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山崎豊子「沈まぬ太陽」
感動の大作なのだが
1999/9/19
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彼女の作品を読んだのは最初、「女の勲章」であったと記憶している。今でこそ「方言」がマスメディア、小説に広く使われ特段違和感はないのだが当時は東京弁をいわゆる標準語としてその他の言葉は主役の座にはなかったと感じている。「暖簾」「ぼんち」「女系家族」と全編を大阪弁で表現。、大阪弁と言えば「落語、漫才の世界でのんびりした、柔らかい、あるいは間の抜けた」との印象を持っていた私は 彼女の小説を読んでその登場人物の使う大阪弁の「したたかさ、陰湿さ、押しつけがましさ。特に脅迫性の凄み」に圧倒されことを今でもおぼえている。だから、私が大阪弁を使う人に威圧感を抱かざるを得ないところがあるとすればそれはすべて山崎豊子のせいである。
彼女は次に骨太の「業界内幕もの」へ転ずる。「白い巨塔」「華麗なる一族」「不毛地帯」である。「華麗なる一族」の舞台は週間新潮に連載され、これは読んで置かないと会社へ出勤した時に話題についていけずに居心地が悪い思いをするという具合のリアルな出来映えであった。
また今でこそ男世界を書いて男性読者をうならせる女流作家が多数登場しているが 彼女はその先駆けとして評価されていい。
次に新しいジャンルに挑戦し成功したと思う。
それは「二つの祖国」であり「大地の子」である。一貫したテーマは「愛国心」。(誤解なきよう、日の丸、君が代的愛国ではありません)私は此のふたつの作品が彼女の最高傑作だと思う。
そして今回の「沈まぬ太陽」なのですが。これは戻っちゃうんですよ。「業界内幕もの」に。主人公は巨大航空会社のサラリーマン一人、経営者一人で、これが旧弊な会社機構、官僚、政治家等と悲壮な闘いをするのです。ある意味で古いタイプの理念的なサラリーマン像、経営者像が描かれ、悲劇のヒーローは努力しても努力してもあるいは誠実さゆえにその夢が実現されずにドロップアウトしていく。われわれは目下共感する現実に生きているから、この二人の絶叫する「正義」に素直に心を揺さぶられ、彼らの旧弊な勢力に対する不屈の戦いには感動するところが多いのです。
ただ、今ひとつぴったりこないところがある。現実社会はさらに変化している。彼らの行動パターンでは到底、今の社会を動かすことができないのではないかとこれはリアルに考えてしまうのです。
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山田正紀「ミステリ・オペラ」
押しも押されもせぬわが国SF界の巨匠、入魂の大作、宝島社「このミステリーがすごい!」の昨年国内編第3位でもあり、2段組み700ページの超重量級に挑戦してみました。
2002/02/03
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「平成元年、萩原祐介がビル屋上から投身、しばらく空中に浮遊してから墜落死した。昭和13年、満州。奉納オペラ『魔笛』を撮影すべく<宿命城>へ向う一団は行く先々で<探偵小説>もどきの奇怪な殺人事件に巻き込まれる。そして50年を隔てた時空を祐介の妻・桐子は亡き夫を求め行き来する………執筆3年、本格推理のあらゆるガジェット(ちょっとした面白いもの、小道具、仕掛け)を投入した壮大な構想の全体ミステリ」とのキャッチフレーズです。
パラレルワールド(平行世界)の解説が冒頭にありますし、論理・合理・必然を前提にする本格推理の世界と時空間移動・過去の操作というSFでしかない枠組み(いわばなんでもありの世界)とをいかに巧妙にミックスさせているかが一つの興味の対象でありました。
また『宿命城殺人事件』、いかにもその名称からして昔懐かしいゴシック調のおどろおどろした恐怖譚にも期待を寄せることになります。
さらに文中に幾度となく語られるフレーズ「この世には探偵小説でしか語れない真実というものがあるのもまた事実である」と物々しく構えておられることから、南京大虐殺の新しい解釈とか、満州国建国の秘話とかにも期待が寄せられる。俗なミステリーファンとしては昭和初期の大陸における事件と現代の殺人事件とが平行して描かれていますと、なにやら殺人を必然とする因果関係を過去の「秘話」に求めていきたくなります。
