アルバム江戸歴史ウォッチング「亀戸天満宮」
総武線亀戸駅、雑然としていかにも下町といった小店が軒を連ねる商店街を北に向かうと蔵前からの蔵前通りに面して亀戸天神の参道入り口がある。正保3年(1646)神官大鳥居信裕が太宰府天満宮の神木「飛梅」で彫った菅原道真の像を、亀戸村にあった小祠に祀った。寛文2年、本所地区開発が進む中で将軍家綱から新しく土地を拝領して、大宰府天満宮を模し、社殿、楼門、回廊、心字池、太鼓橋などを造営、亀戸天満宮と名づけた。この天満宮は江戸一番の大きさを誇り、「東の天満宮」と呼ばれた。天満宮につきものの梅も境内には見られるが、梅よりよ有名だったのは藤の花で江戸随一を誇っていた。
その藤の花は今日もでも今の季節には大勢の参拝客を集めている。2008/05/02
歩いてみよう!亀戸天満宮・両国 散策マップ


アルバム 江戸歴史ウォッチング 八丁堀から日本橋を歩く
八丁堀・亀島橋付近から水天宮、日本橋の東までふらりと歩いてきました。
八丁堀には最近週に1回ほど出かける用事がありますがここもまた江戸の歴史を残すところでありビックリの再発見でした。
「八丁堀」の名前の由来ですが、その名前の河川があったのですね。いまは埋め立てられてありませんが。 2008/01/15
歩いてみよう! 八丁堀から日本橋 散策マップ


アルバム 上野、谷中、根岸の文化史跡めぐり
2007/12/03
徳川の時代と上野
徳川家康は徳川一族による永続的国家支配を希求した。寛永寺、上野東照宮の造営はその精神のシンボルであって、霊域とされたのがこの上野の地であった。そして幕末、大政奉還をした徳川慶喜が寛永寺に蟄居したところから彰義隊が結成され、官軍に破れたのもまた上野であった。寛永寺の堂宇はほとんどが炎上、この上野戦争を機に徳川幕府は決定的に崩壊する。上野東照宮の三祭神が祖霊・家康であり、ラスト将軍・慶喜(もうひとつは吉宗)であることを知って、ますます徳川の時代と上野の縁に感慨を深くする。そして倒幕のリーダー西郷隆盛がいまや上野の森のシンボルとして、徳川幕府の創生と崩壊の歴史を睥睨しているのだ。

歩いてみよう!上野 谷中 根岸の散策マップ

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アルバム 愛宕山
汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり 愛宕の山に入りのこる 月を旅路の友として
愛宕山という山ははおそらく鉄道唱歌で記憶があるのだろう。いや、もしかしたら講談「寛永三馬術」であったかもしれない。
虎ノ門に勤務していたことがあったが、行ったことはなかった。先日、日経のコラム「江戸の風格」に寛永三馬術の曲垣平九郎の手折りの梅がここにあるとの紹介にさっそく出向いてみた。
「山」であるから見上げながら高台を探して神谷町から歩いてみたが直ぐ見つけることはできなかった

驚いたことには高台であるはずの愛宕山は林立する高層ビル群に囲まれた窪地のようだと、それが第一印象だった。
2007/11/27

歩いてみよう!愛宕山の散策マップ

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江戸城内堀散策その四 内堀の構造に新発見!
2007/10/22
三田薩摩屋敷周辺散策
2007/09/15

江戸城内堀散策その三 平川濠 大手濠

江戸城内堀散策 その二 牛ケ淵 清水濠

神田上水大洗堰址を訪ねる
2007/05/09

向島七福神めぐり
2007/04/21 深川の江戸情緒を味わう

江戸城内堀散策 その一
 2007/04/07 千鳥が淵

外堀・神田川周辺散策
2007/02/16

深川散策 その二
2007年1月26日

深川散策 その一
2007年1月19日

大江戸見聞ウォークU
2006年10月22日

大江戸見聞ウォーク
2006年10月14日

小石川後楽園の桜
2005/4/3 ふるさと江戸崎の仲間と満開の桜花を楽しむ

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