レイモンド・チャンドラー 『長いお別れ』

初めて読んだチャンドラー。
なるほど「ギムレットには早すぎる」という名セリフはこんな具合に光って登場するものなのか。
2005/02/03

訳者の清水俊二の「あとがきに代えて」で次のような紹介がある。
『長いお別れ』はレイモンド・チャンドラーの代表的傑作である。チャンドラーの作品を輝かせている魅力がすみずみまでゆきわたっているし、その上、彼の作品の中で一番の長編で読みごたえも充分だ。
推理小説の歴史の中でも取り上げて『長いお別れ』は後世まで語り伝えられる名作であろう。推理小説史上のベストテン選出などという催しのときも、『長いお別れ』が含まれていないことはめったにない。


清水俊二はこの作品の紹介に当たって「ハードボイルド」という一般化した俗語をひとことも口にしていないのだがこれがハードボイルド小説の代表作であることは知っていた。チャンドラーの生んだ名セリフのいくつかは知っていても、その作品までは知らなかった。
原ォが『愚か者死すべし』を上梓して、日本のミステリー界に古典的ハードボイルド健在なりとした今だから、かなり遅ればせながらも手にとったものだ。原ォがいかにチャンドラーに心酔し、その作風を踏襲してこれまでの傑作をものにしてきたかがわかる。

私立探偵マーロウと泥酔したテリーとの出会いから物語は始まる。
やがて「コーヒーをつぎ、タバコに火をつけてくれたら、あとは僕についてすべてを忘れてくれ………妻を殺したと告白して死んだテリー・レノックスからの手紙にはそう書かれていた。彼の無実を信じ逃亡を助けた私立探偵マーロウには、心の残る結末だった。だが………」
億万長者の娘で男漁りに夜も日も明けない女を妻にしたアル中の男テリー。腐敗と退廃、暴力と欲望に満ちた都市空間に棲息する孤高の男マーロウ。お互いに過去を語らずに深まる交誼。その象徴に「ギムレット」があった。
テリー「ほんとのギムレットはジンとローズのライムジュースを半分ずつ、ほかに何も入れないんだ」 
夕刻をすぎてからふたりで飲み交わすギムレット。

文字通り「謎が謎を呼ぶ」ミステリーであり、ラストのどんでん返しに見事一本取られることになる完璧な推理小説である。
それだけではない。コピーに「瑞々しい文体と非情な視線で男の友情を描きだす畢生の傑作」とあるように「男の友情」、よそ目には知りえない強い絆で結ばれた交誼。男と女たちの騒々しいいくつかの出会いと別れがあって、なかでセンチメンタルにこのテーマが一貫して流れる。現実の生活感覚からも遠いところにあって、また最近の小説にはトンと見られなくなったテーマだけにその新鮮さが郷愁をさそう。

謎が次々に解明されて、ホッと胸をなでおろすころには、読者はもっとも肝腎な謎を忘れてしまっていて
最終に近く「ギムレットにはまだ早すぎるね」
一瞬ぎょっとして、いったいナンナノダと思わずページをめくり返さざるをえない。
そしてラストにみえてくるものは形を変えた、しかしやはり「男の友情」への、ものしずかな賛歌であった。

「男はやさしくなければ生きていく資格がない」というセリフはチャンドラーの『プレイバック』を読んでいなくとも借用可能な便利な口上だが、「ギムレット………」はこれを読んでいないと使いようがないだろう。
古い世代のミステリーファンへ、まだお読みでなかったらぜひこの洒落たセリフの真髄を味わっていただきたいと思うのである。
若者へ、君がこれを読んで共感するところがあれば男になれる資格があるかもしれない。

黒岩重吾 『ワカタケル大王』

死の直前の大作に見る、最後の最後まで燃焼し続けたそのエネルギー
2005/02/18
私が黒岩重吾氏の直木賞受賞作『背徳のメス』、『脂のしたたり』『飛田ホテル』などを読んだのは高校生の頃だ。当時は安保闘争で学生、インテリ、一般市民層による正面切ったエネルギーの奔流があった。しかし氏は同じ時代の対極に鬱積する負のエネルギーを見ていた。大阪・ドヤ街を舞台に社会の底辺に這いつくばって棲息する人間たちの屈折した欲望を粘っこく描写した氏の作品に、見てならないものを覗くような妖しい魅力を感じたものだ。

満州で死線をさまよい生還、株投機で大もうけをしたのはつかの間、暴落して釜ケ崎でのどん底生活、小児麻痺の大病で3年間の入院生活があった。やりたいことをやれず、言いたいことも言えず悶々とし、ただ行き場のない生命力が熾火のごとく燃えていたに違いない。作風の根幹はこの苦闘の経験に裏打ちされ、激しい感情の起伏と醒めた内面観察が両立し、善悪の境を漂う人間の哀切が一貫している。

古代史ロマンの第一人者となって晩年も精力的に文筆活動を続け、2年前の3月、79歳で他界された。『ワカタケル大王』はその1年前に上梓した大作だ。40年以上も氏の作品は読んでいなかったのだが、とても高齢の方とは思われない、死の直前まで当時と変わらないそれだけの生々しい感情の発露に感嘆した。それがワカタケルの人物造形に強く反映されている。

