船戸与一 「蝦夷地別件」
滅びの残酷史
2002/01/20

船戸与一の作品で何が一番面白いかとたずねられ、「蝦夷地別件」と答えました。1995年に読んだ記録があります。当時は札幌勤務中でしたので職場の仲間たちに必読本としてこれと井上ひさし「四十万歩の男」(伊能忠敬)を北海道開拓の裏舞台を理解する意義を含めとにかく面白いからと薦めていました。昨日読み終えた「緋色の時代」が期待はずれだったことからいまさらですが「蝦夷地別件」は稀有壮大な構想と的確な歴史認識をもって、少数民族の滅亡の地獄図を鬼哭啾啾と描き、かつ2800枚の大長編でありながら読者を退屈させないその緊張感あふれた娯楽性(まさしく冒険小説)は、彼の傑作作品群にあっての白眉と言え、しかも時代小説として異彩をはなつ名作であります。

18世紀後半、蝦夷地交易の独占権をもった松前藩は江戸幕府とは距離をおいて、豪商と組み、アイヌを徹底的に酷使、労働力と産品の収奪は酸鼻を極めた。 アイヌ人はこの時点ですでに独立した生活基盤を失っていたと言える。かつては和人にとって交易の相手であったが、この時代には過酷な労役の提供者でしかなかった。この圧制、とくに豪商飛騨屋の簒奪にアイヌ民族の不満はついに爆発し,1789年(寛政元)5月,国後島のアイヌがいっせいに蜂起し,商場の支配人,番人,出稼漁夫などを殺害,さらに対岸のキイタップ商場内の目梨地方に渡り,同地のアイヌと合流して各漁場を相次いで襲撃していった。この蜂起に参加したアイヌは,国後41名,目梨89名の計130名,死亡した和人は71名で,その多くが下北地方からの出稼者であった。松前藩は,急遽鎮圧隊を編成して根室半島ノッカマップに投入し,国後の首長ツキノエ,ノッカマップの首長ションコ,アッケシの首長イコトイの協力を得て蜂起参加者名を調べあげ,7月21日ノッカマップで蜂起参加者130名のうち和人を殺害した37名を処刑し,その首を塩漬けにして城下松前に持ち帰り,城下西郊外の立石野で梟首した。これがアイヌ民族と和人の闘争史上、最後の武力闘争である「国後・目梨の蜂起」と呼ばれる史実である。


物語はこの歴史上の蜂起、1789年の前年から始まる。
史実の通りアイヌ部族側は和平派と徹底抗戦派に分裂し混乱におちいる。和人側はアイヌを人とみなさない者から同化政策を説く常識人もいる。さらに中央は田沼わいろ政治を改めるべく松平定信が幕政改革を進める年にあたる。定信はクセモノだ。この武装蜂起をきっかけにして蝦夷地経営を松前藩から奪回せんと虎視眈々と陰謀をめぐらせる。 
地球規模で眺めれば1789年はフランス革命勃発の年です。関係ないじゃん!………そうではないところがこの小説の醍醐味。ヨーロッパ各国の貴族階級は革命の嵐におびえる。ポーランド貴族も例外ではない。さらにロシアの南下戦略の脅威に帝政は風前の灯。そこでロシアに極東進出政策を奨める。すなわち日本侵略のメリットを説くのである。ロシアは軍備の前線をヨーロッパからアジアへ移動する。具体的には蝦夷地原住民に最新の銃火器を与え武装蜂起させ、最終的に日本を領土化するというとんでもない大陰謀が進められる。この構想にアイヌ抗戦派がまんまと乗せられるという、まさに国際陰謀小説なのである。文句なしに面白い。

三つ巴、四つ巴の虚虚実実の攻防戦。アイヌ民族の存亡をかけた戦いのゆくへは、しかし、運命は滅びにむかって容赦なく進行する。ラストはあまりにも残酷である。

船戸与一 「流砂の塔」
待ってました、船戸節!
1998/5/20

緻密な展開
すさまじい迫力
久しぶりに船戸節を堪能。
登場人物すべてがタクマラカン砂漠の砂塵に飲み込まれて終わる。死を賭した行動が無に帰する。言い様のない虚脱感におそわれる。
早速上海の高口所長にこの本を推薦しました。

船戸与一「虹の谷の五月」
船戸の直木賞受賞
00/07/15

「虹の谷の五月」が直木賞を受賞した。今までのように派手な戦闘シーンはないが、少年の透明な視線で、物質文明の浸透を前に無抵抗にこれを受けざるを得ない辺境村落共同体の無残な崩壊を見つめ、そのマイノリティーの明日への行動を暗示する結末は発展途上国に対する冷静なしかし愛情を持った作者の社会観が滲み出ている。彼は今までこの賞を取ったことがなかったのですね。ファンの一人として大変うれしいものです。冷戦構造が崩壊しても、スパイもの、冒険小説のテーマはあるものです。船戸与一の作品はマイノリティーの抵抗と滅びの美学そのものなのですが、この作品は後に希望を残すという、数少ない終章でくくられています。

私は「蝦夷地別件」を彼の作品の傑作として薦めています。ただしこれは絶望の終章です。