがられたりすることがないから、ますます、土地の風習から隔たって孤立していた。
ある時、大臣(おほのかみ)の一族であります黒坂命(くろさかのみこと)は穴からやつらがでて遊んでいるところを見計らって、茨棘(うばら)を穴の中へつめこみ、すぐさま騎乗の兵を放って、急遽、追い立てさせた。佐伯どもはいつものように穴倉に走り帰ったところ、一網打尽、茨棘に突き刺さって傷つき痛んで散々に死んでしまった。
そこでこの茨棘(うばら)にちなんで県(あがた)の名につけたのだといわれている。

土地の古老はもう一つの「茨城」由来を語っている。

山の佐伯と野の佐伯はすすんで盗賊の頭目となった。賊徒を率いて、国中を横行し、大がかりな強奪、殺生を繰り返していた。そのころに黒坂命が登場し、策略をもってこの賊徒を滅ぼそうと茨(うばら)で城(き)を作ったのである。これにちなんでこの土地の名を茨城(うばらき)と言うようになったと語った。

「城(き)」 敵を防ぐために築いた軍事的構造物であり、古くは柵や石垣、濠、土累を巡らせた軍事拠点であるがここでは茨を絡ませて作ったということであろう。

「茨城」の由来もさることながら、ここに描かれた先住の種族と新しく登場する支配種族の間で生じた文化の対立、その延長に起こった大規模な戦闘のなまなましさに目を見張った。定住農耕を生活の基盤とする朝廷一族がこの辺境に根を下ろした当時、先住者はまだ穴居生活をおくる人々であり、生活の糧は狩猟、採取によっていたものと思われる。侵略者にとって彼らはオオカミやフクロウの化身であって「人間」ではなかったのだろう、まつろわぬ神であり、あらぶるものたち、蛮人であり、やがて収穫物を強奪する強盗集団として徒党を組み、壊滅すべき対象である武装した反政府勢力へと組織化されていったことが容易に推測できる。これはやがて大和朝廷の陸奥(みちのく)制圧という大軍事戦略へつながる前哨戦でもあった。

次に国巣(くず)、都知久母(つちくも)、夜都賀波岐(やつかはぎ)、佐伯(さえき)と称された先住者について敷衍してみよう。

「昔のことだがこのあたりには国巣(くず)と呼ばれるものが住んでおった。都知久母(つちくも)とか夜都賀波岐(やつかはぎ)ともいわれ、山の佐伯、野の佐伯と名乗っていた。
こやつらは山腹のいたるとこに穴倉をほり、いつもはその穴の中で暮らしておって、人間が近づくとすぐに穴倉にかくれるが、遠ざかれば野原にでてきて遊ぶ。オオカミの性格、フクロウの情をもっていて、ネズミのように隙を窺って掠め取るわるさをし、だれからも招かれたりかわいがられたりすることがないから、ますます、土地の風習から隔たって孤立していた。」
すでに紹介した常陸国風土記の一説であるがこうした者たちをいっぱんには「土蜘蛛」という。

平凡社世界大百科事典によると次のように記されている。
土蜘蛛
つちぐも
古代,ヤマト王権の勢力に従わない在地土着の首長ないし集団を呼んだ名称。土雲とも書く。その内容については土窟に住む農民説,蝦夷説,国津神説,などの諸説がある。土蜘蛛の所伝は大和をはじめ,東は陸奥から西は日向におよぶ広範囲にみられ,ヤマト王権の征討伝承の中に抵抗する凶賊として登場し,土窟に穴居して未開の生活を営み,凶暴であるとして異民族視されている。征討伝承は《古事記》《日本書紀》にあり,常陸,豊後,肥前の各風土記や摂津,越後,肥後,日向諸国の同逸文にも各地土着の土蜘蛛の記事がみえる。《日本書紀》神武即位前紀は土蜘蛛の身が短く手足が長いとしており,同景行紀では石窟に住み皇命に従わなかったとある。また《常陸国風土記》は土窟に穴居したとし,
《摂津国風土記逸文》にもつねに穴居することから土蜘蛛と賤称したとする。しかし,これらの習俗はむしろ土蜘蛛の名から作られたものか。           佐藤 信


能、歌舞伎にも「源頼光の鬼退治」の相手が土蜘蛛とされている作品がある。
能 流派により《土蜘》とも《土蜘蛛》とも書く。五番目物。鬼物。作者不明。シテは土蜘の精魂の鬼神。源頼光(らいこう)(ツレ)の館へ侍女の胡蝶(ツレ)が薬を持って帰って来る。頼光は重病で苦しんでいるのである。そこへ怪しげな僧(前ジテ)が現れて,頼光に蜘蛛の巣糸を投げかけるが,頼光の太刀先に傷を負い姿を消す。物音を聞いて駆けつけた独武者(ひとりむしや)(ワキ)は目ざとく血痕を見つけ,その跡をたどって怪物の行方を突きとめることにする。独武者が武士たち(ワキヅレ)を連れて損城山にたどりつくと,岩陰の塚から鬼神(後ジテ)が現れ,土蜘の精魂であると名のって人々に巣糸を投げ,さんざん苦しめるがついに退治される(〈打合イ働キ・ノリ地〉)。お伽噺めいた鬼退治物の能である。巣糸のかたまりを掌中や身の回りに隠しておいて,次々に繰り出すのが見ものであるが,劇としての内容に乏しいので,近年は上演回数が減っている。       横道 万里雄
平凡社世界大百科事典


