東野圭吾 『幻夜』
これに女は痛快感を覚えるか? 男は被虐の喜びを感じるのか?
2004/02/20

阪神大地震で壊滅した街の瓦礫の中から過去を捨てて一組の男女が再生する。どさくさのさなかに叔父を殺害した男とその現場を目撃し沈黙している女の二人は東京へとむかう。もう一人の目撃者から脅迫される男と脅迫された男を救う女。女のいうがままになる男と男を徹底的に利用する女。無垢な娘に好かれてもこの悪女と別れられない男と男たちを踏み台にして金と地位を我がものにしていく女。破滅する男と成功する女。この女のクライム・サクセスストーリーは単純で読み手の予想通りに、しかしいつ露見するかと心配させられながら、犯行がつぎつぎ展開するから一気に読了できる。

新鮮さはない。この手の犯罪小説は昔好んで読んだ時期があった。日本型ハードボイルドの元祖・大藪春彦の『野獣死すべし』『蘇る金狼』『汚れた英雄』など良家のお嬢様や有閑マダムを恋の虜にして犯罪を積み重ねながら栄光を手にしていく男の話だったような気がするが、大藪の作品は読後の痛快感があったと記憶する。それはヒーローのターゲットが強大な力をもったワルだったからだ。
女性の利用方法にも違いがあって、女性はヒーローがいかに性的魅力があるかを印象づけるための小道具であり、すくなくとも女性を犯罪の現行犯にするような卑劣なふるまいはなかった。

ヒロインにまったく魅力がない。肉体だけが取り柄のような女であってこざかしいが実力はないから男性におんぶしだっこされているだけである。逆説的だが、女性をこんな風に描くのは差別だと抗議されるのではないか心配です。女性の完全犯罪ならば宮部みゆき『火車』の主人公に新しい時代の女性の凄み感じます。

この作品、「週刊プレイボーイ」の連載だったのですね。野坂昭如が和製プレイボーイの元祖だなどと自称していたころを思い出します。そのころならばやはり連載犯罪小説は大藪春彦でしょうね。そこを今は男と女を逆の立場にする。女にもて遊ばれた男たちの物語でした。


東野圭吾 「白夜行」
「白夜行」その時代背景
1999/09/05

東野圭吾の前作「秘密」とは全く趣を変えた傑作だと思います。「秘密」は奇抜で、あり得ない環境を人工的に作り、軽妙な筆致で夫婦愛を描きました。SF仕立ての背景によって、むしろ血の通った普遍の愛の姿を読者に提示し多くの人の共感をつかんだものです。

「白夜行」はオイルショックからバブル崩壊までの風俗を描くことで 同じ作者とは思えない重厚感を物語に加え、いくつかの犯罪・事件を周囲の登場人物に語らせることで核になる一組の男女の特殊な愛の形を哀しくにじみ出させています。

最近は出版社の惹句のペテンに引っかかる買い物が多かったのですが今回の「腰巻き」に載っている推薦の辞は当たりでした。前作とは正反対にこの「愛の形」は非常に特異なものであります。愛の結果は反社会的、背徳的な行動となります。多くの人が共感する類のものではありません。しかし作者は この男女を含め多数の登場人物の行動、事件、犯罪をここ19年の社会、風俗変化と丹念に結びつけ物語に厚みをつけることで「特異な愛の形」に共感はしないまでも「哀しさ」を加味することに成功しています。

それはそれとして、私は長い時を経て追うものと追われるものの行動を見つめ続けるクライムストーリーは好きですね。自分自身がその時点時点でどう生きていたかを重ね合わせながら読むためです。
第1章は1973年です。第一次オイルショックで日本経済が戦後の高度成長から一転し翌年は戦後初のマイナス成長へと転落するときです。彼らは小学5年生、私はそのころ……。
第2章、1976年。
第3章、第4章は1978年。第5章、1980年。
第6章、1981年。
第7章、1984年。
第8章1985〜86年。
第9章、1988年。
第10章、1990年いわゆるバブルの崩壊、彼ら26才、私はそのころ……。
第11章、第12章は1991年。
第13章、1992年。この年から我が国は実体経済でも不況が深刻化し今なお光明が見え出せない状況にある。

ついでながら、読んでいる途中で水上勉「飢餓海峡」のあの感動を思い出しました。

よけいなことですが東野圭吾は若い年代ですね。もう少し年齢がある世代の作者なら背後に学生運動を必ず置きます。この概念なくしても書けるんだなと妙なところで感心もします。

東野圭吾 「秘密」
なるほどこれが夫婦愛だ
1999/03/15

東野圭吾という作家の小説など年甲斐もなくと、手にとることもなかったのだが、昨年のベストテン入りを果たした「秘密」、遅ればせながら、第十刷目とブレイクしているので読んだ。母子がバス事故で死亡、ところが、母親の全人格を備えて娘が生き返るというSFに大人の読む話じゃないと思ったものだ。

しかし、軽妙な語り口が上手な作者だ。奇抜であり得ない状況を設定しつつ普遍な夫婦愛、親子の愛情をなんのけれんみもなく表現したものでおそらく若い年代は素直に受けとめたでしょうし、「夫婦愛」、その言葉がくすぐったくなる、あるいは風化してしまったわれわれ年代層に郷愁に似た感慨をおぼえさせる、なかなかに手練れた作品でした。

さてこれからどなたかの結婚式でスピーチを頼まれることもあるでしょう。「理想の夫婦像」など先輩面して言える資格はない方のために手軽に使える詩をお教えします。これを読み上げるといいですよ。わがことながら反省しますね。

吉野弘さんの作品、「祝婚歌」
二人が睦まじくいるためには 愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは長持ちしないことだと気づいているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい 完璧なんて不自然なことだと うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが ふざけているほうがいい 
づっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても非難する資格が自分にあったかどうか
あとで疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと気付いているほうがいい
立派でありたいとか 正しくありたいとかいう 無理な緊張には 色目を使わず
ゆったり ゆたかに 光を浴びていたほうがいい
健康で風に吹かれながら生きていることのなつかしさにふと胸が熱くなるそんな日があってもいい
そしてなぜ胸が熱くなるのか 黙っていても 二人には分かるのであってほしい