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半村良「岬一郎の抵抗」
SFの夢と下町の人情が織り上げる現代版キリストの寓話
2002/03/16 |
半村良がなくなった。『産霊山秘録』『石の血脈』さらに集大成としての『妖星伝』と、半村良が作り出した伝奇SFという妖しい世界に夢中になったときがあった。しかし、むしろ直木賞受賞作である『雨やどり』など、今を生きる庶民の世界、欲や名誉やメンツなどにこだわったりしない人情噺をかかせてその本来の奇才ぶりを発揮する人であったようだ。
この「岬一郎の抵抗」は人情噺とSFを融合させた珍しい作品である。
江東区松川町。町工場、材木商、酒屋、印刷屋、食堂、町医者、銭湯に囲まれたアパートに岬一郎はひっそりとつつましく暮らしている。下町の人たちの反権力性、義理と人情を大切にする生活様式が丁寧に描かれる。彼は超能力者であるが冒頭ではどこまでその力がつよいのか、自分でコントロール可能なのかさえわからないまま生活している。やがて………。
松川町で大気汚染の公害疑惑がもちあがり住民たちは都庁へ原因究明の調査陳情に行くのだが、役人はかなりの筋からの圧力を受けていてケンモホロロの応対振り、住民は怒りの声を爆発させるのだが、突然心臓麻痺で役人が死亡する。超能力の初体験である。そして車椅子から立ち上がれない少女に手をかざしただけで歩けるようになる。大地震で崩壊したビルの瓦礫を持ち上げ、埋まっていた大勢の人を救出し、怪我、病気を治療する。嘘をついている泥棒が彼の前では真実を語らざるを得なくなる。意識はすべて読み取られる。また彼は他人の意識に入り込みそれを操作することもできる。
マスコミは彼を国会の傍聴席に立たせようとする。スズキムネオのような証人喚問の席でである。あるいは首相の施政方針演説においてである。また、裁判に傍聴させることも考える。
彼の物理的力は重火器をも寄せ付けないのである。彼の意に反することを命令しようとして近づくものはすべて改心させられるのである。彼はその強大な超能力を「不公正の是正」と「正義の実現」のために使用する。これは神にほかならない。周りの住民はもとより大衆はこの出現した「神」に国の統治を委ねようとする。政府はどう対処するか。宗教団体はどう動くか。そしてアメリカ、ソ連は?「推理」小説ではないから言っちゃいますが、アメリカは日本の権力機構が彼に掌握されるのを恐れる。たとえば非核三原則の嘘が白日のもとになるからです。そして日本政府に岬一郎抹殺命令が下る。
さて、政府はどうでるか。ゴルゴ13を雇うか。世界中の目が松川町に集まっているときにそんな下手なことはできません。ここからがこの物語のツボに入っていくのです。政府も刑法改正を含め、手の込んだやり方で攻める。住民は抵抗するが………。
最近話題になった冒険活劇、宮部みゆき「クロスファイアー」とはまるで違う超能力ものであります。強大な超能力者は彼ひとりで相手になる同類の敵役はいません。もし神が日本の下町に顕現したらいかなる状況が生まれるかをとシュミレーションすると、法律論、犯罪学、政治学、、社会学から文化論、宗教論にとどまらず、進化論から遺伝子工学、はては宇宙生命論まで、その虚構の大風呂敷を、よくまぁここまで大真面目にひろげて見せたかと、魂消るやら、感心するやら。理屈っぽいところを面白くないと見るか、そこが良いと見るかで評価が分かれるのでしょうが、私は傑作な現代寓話だと思います。
キリストはきっと超能力者だったのだ。磔刑に処せられた理由がわかりましたね。こんな奴が登場したらどんなに善人であっても怖いよ。
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坂東眞砂子「狗神」
目下上映中の映画「狗神」の原作
1994/2/20
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民俗学的に言う「憑物」伝承を正確に消化し、現代農村によみがえらせたホラー。高知の山里で和紙を漉きながら暮らす女・美希。青春時代の辛い過去に縛られたまま四十歳を過ぎる今まで、恋も人生もあきらめ淡々と生きてきた。そんなある日一人の若い教師が赴任してくる。しかし彼の出現と同時に、村ではおかしな現象が起こり始めた。実は彼女こそ憑物筋の血を継ぐ長であった。近親相姦の連鎖や最後の大殺戮でお話は盛り上がるようになっています。
高知県生まれ。奈良女子大卒。イタリアのミラノ工科大学でインテリアデザインを勉強した作者。なかなかの手練である。
ところで「憑物」と言う概念は「憑依」の一種には違いないのだが、あの有名なエクソシストの悪霊憑き、恐山イタコの降霊とは趣が異なる。この二つの行動の主体は悪魔とか死者だが憑物は主体が人間である点がちがう。おそらく日本固有の思考の産物なのだろう。
