北方謙三『水滸伝』 第七巻烈火の章
戦闘シーンに手に汗を握りながら、一方でクールな今日的政治力学の世界が展開される。これも北方『水滸伝』の魅力だろう。


官軍の動きはこれまでは遅かった。だから、寡兵の梁山泊軍はそこにつけこむことができたのだが今、官軍が一斉に動き出した。青蓮寺が迎えた参謀、冷徹な現実主義者・聞煥章の官軍強化策が効を奏し始めたのだ。彼は裏の勢力青蓮寺にあって宋王朝の表のナンバーワン宰相・蔡京と気脈を通じ、表裏一体となる全軍の主導権を握ろうとしている。
聞煥章の働きで梁山泊の通信網は寸断され、宋江一行五人は味方との連絡を封じられたまま太原府付近の岩山の洞穴に孤立する。太原府の軍二万、国境の軍三万、北京大名府の軍五万が宋江捕縛のために動員される。岩山は一万六千の兵に囲まれた。徒手空拳の五人がこれをいかなる秘策で迎えるのか。新たに従者に加わった百姓の出である陶宗旺の特殊技能とは?
宋江逃避行のラストを飾るにふさわしい最大の見せ場が用意されている。

これだけの大動員をもって宋江をとらえられなかったこと自体は官側の敗北とするのが当然なのだが、青蓮寺首脳の受け取り方はそう単純ではない。
敗北の責任者、動きの鈍かった将軍たちを見せしめの過酷な刑罰で処する。しかし、本音ではこれまで不可能であった官軍の主導権を握ることに一歩近づくことができたと達成感すら抱いている。そしてこの方針をさらに進めるため禁軍最強の部隊を率いる童貫将軍とのコンタクトを画策するが童貫はさらにしたたかである。

だいたい、聞煥章は宋江ひとりを捕らえることには意義を感じていないのだ。恐るべきは梁山泊の組織力であってトップ一人をつぶしてもさほどのことはないと。現実感覚としてはそのとおりであろう。
宋王朝にとって梁山泊という敵の存在こそが富国強兵、強力な国家形成の原動力になると考えている。いつの世も「仮想敵国」は必要なのでしょう。

梁山泊は大衆の支持を得ている。ならば同じような主義を掲げる官製の賊徒をつくり大衆の離反する過激な行動を支援する。第二組合。あるいはかつて大衆運動が燃え上がった当時、右翼から金をもらっていた過激派があったことを思い出させます。
北方謙三は今日的政治力学を相当意識して古典を作り変えている。

北宋の歴史にはこの物語の前史として「王安石の改革」がある。青蓮寺派の政治思想は過去失敗したこの急進的な改革の理念を実現しようとするところにあるようだ。この改革の根本は,従来のような重税と節減といった単純な施策ではもはや解決できない破綻した国家財政を立て直すことにあった。王安石はそこで〈生財の道〉すなわち積極的に財源を生み出す方策をとり,改革は単に財政の問題だけに限られず,ひろく社会政策にも及んだ。1069年「王安石の新法」。これに対して既得権を侵害されることを恐れた官僚,大地主,大商人,それに宗室たちは猛然と反対した。結局改革は実らずむしろ新法党・旧法党の抗争から政治の大混乱を招いたのである。
青蓮寺・総帥の袁明はこの改革が徹底していれば国家の衰退はなかったと認識しているのである。

ついに宋江は梁山泊入りし、晁蓋と再会。ふたりの英傑がかたく手を結ぶ。宋王朝もこれまで反目していた急進派の青蓮寺と保守派の蔡京さらに軍事の総帥・童貫らが挙国体制を築きつつある。
物語は宋王朝と梁山泊の本格全面戦争へ新たな展開を始める。
2004/07/26


第八巻 青龍の章
『水滸伝』宋江とはいかなる人物であるのか。梁山泊に入塞してはじめて見せるそのリーダーシップぶりとは?


青蓮寺は独竜岡に砦を築いた。梁山泊の拠点網のど真ん中。梁山泊の勢力を開封府、北京大名府、南京応天府とともに包囲し外から内から崩そうとする壮大な作戦が展開される。その中心が祝家荘であり、宋江を総帥とした梁山泊全軍を挙げてこれを攻撃するが………。
砦の内部はいたるところに迷路があり、周辺も含め殺傷用の罠が張り巡らされて、攻撃を待ち受ける構えを見せている。禁軍の宿元景率いる精強騎馬隊五千がこれに加わる。

