2002年・秋

秋分の日。ゴルフから戻って渋い日本茶。今日のスコアは47、47と平均値である。おととい、昨年他界した父の墓参でふるさと茨城を訪ねた折に持ち帰った名物といわれている「江戸崎饅頭」を口にしながらうつらうつらしている。近くの小学校からは児童の帰宅を促がす「赤とんぼ」のメロディー。玄関にでて伸びをすると甘い香りが鼻腔いっぱいにひろがる。いつもならどこかの台所で炒めるニンニクの香ばしいにおいが漂ってくる時刻だ。家内から「キンモクセイね」といわれ、どんな花を咲かせる木であったかと、それを求めて、家の周りを歩いてみた。それらしい花木はみあたらなかったが、まだ濃い緑のままで、色づいていない柿とみかんの木があちらこちらの庭に枝を茂らせていることにはじめて気づいた。近隣の再発見である。
「この季節は花をつける花木は少なくなって、ハギのあとはモクセイ、それが終わるとサザンカだな」と、さらに「サザンカとツバキの見分け方を知っているか」と家内に最近仕入れたばかりの耳学問をつぶやくと、彼女は「自分の家の庭に両方があることをあなたは知らないの」とあっけにとられたような顔つきをしている。

最近は休日の朝に目が覚めるのが早い。昨日は4時半。寝起きの悪い家内をゆすり起こして、これから巾着田の彼岸花を見てくると言えば一緒に行くとのことで飯も食わずに日高高麗川に出かけた。死びとが地中からしている線香花火といわれる彼岸花も100万本の群生となるとあでやかである。帰途に日高カントリーの裏手にある牧場に立ち寄って、和牛肉を買い込む。ここには生鮮野菜と肉類の市場がある。
夕食はスキヤキにしようといえば、今日は娘たちがいないので別なものにすると。娘たちはどこに行ったのだと聞けば、妹のほうは1週間も前からニューヨークへ遊びに出かけ、姉は今日は外泊なのだそうだ。それでもいいからと二人でスキヤキ。口癖のように「まだ結婚はしないのか」とイライラしていた父がいなくなったので三十路に達した姉に対して誰もそれを話題にすることはなくなった。

和牛肉をつつきながら1週間前の猪鍋も思いのほかうまかったとうっかり漏らしたところを家内につつかれる。やましいところがあるわけではない。母親と温泉旅館で食っただけで、妖しい人といたのではない。たまたま言いそびれていただけである。家内も実家で10日ほど親孝行していたとき、ふと「敬老の日」に気がついた。一人暮らしの母に温泉に入ってうまいものを食うかと誘うと、近所の老婦人と一緒に喜んでついてきた。長瀞の船下りから秩父白久温泉。本物のイノシシ肉の鍋料理がセールスポイントの旅館。近くには秩父30番札所、庭園が映える法雲寺がある。今年は中国古典を学ぶ仲間たちと延べ五日をかけて秩父霊場34ヵ所、白装束の本格巡礼姿で、すべて納経を済ませた。当時は春で藤棚が見事な時期であったが、今はハギが盛りである。こんもりと枝をたらせて小粒の花を静かに咲かせている。二人の老婦人が「ハギですね」と言うのを聞いてどれどれと覗き込む。これがハギかと………。勘違いもはなはだしいのだが「大田道灌のあれですね、七重八重花は咲けども………」とつぶやいて間違えたとわかったときはもう遅い。「ハギと猪鍋とはいい取り合わせだな」とごまかす。

ハギとイノシシ、ボタンとチョウチョ、モミジとシカとは相性がいい、絵になる。しかし、6月のボタン、10月のモミジはわかるとして、ハギはどうして7月なのだろう。賭けごとといえば、最近、仕事が終わってマージャンをする機会ができてきた。月に3回程度であるが、実に楽しい。金融機関子会社に勤務。入社した当時あった金融機関で傷つかないものはなくその名称はすべて変わった。激変があった。激流に流されたのか、逆らったのか、棹をさした方なのか。そのあたりはよくわからない。いま、その流れを傍観している立場になったかといえばまだそうともいえない。
パソコンとデジカメを手にしてから興味の対象が広がった。読書はもっぱら娯楽小説である。しかし、そのうちには花鳥風月の心を知るにいたるときも来るであろう。