密室、消失、ダイイングメッセージ、暗号、見立て殺人(たとえばマザーグースの歌とか数え歌どおりに事件が起こる)などなど古今東西のミステリーにつかわれた見どころ、かんどころはいたるところにちりばめられそれなりに工夫されているようです。
しかし、結論を言えば作者の思惑が空回りしている、はなはだ退屈で、読み終えるのが苦痛な作品でありました。
それは丁寧に読めば読むほどこれら私の期待から外れていくのですね。また謎と言われることに対する不思議感がわいてこないのですね。もともとパラレルワールドと本格推理との融合はそうとうな難問だったのだと気がつきました。
満州国建設や南京大虐殺を「探偵小説で真実を語る」と構えるにはどう解釈するにしてもエンターテインメントにはなじまない難題です。
密室とか暗号、見立て、ダイイングメッセージなどガジェットは、好みの問題かもしれませんが私は特に最近は、現実感が希薄なもの、必然性に乏しいものは感心できません。古典的探偵小説ならともかく、新作でしかもこの程度のトリックでは私ならずとも満足できないのではないでしょうか。それとも私のほうが間違いで、非現実的舞台設定、奇怪至極の不可能状況、驚天動地だぞと執拗に繰り返す、あるいはなぜ不思議なのかを読者に解説する文章作法がもてはやされる時代なのだろうか。
なお歌劇「魔笛」の解釈はよく理解できました。
しかし、ホロコーストのテーマといい、時空間移動、音楽、主人公の桐子さん、パパゲーノなどこれらは先日読んだ奥泉光「鳥類学者のファンタジア」との共通項でもある。比較にはなりませんが不思議な暗合です。
贅肉をカットし、明らかなパロディ仕立ての作品にしていれば、「SF大家の遊び心が生んだ快作」と評価できたと思われる「労作」でありました。長いからっていいものじゃない。
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夢枕獏「神々の山嶺」
怪異・伝奇小説の雄、「陰陽師」がいまや彼の代表作となったかにみえるがこんなに強烈なインパクトを有する山岳小説も描ける人だったのかと改めて驚きをもった。1997年に発表された。
2002/03/03
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オリンピックが平和の祭典であるとするのは間違いだったようである。
「アルピニズム alpinism,近代登山は,山に登ること自体に限りないよろこびを見いだし,登山が肉体と精神に与えるものを汲みとり人生のうるおいとすることを目的とする」
このような教科書的健全なスピリットとは程遠い狂気のアルピニスト、クライマーのお話。
「卒業して社会にでればいつまでも山に登っているんだという声が、周囲からおこる。山と仕事とどっちが大切なんだ。いいかげんに大人になれ。山にゆくなら、仕事をもって休みの日にゆけばいいではないか………と。そうではない。そうではない。仕事をして、金をもらって、休みの日に山へ行く。おれがやりたい山はそういう山ではなかった。おれがやりたいのはうまくいえないがとにかくそういう山ではないのだ。おれがやりたかったのは、ひりひりするような山だ」
獣的、攻撃的、凶暴ネ精神の孤独な咆哮がそこにある。
「なぜ山に登るのか?」を真正面からとらえ、壮絶に、ある山男の生き様を描いた迫力満点の山岳小説である。私は登山らしきことは一切やったことがないから登攀にかかわる専門用語にはまったくついていけないのである。意味のわからない用語がふんだんに使われ、その解説はないのだがそれでも氷壁にしがみついた男たちの背筋がぞっとする恐怖や緊張感は充分に堪能できたのだからいくらかでも山をやる人であればこの小説は間違いなく興奮させてくれるはずである。
「お前なんのために生きているんだ」羽生はそういって井上を糾弾した。「山へ行くためじゃないのか。山へ行かないのなら死んだも同じだ。ここにいて、死んだように生きてるくらいなら、山へ行って雪崩で死んだほうがましだ」
そして山岳界をドロップアウトした主人公羽生は前人未到の挑戦を続けていく。
そして、エヴェレストの、冬期における、南西壁無酸素単独登頂へ。
「どれだけの努力と才能があっても、それだけでは、実現が不可能である。それをなし遂げるにはその行為者が神に愛されなければならない。文字通りそれは、神の領域に入っていくことであり、神の意思に自らを委ねることになる」
山岳小説には井上靖「氷壁」があって、ミステリと銘打ったものでは松本清張「遭難」新田次郎「チンネの裁き」が記憶に残る。「神々の山嶺」はミステリーとは異質である。
さらに「お前なんのために生きているのだ」と自分に問い掛けるとこの物語は単なる特異な山男のお話でもなくなるのではないか。 |