読者としてはここで初めて、宋江の軍事戦略家としてのリーダーシップを期待するのである。しかし。
情報は集中し深慮はあるが独創の決断はしない。部下を根っから信頼しているが信頼する以上に作戦は丸投げ。丸投げのところだけはどこかの国の首相と似ている。命は惜しまず、結果の責任を取る豪胆さは掛け値なしなのだがとにかく部下任せなのだ。

攻めるか退くか肝腎なところで「どうしますか、宋江殿?」軍師呉用に尋ねられ、「それはおまえたちが決めることであろう。呉用どうすればいいと思う?」とこんな具合で読者から見るといかにも頼りがない。
これでは責任感ある呉用ら部下は悩んでしまうことがある。ただ宋江は部下の悩みを聞いてやる。まるで心療医師のように彼らの潜在意識をあぶり出しその悩みを解決する的確なアドバイスをする名人なのだ。そして「替天行道」という抽象的観念の志に部下は心酔し、彼の人物は全幅の信頼を集める。旅の間にさまざまな経験をしてきた。そこから考えても、自分が戦の指揮にむくとは思えなかった。できるのは、兵の心の中にある、勇気を奮い起こさせることだけだろう。と述懐するリーダーである。
まさにカリスマ。一騎当千の親分たちが100人以上もいて勝手気ままに行動しても全体が合目的的に調和する組織ならばリーダーとはこんなものかと、いやぁうらやましいと眉につばをつけながらも思うのであります。

とにかく浪花節の世界なのである。梁山泊側は。一方の青蓮寺側の要人たちはアメとムチであまり有能とは思えない部下を上意下達で統率する。徹底した合理主義の世界に生きる男たちなのである。この対比が面白い。
われわれが今生きているのはどちらかといえば青蓮寺の世界なのでしょう。現実感覚としてはこちらにぴったりしたところが多い。だからこそ時には浪花節がいいなぁと忘れたものを思い出して梁山泊に郷愁を感じるのであろう。
2004/07/30

第九巻 嵐翠の章
もうひとりの総帥 晁蓋とはいかなる人物であるのか。ここに軍略家としてのリーダーシップの冴えを見る。そして………。


第九巻では梁山泊中最強の軍人豹子頭・林沖が亡き妻の残影を追う苦悶のエピソードが見せ場なのだが、ここでは割愛する。

晁蓋と宋江このふたりの総帥は梁山泊にとって健在でなければならない。どちらかひとりを失えば全土で梁山泊に好意をもっている者たちの衝撃ははかりしれない。官軍にはやはり勝てないのかと諦めにもつながりかねない。
だが晁蓋は宋江をはじめ幹部たちの猛反対を押し切ってこの作戦は自分が先頭に立って総指揮をとると言い出した。
禁軍3万が梁山泊側の要衝・流花寨へ向かう。晁蓋率いる六千と対峙する。流花寨が決戦の場と誰もが思った。だが、青蓮寺の狙いは北にあった。梁山泊の財源、闇塩の道を統括する盧俊義と柴進を捕縛することだった。晁蓋はぎりぎりの瀬戸際でこの陽動作戦に気づいた。果断に流花寨から転進し、二人へ迫る北方の官軍を的確な命令であざやかに撃破する。
天性の判断力、決断力、実行力。宋江とは違って率先垂範型のリーダーシップに非凡なものを持つのが晁蓋である。
「北だ。たぶん」と気づくのは確信ではないが戦場へ立つ者の感性である。「宋江にはない戦人の血が自分の体には流れている」と………晁蓋はそんな人物だ。

全幅の信頼を集める二人であるが、第八巻では宋江、ここでは晁蓋と、読者は両雄の違いをはっきりと見ることになるのである。北方謙三のこのロジック、わかりやすさも含めて丹念に書かれている。

次に読者は武力革命というべきこの闘争の方法論に潜むふたりの決定的な対立を目の当たりにする。この差異を我流にまとめると以下のようになるだろう。
晁蓋:大衆は飢えている、政府への限りない怒りが爆発しようとしている。われわれが口火を切って一点を突破すれば、全国いたるところで民の蜂起が起きる。そして一気に宋は崩壊する。「覚めよ!わが同胞、暁は来ぬ」
宋江:民の力を安易に当てにすることはできない。全国的蜂起が起こったとしても各地に軍閥が立ち上がり国情は大混乱に陥る。今二万に満たない梁山泊の勢力が十万人になるまで本格的戦は待つべきである。
やれ左翼小児病の日和見主義のと、そんな言葉は出てこないのだけれど、かつて若者であった60歳台の世代であれば、学生運動の渦中に見聞した論争とよく似ているロジックだと懐かしい思いで読むことができるにちがいない。

ついでながら軍師・呉用の戦略は:梁山泊の支配する自由商業都市を全土に構築すべき。それらの都市が宋の経済基盤を崩壊させる。軍事力はその都市を攻撃する官軍に備える程度にとどめる。

それなりの歴史観を浪花節で語る北方節、思わず笑ってしまった。実に愉快な『水滸伝』ではないか。

梁山泊に内部分裂の火種を残しながら物語は第十巻へとすすむ。

2004.08.04

第十巻 濁流の章
梁山泊に負け続ける宋国、「一度必ず勝て」と国境軍最強の将軍呼延灼に命令が下った。双鞭・呼延灼の秘策、乾坤一擲の連環馬とは?