2003年・夏

あるネット本屋さんで真夏の怪談を募集していましたので応募してみました。800字の短編という条件でとりあえず3篇を提出したのですが入賞できるかな。2003年7月22日


第一話 夜寒のあやかし

ついこの間まで、まさか倒産するとは思いもよらなかった大企業で毎日のように宴会だ、ゴルフだなどと憂き身をやつしていたものでございます。まもなく還暦の身、リストラの後、都心から社用車で帰る身分にはすでになく、池袋から東上線の志木駅までの深夜電車では眠りこけることもございます。半年ほど前、泥酔でありましたな。志木駅を通過して、次の柳瀬川で気がつき、なれぬ夜道をふらふらと。雲が厚く空の明かりをさえぎっておりまして、木枯らしが裸の街路樹の梢でヒューヒューと悲鳴をあげている、街灯の少ない夜寒の通りにはひとっこ一人見えません。背後から通り過ぎた車のライトが一瞬でしたが前方の電柱に張り付けた白いボードの文字を浮かび上がらせたものでした。「人生には まさかという 坂がある」 

その瞬間は酔った頭でもこいつは下手な掛詞かと、網膜に残ったその残影を吟味するでもなくぼんやりしていますと、風がピッタリとやみ足もとの闇がとろりと粘りを増して、まとわりついてくるのです。そして耳元では男の声音で軽い口調のささやき。「へっへっへっ。ねぇだんな、思い当たる節があるって顔つきをしていますぜ。このところめっきり増えてるんですよぉ。ここでそれを見てボーッと立ち止まっちゃうお方がね」ふたたび、木枯らしが吹いて、闇のどろりも周囲の空気に溶け込んでしまいました。冬の夜の、あやかしが、なせるわざかと、オーバーの襟をたてなおし、家路を急いだものでございます。

はて翌日は休日でして、二日酔いの空っぽの吐き気で昨晩のことに思い至りました。どなたの言葉やらと柳瀬川駅までの往復をきょろきょろして探しましたが、結局あの白いボードは見つかりませんでした。

              

第二話 夜と朝のはざまで

まもなく午前二時の時を告げる私はひとつしかない目玉で、女たちとツイストにはしゃぎ戻った若者の寝顔を見つめている。
暗い。ぞろっ ぞろっ ぞろっ 廊下を重い袋でも牽きずるような湿った音。引き戸がわずかにそろりと開く。ずるり その隙間から床をなめるように滲み入った影が若者の足もとにうずくまる。カーテンの隙間から洩れる蒼い月の光に乱れた白髪が銀色にきらめいた。しわだらけの顔には瞬きをしない目がどこをみるでもなくどろりと、歯がないその口は穴のように黒く、かすれた声がくぐもって
「裏の池の鯉神様が今出てきておらを手招きするだよ。ほら見えっぺよ。おら死にたくねえよ」
老人のつぶやきとともに腐臭がただよった。骨と皮だけに枯れた腕が布団をわけて若者の太ももをいとおしむようになでる。
「おめえがかわいくてかわいくてなんねぇよ。おらが棺おけにへえるときは一緒にへえってくれるよなぁ」

若者の額に縦皺が刻まれ
「うっ」
うめきがもれる。体が硬直する。腰が弓なりに、一瞬の淫夢の中で19歳の健康な肉体から精が解き放たれた。ポッツ ポッツと二つ鳴いた。

六つ鳴いた時に私は隣室からの母親の声を聞いた。
「ばあちゃんが息をしていないよ。92歳、大往生だよ。髪を梳いたのね。こんなにきれいな優しい顔。まるでねむっている仏様。あんたもずいぶんと世話になったのだからいつまでも寝ていられないよ」
若者は腰の辺りに残る気だるさのしるしを母親に見つかるまいとあわてて洗濯機に走った。



昨日わたくしは探し物をして納戸の奥に壊れた鳩時計をみつけました。新品にいたずらでその片目をマジックインクで黒く塗りつぶし、祖母にしかられた少年時代を懐かしく思い出していると、肩越しに居残りの三十娘が「お父さん!そんなもの捨ててしまいなさい」