民俗学でいう〈憑物〉とは,共同体の中の特定の家において神として祭祀されている,あるいは飼い養われている動物霊なのだが、この動物霊は家の主人の命令もしくはその意をくんで他人に憑依し,病気や死をもたらすのです。主人である人間の使いにすぎない。このような霊をまつることによって、その家はあがめたてまつわられる。そこの家の恨みでもかったら取り殺されますから。それは他人を犠牲にしてのものであり,しかもひとたびこの神を奉ると末代までその子孫たちがまつり続けなければならない。さもなければその霊は周囲の人々に祟りをなすばかりでなく,その家の一族の者たちにも祟りをなす。周囲の人々はこのような家と婚姻関係をもつのを嫌う,民俗社会内に被差別的色彩の強い家筋が形成される。これが〈憑物筋〉と呼ばれる。〈オサキ狐〉(関東),〈イヅナ(飯綱使い)〉(東北,中部),〈クダ狐〉(中部,東海),〈人狐(にんこ‖ひとぎつね)〉(山陰),〈トウビョウ〉(=蛇。中国,北四国),〈犬神(いぬがみ)〉(中国,四国,九州),〈ヤコ〉(=野狐。南九州)などがあるんです。
作品の舞台は高知。狗神=犬神
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樋口明雄 『光の山脈』
舞台は南アルプスと八ヶ岳にはさまれた寒村。
2004/01/11 |
主人公の若者ロッタは地元土木工事会社に職を得ている現場人足で、暴行され口のきけなくなった妻とふたりでつつましい生活を送っている。しかし、彼の本質は昔かたぎの猟師である。
自閉症の病歴を持つ彼は人間社会のわずらわしさから逃避する、森の懐深くから離れられない山の民である。ある日ダム工事現場が産業廃棄物違法投棄に使われていることを目撃する。
新聞記者の兄はこれを記事にして告発する。不法投棄の主犯であるヤクザがこの兄と子を宿したロッタの妻を殺傷する。そしてロッタのヤクザ集団を相手とする孤独の復讐戦がマイナス二十度・極寒の山岳を背景に展開される。分身として共闘する猟犬はこれも孤高の狼犬シオだ。
真保裕一の『ホワイトアウト』以来だろうか、久しぶりに日本の山岳地帯を舞台にした本格冒険活劇小説の充実感を味わった。正月早々であるが、このジャンルではおそらく今年の最高ランクといまから評価できる大傑作ではないだろうか。
この一直線の単純なストーリーのなかで、なんどもなんども、密度濃く描写される男の素朴な情念に感情が高まるのをおぼえ、絶体絶命・ド迫力の銃撃戦に緊張を強いられました。大組織を敵とする身内を失った男の復讐活劇・A・J ・クィネル「クリーシー・シリーズ」、銃撃戦の名作・スティーヴン・ハンターの「ボブ・スワッガーシリーズ」に比肩しうる壮絶なバイオレンスの連続があります。さらに森、谷、山岳、岩壁に冬山の凶暴な天候と状況の変化に応じたバトルシーンの巧妙さはページを繰るのがもどかしくなるほど次々と読者の期待にこたえてくれます。
自然環境保護の社会的主張があり、しかもそれだけではありません。作者は主人公に名を借りてわれわれに作者の「自然」に対する強力な愛着心、その姿勢は一般的スローガンレベルのものではなく、作者自身が実態生活から実感したホンモノで、読んでいて心を洗われる思いがしますが、人間はいかなるかたちであっても干渉してはならないのだ、あるいは冒すべからざるものがあるのだ、と「大自然の絶対的神聖性」を訴えているのです。いいかえれば自然にむかって愛着心というよりももっと根源的なもの、土着の信仰心に近いものがこの作品の全編を貫いて、単なる冒険活劇小説に終わっていません。
人間同士の闘争のバックにある雄大な山々、森林の表情が時と所を変えながらいくつも描写されますが、これが無類に素晴らしい。「自然」にむきあう作者の姿勢が生むその表現の独自の凄みに注目したいところです。一般に山岳小説にあらわれる風景描写は人間が克服すべき対象とした自然の厳しさが多いのですが、その視点はここにはありません。万物に対しあるときは過酷にあるときは恩恵もって姿を見せる、人為を認めない峻厳とした摂理を描写していることに気づかされます。
脇役がまたいい。息子がロッタの復讐の的にされたライフルの名手であるヤクザの組長弓削辰巳の執念は捨て身でロッタを追い詰める。ふたりに猟を教え込んだ伝説の狩人仙道孫一の壮絶なラスト。それよりも獣たちだ。こころないゲーム感覚のハンターに子どもを皆殺しにされた牝熊ブンタの哀切。二メートル・四十貫の体躯、幻の猪マダラとの神秘的な邂逅。それぞれが作者のテーマと一体になっていますからいずれも読者に深い印象を刻むことでしょう。
そして終章、さわやかな読後感をもって新春を迎えることができたのです。
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