高球が禁軍の大将となってから腐敗は瞬く間に拡がった。軍とは外敵から国を守ることが使命だとする名将呼延灼はあえて禁軍より国境軍を志望し、代州軍を精強の部隊に育て上げていた。最高権力者蔡京宰相の名の下に禁軍総帥童貫は彼に「必勝」を命ずる。代州軍一万、その後方に高球の一万。対する梁山泊はほぼ全軍一万余を晁蓋が率いる。
呼延灼側から実戦用大砲の号砲が轟く。そして不敗の戦法・連環馬。ここで初めて梁山泊軍は敗走するのだが、第十巻は全編この戦闘が劇的に盛り上がるように語られている。受け手なしの連環馬がいかなる作戦かはここでは触れない。とにかく圧巻である。

北方『水滸伝』の帰趨はともかくここで原典「水滸伝」の全体構成を触れておこう。
「水滸伝」はもともと、北宋末に実在した群盗にまつわる物語で,南宋から元にかけて,断片的に講談や演劇でとりあげられていた。それらをまとめた現在最古の版本は100回本といわれ、四部構成である。
(1)宋江を首領とする108人の豪傑がそれぞれの事情で群盗入りし梁山泊へ結集。
(2)勢ぞろいした彼らが官軍に勝利し、朝廷は懐柔策を取って招安。
(3)官軍に組みこまれた豪傑たちが,敵国遼を破る。
(4)江南での方臘の乱を鎮圧するが、豪傑たちはほとんどが戦死、生還者は任官したものの,奸臣によって破滅。
(2)と(3)のあいだに,田虎・王慶征伐を入れた120回本もある。
ただし、数多い読者を得たのは(1)の部分だけであとを断ち切った70回本である。

70回本が大衆に人気を博したのは威勢のいい豪傑たちの銘々伝であり、その豪傑、108人が梁山泊に全員集結し気勢を上げるところでオシマイとなるからではないだろうか。

ところで北方『水滸伝』では第十巻までに108人中何人が集結したことになるのかを数えてみた。巻頭の登場人物一覧が便利である。
104人だ。あと4人が参加するはずである。すでに12人が暗殺や戦死などにより死亡しているから全員の集結はなく、原典と異なる。

『水滸伝』の発売当初は十三巻で終わるとされていたように記憶するが、まだまだ収束の方向が見えません。

2004.08.09

第十一巻 天地の章
装丁の帯に「晁天王、曾頭市にて天空の枢より墜つ」とある。晁天王とは晁蓋。この巻のラストに山場があるが………。


第十一巻ともなるとラストの山場を除けばいささか中だるみの感が出てくる。ただ梁山泊ではこれまで野戦を主とする軍事力増強であったが、首都開封を念頭にした城郭(まち)攻略の軍備に注力し始めるところがいかにももっともな北方一流の発想だと感心する。

野戦で活躍していた騎馬隊だけでは駄目なのである。攻城兵器を扱う重装備の部隊が欠かせないと、衝車、雲梯、投石器、大砲の製作に取り掛かる。さらには造船所を建設し軍船と水兵を育成する、水軍の強化である。
この『水滸伝』では「梁山泊山寨」を黄河につながる梁山湖に浮かぶ小島としている。首都開封府はその上流に位置する。開封府だけではなく発展している城郭(まち)は川につながる交通、運輸の要衝にあり、これを制圧するためには水軍の強化が必要だとの着想を具体化していくのだ。

平凡社『世界大百科事典』の「梁山泊」の解説を抜粋してみる。
中国山東省西部、梁山県の梁山周辺にあった沼沢。山東丘陵の西縁は南北に細長い地溝をなし、黄河が困流(いつりゆう)するごとに沼沢地が伸縮をくりかえしていた。古くは大野沢・巨野沢などと呼ばれ、のちには分化して済寧をはさんで北四湖・南四湖などと呼ばれた。梁山泊はその最も北部にあたり,五代のころからこの名で呼ばれていた。この付近は黄河の氾濫で荒廃し人口も減少していたが、中原の中心地や南北交通の要路を扼(やく)する位置にあるところから、反体制勢力の拠点になりやすく、北宋末には宋江がここを拠点として、山東、江蘇、河北にわたる広い地域で反乱をくりかえした。これをモデルにしたのが明代の小説「水滸伝」で、これによって梁山泊は、義賊の巣窟の代名詞になった。現在水面は消失しているが、梁山には宋江にまつわる遺跡が残されている。