第三話 親友

生涯の親友なんてめったにいるものじゃない。奴とは同じ高校、大学で一緒に青春を謳歌し、就職先こそ違え同じように銀行へ入った。お互いの結婚式には主賓の立場で嫁さんを誉めあったものだ。住まいも東上線で奴は鶴瀬、僕は少し手前の志木だから、家族同士の付き合いも続き、今でも女房同士で始終行き来している。

まもなく還暦で定年を迎えるとなれば、いい時代の銀行を振り返りながら弱くなった酒を飲み過ごすこともしばしばである。深酔いしたことを自覚して池袋から各駅停車の志木どまりに乗ったところまではよかったが、途中で目が覚めたとき いけねえ寝過ごしたと勘違い。飛び降りたところが四つ手前の成増、結局ホームのベンチで寝込んでしまった。

「いくつ電車をやりすごしたことか、突然大声で名前を呼ばれて目が覚めてね。奴だよ。下車して俺をたたき起こすには気づくのが遅かったのだろう、奴が閉まろうとする電車のドア越しに、馬鹿もんしっかりせい、はやく帰れよ、と手を振っているのが見えたんだ」
居間でテレビを見ながら居眠りをしていた私は泥酔して帰宅した夫のだみ声に目を覚ました。

「下手な怪談でびっくりさせようと思ってもそうはいかないわよ。今日はお盆の入りなのね、あの時、銀行の役員で責任感の強い人だったから。もう四年たったかしら。こんどの週末は鶴瀬の家へお線香をあげに行きましょうね」
と居間でテレビを見ながら居眠りし、寝言を言った私はけたたましい電話の音と娘の悲鳴に目を覚ました。

「お母さん!たいへん!お父さんが成増駅で………」


2003年8月10日
『夜寒のあやかし』が優秀賞を受賞しました。選者は「体験談」を期待していたらしく「創作性」がややお気に召さなかったようです。選評は次のとおりです。

福澤 優秀賞2作品のうちの1作が「夜寒のあやかし」(よっちゃんさん)です。

東 これは技巧派。タイトルからして狙ってますよね(笑)。

福澤 改行なしなんですが、いいと思ったのは語りの良さですね。怖さはあまり強いものじゃないし、極めて創作的なんですが、表現のうまさ、流れの良さがある。 岡本綺堂とか、正統的な怪談の語りを意識しているのかなという気がします。

東 福澤さんも『幻日』所収の「出立」で、改行なしで書く試みをしていらっしゃいましたね。

福澤 書くほうとしては難しくはないんですが、読者の側からすると極端に読みづらくなるという部分が冒険ですね。文章によっては途中で読みたくなくなっちゃいますから。「夜寒のあやかし」には文章に独得の雰囲気があって最後まで読ませる。

東 これくらいの長さなら支障はない。まあ「ございます」調は、往々にして失敗におわるケースが多いんですけど、これはうまくいっているほうかと。
 白いボードに「人生にはまさかという坂がある」と書いてある(笑)というくだりがあるじゃないですか。これ、どこかで見かけたことがあるような……。

福澤 どっかで見たことがあるような気もする……そのへんもふくめていいですね。

東 さりげなさがいいんでしょうね。まさに「夜寒のあやかし」――ふっと日常の隙間に入り込んでくるあやしいもの、という感じがよく出ていました。

第1回怪談大賞の詳細はこちらです



2003年・秋

いろは歌
慶応大学の村松暎先生から中国文学の指導を受けている論語研究会のメンバーの一人、片山はサラリーマンではあるが、登山が好きで、磐梯山を眺望できる雑木林の深くに山荘をもとめ、ゆくゆくは夫婦で住み着くつもりだという。ベランダで、磐梯の刻々に変化するのをみて飽きないといい、数学から化学、宇宙、哲学の書を愛読し、人生を語らせれば、含蓄にとんで、世俗の煩わしさを超越した視点が板についた男である。
彼が酒席で自作のいろは歌を披露した。いろは歌とはいろは四十八文字(ただし、現代文では「ゐ」と「ゑ」を除くと四十六文字)をすべて用い、しかも一字もだぶらせることなく完成した文章のことである。その代表作がいわゆる「色は匂へど散りぬるを……」日本人なら誰しも口ずさんだことがあるでしょう。七五調四句で整えた無常観あふるる古典的名作である。

