ジェイムズ・グリッパンド 『誘拐』
ひさびさに本格誘拐ものの傑作にめぐり合った。
2003/04/12

8年前に養女を誘拐され、未解決のままに心に傷をおったアリスンはいま司法長官となり、民主党から押され、大統領選挙に立候補した。いかにもワルといったイメージの対立候補は黒人で軍人のリンカーン・ハル。
両陣営の選挙参謀たちがマスコミをとおして大衆の心理を歪めていくイメージアップ作戦、虚虚実実の情報操作、アリスン不倫疑惑のでっち上げなどが描かれるが、その冷徹な徹底した計算づくの姿勢にアメリカの大統領選挙の一面が滲み出ているようで、これが実に面白い。でっち上げだって真実になってしまう世界だ。「真実とは虚偽であると立証できないもののことである」。支持率がシーソーゲームのように振幅を繰り返すなかで、ハルの孫娘が誘拐される。

この事件ですら自分たちに都合の良いものに仕立て上げようと両陣営の策謀が複層的に進むのである。選挙戦とは距離を置いて司法長官の立場で責任ある行動をとろうとする主人公の行動に対してはさまざまな罠が待ち受けている。事態は彼女の敗戦が決定的になるところまで悪化していく。
誘拐テーマのミステリーは最近では東野圭吾『ゲームの名は誘拐』、真保裕一『誘拐の果実』が発表されている。しかし、この作品は緊迫感、スピード感、アクションいずれをとっても二つの作品をはるかに超えるエンターテインメントである。誘拐テーマにある犯人、被害者、警察の三すくみのもつれ合いにのめりこまされるだけではなく、大統領選挙の舞台裏という興味深い社会世相を背景にしたところが大いに評価される。

誘拐テーマを読むさい、私は身代金受渡し方法に作者がいかに工夫をこらしたかを吟味するのだが、この点でもアメリカ作品らしいど派手な仕掛けが用意されているのがうれしい。
しかも最終シーンは彼女と凶悪犯との一対一の対決に手に汗を握る、とこの著者のサービス精神に拍手を送りたくなります。
とにかく通勤電車内での読み物としては夢中になって乗り越しもしたくなるAクラスの出来ばえだ。ただし、犯人の人物像、その動機についてはとってつけた感があって不満であるが。


ジェフリー・ディーヴァー 「ボーン・コレクター」・「コフィン・ダンサー」
読み出したらやめられない
1999/11/20
「安楽椅子探偵」と呼ばれる推理小説のジャンルがあります。自分は現場捜査をすることなく関係者の話を聞きながら犯人を推理する名探偵の物語を指します。この小説の探偵役は首から下は左手の薬指一本しか動かせない四肢麻痺の元刑事。安楽椅子探偵ものと聞きますと地味なストーリー展開かなと思っていました。とんでもない。読み出したらやめられないと言いますがこれはまさに緊迫感と急展開が活劇シーンをともなって連続する仕立てです。悪い奴がワルの天才だからハラハラドキドキ。

犯罪捜査が膨大なデータベースの蓄積とハイテク分析技術の集積および警察陣の組織力・行動力にあることを徹底的に追及しているところが新鮮で非常に興味を引きつけられました。とにかくこのディテールがいかにも本当らしくその捜査活動を表現している。逆説的に快刀乱麻の神のごとき一人の「安楽椅子探偵」というものは現実には存在しないことを物語っています。

この2作最後の最後まで楽しめる、最近の海外ミステリーでは抜群の娯楽作である。

ジェフリー・ディーヴァー 『石の猿』
リンカーン・ライムシリーズ第4作目の出来映えは?
2003/06/21

「四股麻痺科学捜査官・ライムとNY市警の女巡査・サックスが明かす異常殺人事件の謎」 『ボーン・コレクター』
「棺おけの前で踊る死神の刺青をした連続殺人鬼を追うライムとサックス」 『コフィン・ダンサー』
この二つの作品は都会型の凶悪犯罪でしかも相手は奸智に長けた頭脳犯。この追う者、追われ骼メの知恵のせめぎあいにクールで、ドライで、直線的な緊張感が全編を貫徹していた。まさにジェットコースター型で理屈ぬきの興奮を味わえる第1級のエンタテイメントであった。

「証拠はすべて少年の有罪を指している。だが、サックス巡査だけは彼の無実を確信していた。こよなく昆虫を愛する少年が人を殺すはずがない」 『エンプティー・チェア』
この作品ではライムとサックスのセックス関係が進展するという余計なおまけがつきで、犯罪が地方共同体型に変化し、どちらかというと頭脳プレイではなく腕力戦と変貌する。「空っぽの椅子に座っているのはだれ?」などと捜査の方法論としてそれまでの一貫した実証主義方法から精神分析的方法論、あるいは女の第六感主義方法論をとりいれるくだりになると緊張感が薄らいでくる。

そして本著は「蛇頭の殺し屋ゴースト、11人殺害容疑で国際指名手配中」すなわち強敵は中国マフィアの殺し屋である。
一般にシリーズ物というのは三作目あたりがその後息長く続くかどうかの正念場である。ライムシリーズは『エンプティー・チェア』で息切れし、この4作目ではそろそろ限界が見えたような気がする。

腐敗と汚職まみれの中国共産党支配下で体制を批判する中国人民には過酷な弾圧が待っている。今回の敵は単なる粗暴なサディストである。なけなしの財産をかけて密航を企てるものを待ちけるファック野郎。いかにもアジア人らしく頭脳的ではないところがこれまでの作品の犯人像と異なる。捜査網にかからないのは中国流の信仰に支えられた運の良さである。映画『ブラックレイン』の松田優作の「凄さ」が感じられないのだ。中国マフィアのお話なら大沢在昌の迫真性にはかなわない。自由の国、豊かな国アメリカ、そのアメリカへの憧れで逃れてくるものたちをヒューマニスト・サックスは命をかけて守る!儒教精神、老荘思想、漢方医学、犯罪捜査も風水占術方法論など迷信とあやしげな思考方法にたいしてもアメリカの英雄ライムは受け入れる懐の深さを持ち合わせています。
よくあることだが、西洋人の分別で東洋を見るあの一段高い場所に立った視線が随所に表れる。作者が生半可で孔子、老子、荘子の教えを説くものだから、よく理解できない禅問答むしろコンニャク問答を聞かされることになる。つまり東洋哲学と西洋技術のコンタクトゾーンに関する叙述が長く、しかも私には退屈であったということだ。
それで、これまでの三作にあった驚愕のエンディングは………?