歴史上の宋江も原典「水滸伝」の宋江も水軍強化などおよびもつかなかったろう。歴史的考証を踏まえ、現代人の通俗的視点でストーリーを組み立てる。この巻でも北方水滸伝の独創が際立つ。

60歳の年齢に達し、隠棲の暮らしにあった暗殺者・史文恭が青蓮寺の依頼、晁蓋暗殺を受諾する。人に紛れ役人にも軍人にも農民にもなりきる忍び。今信頼されて梁山泊に入る。
2004/08/12


第十二巻 炳乎の章
梁山泊の双璧、そのひとりであった晁蓋の死は敵味方にどのように受け止められたか。そしてあの毛沢東は水滸伝を悪書として指弾する。


この第十二巻は梁山泊の財源・闇塩のルートの元締め魯俊義がついに青蓮寺に捕縛されて拷問にかけられる危急と官軍・雄州の猛将、大刀・関勝による梁山泊攻めが見せ場であるが、私にはむしろ梁山泊で実質ナンバーワンの英雄の死が両陣営に与えた心理的波紋を興味深く読むことができた。

蜀の諸葛孔明や甲斐の武田信玄がそうであったように天下を左右する人物の突然の死が内外にはかりしれない激震を及ぼすと考えられていたことは大いにありえる。しかし、新興宗教の教祖はともかく、現代においてはひとりの個性に全リスクをかけることなど政・財・官いずれの大組織においてもありえないことだ。現在の座標軸から過去を創作する北方謙三の筆は晁蓋の死を梁山泊が秘匿するなどというストーリーを用意しないでありのままをディスクローズ、それを見つめる敵味方の内心を書き分けている。

暗殺者・史文恭を送り込んだ青蓮寺の大幹部李富:この結果梁山泊に与えた打撃は痛烈であり、成果は二度三度の戦に勝つより大きい。梁山泊はまだ国家の組織になっていない人の集団。完成された組織であればそうならないが人の集団に過ぎないから頂点をつぶせば集団のまとまりは崩壊する。次に宋江を暗殺すべし。と姑息であるがカリスマの弱点、ポイントはついている。

梁山泊に分裂の気配なしとの情報を元に青蓮寺の総帥・袁明。晁蓋と宋江、ふたりの頭領が並立していたほうが分裂させやすかったかもしれない。ただ暗殺が間違いであったとは思わない。つづいて宋江が死ねば頭領を務める人材はいない。しかし、次の宋江暗殺の成功可能性はあてにならない。闇塩の道の壊滅作戦、官製の反乱軍・威勝にある田虎一味の支援強化を進めるべし。ただ根幹の問題は梁山泊ではない。国家弱体化の元凶・現皇帝を弑殺し皇太子擁立も想定する。となかなか複眼的であり、鮮明な国家観を有する。

悲嘆の色濃い梁山泊の同士を前に宋江:彼はみんなの心の中で生きている。私は晁蓋とともに戦い続ける。晁蓋がいなくてもやらねばならぬことはある。それを黙々とやっていこう。晁蓋は勝利を待っている。と相変わらず情緒過剰のカリスマである。

人材発掘の旅の途中で訃報を聞いた魯智深:どちらでもよいから片方は死んで貰いたかった。意見が分かれどちらも頑固で譲らないから部下たちが閉口していた。これで生き残った宋江が死んだ親友晁蓋の考えに幾分か妥協しながら進むことになろう。と双方から厚い信頼をうけていた部下としては冷静である。

ところでこの晁蓋であるが、実は原典「水滸伝」でも梁山泊の首領として登場するものの勢ぞろいの前に戦死したため、ランク外である神様に祭り上げられ、ナンバーワンを宋江とする梁山泊108人には名を連ねていないのだ。これは高島俊男著『水滸伝の世界』からの受け売りであるが、現代中国の絶対権力者であった毛沢東にまつわる面白いエピソードがある。毛沢東は中国革命の主導者である自分を晁蓋に重ねてイメージしていたらしく、尊敬すべき梁山泊革命軍の実質主導者である晁蓋が神様に祭りあげられ108人の外にはじき飛ばされたことを激怒し、1970年代に「水滸伝批判」の大号令をかけた。このため水滸伝は天人ともに許さざる「大毒草」になってしまったというのである。
2004/08/13

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