東野圭吾 「片想い」
真の友情を語る
2001/07/14

サラリーマン人生が終局を迎えそろそろ第二の生き方の楽しみを模索するようになりますと、今まで気づくことがなかったところに新鮮な輝きを見出すものです。たとえば「朋あり遠方より来るまた楽しからずや」という使い古された言葉がありますが、肝胆相照らしても差し支えなくなりますとそのような友人と久しぶりに会って語り合うことがこんなに心躍らせるものかと気がつくのです。
会社社会=契約社会=利益社会を一生懸命生きてきたからこそ、この言葉の真理を発見できるのかもしれません。それは学生生活の中にあって頻繁に使われる友人・親友・友情とはかなり色合いが違うような気がします。

東野圭吾「片想い」はセンセーショナルに性同一性障害者の世界を描いているようですが、こうした心境で読んだ私は、むしろ利害得失を超えてある友情、親友同士の世界を讃えて、大人の感動を誘う作品のような気がします。肉体は完璧な女でありながら人格は男の性同一性障害の男(女?)が事件に巻き込まれ、彼(彼女?)を救うために昔のアメフト仲間がスクラムを組む。よくできた小説だと思いました。

ところで、友人との強い絆をあらわす言葉は数多くありますね。「管鮑の交わり」「金石の交わり」「心腹の友」「刎頚の友」などなど。どう見ても男の世界で通用する概念ですな。ウーム………。男と女の間に「友人」関係、「親友」関係ってあるのかな。「友達」関係は、これは子どもの世界であるかもしれないが、大人のこれはないでしょうね。枯れきった時ぐらいかな。
さらに、女同士の、これってあるのかな?ないなどと断言すると顰蹙をかうことになりかねませんが、肝胆相照らす女性同士とお互いに認め合った振りをして、隠すべきところは隠しているのではないでしょうか。

きっと東野圭吾さんもこのあたりまで熟慮し、彼でも彼女でもない中性子を主人公に据えたのだろう。

東野圭吾 「超・殺人事件 推理作家の苦悩」
誰がベストセラーをつくるのか
2001/12/09

高名な毒舌タレント女史が脱税容疑で逮捕された。手口が幼稚であるのになぜこれまで当局は放置してきたのだろうかと首をひねった。いっときは茶の間のワイドショウでいまの外務大臣並の人気を集めていたほどだから税務署もうかつに手をだせば抗議の投書やら電話攻勢にあってつぶされていたに違いない。たとえマスコミにつくられた風評であっても大衆の支持によって人気者の徳がうまれる格好の見本がある。

ところで小説家にも脱税の手口があるのだそうだ。短編集・東野圭吾の「超・殺人事件 推理作家の苦悩」はミステリー作家の周辺を激辛く揶揄した上出来のお笑い作品である。

「超税金対策殺人事件」は高額所得のベストセラー作家が他人の領収書で経費計上するための取材費・調査費をでっち上げるのだが、この確証にそって作品の内容を歪めていくお話。トラベルミステリーなんて大量に書く人はあちこち好きなところを旅し、交通費や宿泊費をそうとう水増しして経費計上しているのかとか、性愛文学の大家ともなると女性との交際も実質タダでしているのだと、それらしき人を思い浮かべて可笑しくなれる。

抱腹絶倒は「超長編小説殺人事件」である。800枚の小説をこれではベストセラーにならないと出版社から叱られ「渾身の2000枚 大作!」として売り出す。このための水増し手法はさもありなんとゲラゲラと笑ってしまった。そんな作品ってそこここに出回っています。それに引っかかるのが私ですからこれはよぉーくわかります。「そんなことして間延びした小説にならないかな」と心配する先生をしりめに出版社は「最近の読者は長ったらしい小説に慣れていて、少々だらだら書いても辛抱強く読んでくれます。それよりも読者は2000円の本を買うなら長い作品のほうが得だと考えているのです」と冷徹なマーケッティングを披露する。そしてその結果は………これは読んでのお楽しみ。

白眉は「超読書機械殺人事件」これは評論家先生たちを強烈に糾弾したもの。機械が本を読んで評論を書いてくれるのだが評価モードなるユニットがあって「おべんちゃらモード」から5段階「酷評モード」までを選択する。東野はこの表現振りの差を具体的に書いてあるのだがこれにはなるほどと感心させられる。出版社に頼まれて書く評論には実際そんなところがあるだろう、わが意を得たりととニヤニヤする。今年を振り返って
「ミステリーベストテン」があちこちで発表されますがこれとても「おべんちゃらモード」が使われているのでしょうね。

とにかくわれわれ読者は出版社の狡猾な経営戦略に踊らされているのである。まだまだ外務大臣は罷免されないなぁ。

東野圭吾  『ゲームの名は誘拐』
練達のテーブルマジックだが減点あり
2002/12/12
「人生はゲームである」と開き直って、勝ちを続けている男が二人登場する。ひとりは広告代理店に勤務、彼の企画したイベントのことごとくが成功している才知の持ち主、女にもまたモテモテの主人公である。もうひとりは大自動車メーカーの辣腕副社長である。このメーカーから依頼された大型イベントの企画リーダーであった主人公は副社長の美学にそわず満座の席で罵倒されチームから外されてしまう。腹の虫がおさまらない。なんとかしてひと泡吹かせてやりたいと、じりじりとしていたところに家出をした副社長の娘とたまたま出会い、二人共謀して偽装誘拐をたくらむ。狂言誘拐で3億円をせしめようとするのである。

誘拐テーマのミステリーでは身代金受渡の方法が作者の知恵の出しどころだ。携帯電話、インターネット掲示板、電子メールと最近の情報ツールを縦横に駆使し、脅迫から現金授受の指図とここは詳細に描かれ、果たして狙い通りに成功するかと読者としてはハラハラしながらページをめくることになる。無駄な叙述は一切なく、快調なテンポで物語は進む。
二転三転、二人の知恵者の攻防戦のゆくえは?

読み手にとっては家出娘と偶然出会うなんて不自然ではないかとのもっともな意見があるでしょう。マジックショウを見て、絶対におかしい、タネがあるはずだとご機嫌ななめになるむきがあるのと同じだ。もともとこの種のミステリーはある非現実な状況を所与のものとして読者に向けて露骨に謎を提起する、まさにパズル的ゲームとして楽しむためにあるのだと心得なければ読む価値がないのです。
最近、パズル型ミステリーには状況設定にゴテゴテした厚化粧をこねくり回すだけの「巨編」が目につくが、この作品は贅肉がなく、しゃれたテーブルマジックに仕上がっています。

当然スマートな決着を期待していた。気分爽やかにだまされたかった。ところが、そうではなかったことで、減点は大きい。ラストは「誘拐という名のゲーム」としてあざやかな決まり手で締めるべきでしょう。