歌舞伎のセリフだが岩陰の塚から現れた土蜘蛛がおおみえ切って日本国の為政者を呪詛するのだが興味深い。

我を知らずや其の昔、葛城山に年経りし、

土蜘蛛の精魂なり。

此の日の本に天照らす、伊勢の神風吹かざらば、

我が眷族の蜘蛛群がり、六十余州へ巣を張りて、

疾くに魔界となさんもの。


もう一つのセリフ

汝知らずや、我れ昔、

葛城山に年を経し、土蜘の精魂なり。

なお君が代に障りをなさんと、頼光に近づき奉れば、

却って命を絶たんとや


葛城山での虐殺の恨み。 「君が代」=天皇の治世への反逆。死霊と化した土蜘蛛の末裔。怨み晴らさでおくべきかぁ〜。辺境の民の歴史、支配者の横暴の歴史を知る者には、共感できる呪詛です。
茨城県に生息していた土蜘蛛たち
殲滅させられ
おそらくこの世にこんな思いを残して
逝ったに違いない。

わが故郷の江戸崎町付近にはこの土蜘蛛族の悲惨な運命の舞台となっていた模様である。
これも『常陸国風土記』行方郡の章にある伝説なのだが大虐殺、ホロコーストである。
潮来、浮島、阿波崎など懐かしい地名が見られる。

行方郡の板来(現在の潮来)には霞ヶ浦を航行するための水駅が設置され、板来の驛(うまや)と呼ばれる。この西には榎の林があって、むかし、天武天皇の御世にオミノオオギミが放逐されて住まわれていた。霞ヶ浦には塩を焼く藻、海松(みる)、白貝(おふ)、辛螺(にし)、蛤(うむぎ=ハマグリ)が多く生育していた。

崇神天皇のときにこのあたりは東国の辺境で、ここには朝廷に従わない野蛮な賊徒がいたが、これを征服するためにタケカシマノミコトを遣わされた。

軍勢を率いて、行く先々の兇徒を平らげて進み、信太郡の阿波崎近辺、浮島に宿をとった。霞ヶ浦の東の浜辺、板来のあたりを望めば、煙が上がっているのが見えた。兵隊たちはあそこには人がいるのではないかと疑った。タケカシマノミコトは天を仰いで、誓った。
「もし、われわれの仲間の煙ならばこちらまでそよいできて頭上を覆いなさい。もし、野蛮な賊の煙であるなら、去って海中に靡け」
はたして煙は海をさして流れたのである。
あれにあるは兇族なり。みなのものはやばやに戦支度をせよ。

この地の国巣夜尺斯(ヤサカシ)、夜筑斯(ヤツクシ)となのる二人がいた。ふたりは一族を束ね、穴を掘って土窟を構え、ここに常住していた。官軍の動向を用心深くうかがい、身を潜め、守りは堅かった。

タケカシマノミコトが兵に命じて追討、駆逐しようとしても賊たちはことごとく逃げ帰り、土窟を閉じ、守備を固めるので容易に攻めきることができない。

ここは大きなはかりごとが必要だとタケカシマは気づいた。
死をも恐れぬ勇猛な戦士を選抜し、姿がみえぬように山側の窪地に伏させた。
渚には賊を撲滅する武器に装いを施し、美しく並べ見せる。海上には船を連ね、編成した筏を浮かべて、そこには華やかな絹張りの笠がまるで雲が空を飛ぶような様にて翩翻としている。七色の旗は燦然と輝く。
琴、笛の調べが、波が寄せ、潮が流れるままに、あたかも天上の人が奏でるように海面をただよう。賑々しい音曲は七日七夜を通して、人々は遊び戯れ、歌い踊った。

こうするうちに、この盛況な音楽を耳にした賊どもは一族こぞって男も女も全員が土窟から這い出してきた。彼らは浜いっぱいに広がって大喜びではしゃぎまわったのだ。

タケカシマはただちに騎馬武者たちに土窟の入り口を閉鎖させ、用意の伏兵で背後から襲撃した。かれらを一網打尽に捕虜とし、全員をまとめたうえで、同時に焼き殺したのである。

痛く殺した土地は伊多久=板来=潮来と名づけられた。

臨斬る(ふつにきる=斬り尽くす)土地は今の布都奈(ふつな)村(潮来の東北の古高あるいは桜川村の古渡)と名づけられた。

安く殺る(きる)ところで、今の安伐(やすきり)の里をいう。(アバの里とよんで潮来町古高の阿波台あるいは安婆島と解釈もある)

吉く殺く(よくさく)といった場所は今は、吉前(えさき)の邑(潮来町江崎)を言う。

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