快こそ善と エピクロス (かいこそぜんと えぴくろす)
街を離れて 実の森   (まちをはなれて さねのもり) 
小雪降る夜に 宴しつ  (おゆきふるよに うたげしつ) 
文目みぬ わらべ誉む  (あやめみぬ わらべほむ) 

「文目」とは物の条理のことであり、難を言えばいえる箇所もあるのだが、七五調四句のまさに歌であり、彼の人柄が滲み出た秀作と感心した。おもしろい遊びがあると思った。

すでに会社勤めを終え、自遊人と自称し、東樹荘と名づけた山荘に住み着いている男がいる。ゴルフ三昧の日々かと思えば、馬術に鍛錬し、絵を描いたり、酔えば俳句などもたしなむ。名は東男で「はるお」と読むがその由来は「東風(こち)ふかば匂ひおこせや梅の花」にあるというぐらいの風流人である。海外生活が長かったため日本語の小説は読めなくなったあげくに、英文の長編をいつも抱えている、サラリーマン生活も終着にちかい孜君と三人で飲むことがあり、たまたまこの話を披露したところ、即興でいろは歌を作ることになった。だいたいにしらふでやれるしろものじゃない。完成したものがこれである。

原案、東男。編集、孜。監修、よっちゃん。

題「春風に酔う」
東風吹け         (こちふけ)
峯、山裾、浅瀬で戯れん  (みねやますそあさせてたわむれん) 
瑠璃色に酔ひぬ      (るりいろによひぬ)
頬杖の気楽        (ほうつえのきらく)
夢を儚しと思へ      (ゆめをはかなしとおもへ)


これ、七五調ではないが傑作の部類かもしれない。  2003年11月9日

「ゐ」「ゑ」つき七・五混交体にて挑戦
東風吹ゐて         
峯、山裾を戯れん      
瑠璃色に          
酔ひぬ法悦         
朝餉の席ゑ         
夢、儚しと        
思へらく


2004年春 4月13日

BK1に書評をときどき投稿していますが、目にとまったところから、今年の1月15日、下記の案内状がメールにて届きました。
趣旨に賛同して拙文を送ったところ本書に掲載されまもなく発刊されます。

■書名
『熱い書評から親しむ 感動の名著』(仮題)
■帯コピー候補 
「あらすじで満足してはいけない! 原作にあたりたくなる! bk1書評者がオススメする正統派ブックガイド」
■企画主旨
 今回の企画は、『あらすじで読む日本の名著 1〜3』(中経出版)のヒットを受け、ブックガイドならもうちょっと違う切り口があるんじゃないかと思ったことがきっかけでした。
 これは「あらすじを読んでわかったつもりになっても仕方がない!」というアンチ的なアプローチともいえますが、ブックガイドの王道をゆくなら、安易な要約ではなくあくまで実際の作品に直に触れてみようという「動機づけ」であるべきだと考えています。
 そこでそれぞれの作品に対して愛着やリスペクトの気持ちをもって熱意のこもった書評を書いておられる方々の力をお借りして、上記のようなタイトルの本をつくりたいと考えた次第です。
 今回正統派のブックガイド本をつくることで、既刊本と対置し、ささやかな「あらすじ論議」をおこしたいと思います。もちろんこれは既刊本にケンカを売るというより、市場に一石を投じる、議論活性化が意図です。
『あらすじで読む〜』と比しても、世に問う価値では負けていないと思います。
 そういった意味で本企画は「安直でインスタントな解決」志向(本)へのアンチテーゼであり、福田和也氏の言葉を借りるなら「今風のスピーディで効率的な回路を抜け出て、いかに読書を、自分独自の体験としていくか」が一番底のテーマとなっています。
 最終的に人を動かすのは熱意だと考えます。思い入れを込めて書いていただいた書評には必ず読者の心を揺さぶる、巻き込むパワーがあるはずです。
 今回、bk1様サイト上で投稿された書評の中から「これは」と思うものを書かれている方のお名前を執筆候補者として挙げさせていただきました。皆様の力をお借りして、充実したブックガイドを作りたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

■発行元 株式会社すばる舎