五世紀半ばの日本。倭国は未だ有力部族の集合体であり、大王といえども専制の政治力はない。ワカタケルが先の大王の第五子に生まれ、さまざまな権力闘争の末、雄略天皇として王権を握るまでを描く。
あとがきを記した重里徹也氏はワカタケルの人物を
「海外の状況を冷静に見極めながら、倭に強力な中央集権国家が必要でそのために、地方豪族の統一や身分制度の整備が不可欠だと考えているワカタケルは、大陸や半島の先進国から積極的に学ぼうとし、豊かな学識を備えている」
「武力にもすぐれ、荒々しく勇猛な性格で、人々から畏怖されている」
とその英傑性を説明している。確かに「英傑」として描かれている面はあるのだが、それは一面であって、黒岩重吾氏が描写したワカタケルの人物像把握には片手落ちだろうと思われる。

ワカタケルの語る中央集権国家形成の大義は迫力が乏しい。そこまで日本社会は熟していないのだ。ただ己の意のままになる支配体制をつくるという原始の欲望に突き動かされている男が見える。意に添わない臣下の首を切り落とす酷薄、思うにまかせぬ女を暴行する狂気の人間でもある。兄弟たちを次々と排除する策は「智謀」ではなく暗殺、「奸計」である。女に対するものは愛でなく政略か獣欲だ。有力豪族との戦も闇討ち、だまし討ちに近い。むしろそれがリアルというものだし、現代に通じる魅力でもあるのだ。
親兄弟、親族、大豪族によるがんじがらめの秩序の中で閉塞した若者の暗い情念。黒岩重吾氏はひとりの人間の欝屈したエネルギーの突出を通常の倫理の尺度を超越した視点から、荒々しい筆致で語っている。そのとき、なお衰えない黒岩重吾氏自身の生命力の粘りを見た気がした。

ところで激情の人・ワカタケルには周囲にその暴走を牽制し、的確な情報を収集し、知恵を授ける重要な人々が控えている。朝鮮からの渡来人、あるいはその末喬である。ここで黒岩重吾氏は倭国を取り巻く当時の国際環境を分析・詳述し、物語として消化している。いま日本では俄に韓国との文化交流がもてはやされているが、それが一人の映画俳優に引っ張りまわされている程度のことであっては、氏に笑われてしまいそうだ。

追記
この書でワカタケルと敵対する豪族葛城氏の政庁跡らしき遺跡が発見された。「極楽寺ヒビキ遺跡」。奈良盆地を見渡す丘陵にあって周囲に堀を巡らし中心施設は古墳時代としては最大級の高床式大型建造物だ。小説では大臣葛城円がワカタケルに攻められ、火をつけられる。遺跡には火災の跡が確認されているらしい。
2005/01/23



ロバート・ラドラム『メービウスの環』
メービウス計画!!なるほど文字通りひねった発想がなんとも楽しいではないか。

2005/03/07

ポール・ジェンソン、強靭な肉体と不屈の精神力、無敵の戦闘能力とグローバルな情報網を有する特殊工作員が見えない敵、地球規模の陰謀に単身立ち向かう。アクションシーンではそのディテールの巧みさが加わり文字通り息もつかせぬ。ストーリーも快調なスピード感で展開する。危機また危機の連続と深まる謎、敵の工作は着実に進行し、主人公はますます孤立していく、このサスペンスに満ちたプロセスも申し分ない。
スパイ冒険小説とでもいうのだろうかこの分野での名作はいくつもあってこれまでも大いに楽しませてもらった。本書のロバート・ラドラム、フレデリック・フォーサイス、クライブ・カッスラー、スティーヴン・ハンター、A・J・クィネル。しょせんB級の冒険活劇小説ではないかとおっしゃるむきはあるのだろうが、面白いものは間違いなく面白いのである。
残念なことに最近はこのジャンルの大型エンターテインメント小説にお目にかかれなくなったような気がしていた。映画の世界ではヒット作目白押しの感がするのだが、映像表現にかなわなくなったということなのだろうかと思っていたところ、そんな危倶を一掃させたのがこれ、『メービウスの環』でした。
フォーサイスにある現代政治力学と国際的スケールの大謀略、カッスラーの荒唐無稽なワルの親玉と大規模破壊、ハンターにあるディテールで工夫を凝らしたアクションシーンの数々、クィネルであれば復讐心、怨念をエネルギーとする一匹狼の個性。これらの要素がてんこ盛りされた、読み出したらとまらない、なるほど巨匠の遺作にふさわしい傑作であった。

このジャンルの冒険小説を読んでいるといずれの作者も敵役が財カ、政治力、戦闘力でいかに強大であるかの表現方法に腐心していることがわかる。この『メービウスの環』でもポール・ジェンソンの立ち向かう相手はこれまでの冒険小説に登場した悪役に負けず劣らず恐るべき力を持っているのだが、それだけではない。そのキャラクターの存在感は現在のアメリカそのものであるところが実に独創的であり印象的である。本書が書かれたのは9.11同時多発テロの半年前だそうだ。政治・外交には武力を持って平和の伝道者たらんとするアメリカ。しかしそれだけではあまねく地上の平穏は保たれずむしろ紛争、戦闘は拡散、深刻化している。経済的にはグローバルスタンダードと称するビジネスルールを押し付けるアメリカ。それで各国の繁栄が保証されることはなくむしろ経済的混乱が深まる感がある。つまり今のアメリカ流儀、それだけではうまくいくはずがない。そしてメービウス計画がある。